ユニオンプロレス
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ユニオン・プロレスとは1994年に旗揚げされたプロレス団体。1995年に活動停止後、2005年に活動再開している。怪奇派、空手軍団、エクストリーム、女子、デスマッチと何でも御座れのスタイルによる古き良き90年代インディプロレスである。 2005年活動再開からは、DDTプロレスリング内の別ブランドとして活動している。
[編集] 歴史
1993年、鶴見五郎と高杉正彦が『レスリング・ユニオン』設立を発表。当初は『IWA格闘志塾』『IWA湘南』『IWA流山』を始めとしたインディー団体の統括組織だったが、統括組織としての存在がうやむやになった為、1994年4月にポイズン澤田と松崎駿馬(現:松崎一彦)らIWA流山勢が『ユニオンプロレス』と改称し、独立団体として活動を開始する。
同年12月、ノーロープ有刺鉄線ランバージャック猛毒マムシデスマッチが行われ、プロレスマスコミにも取り上げれ話題になるが、地元以外での興行に苦戦し、1995年4月28日千葉の流山市民総合体育館でラストマッチを行い活動停止。
2005年6月29日、DDTの後楽園ホール大会で澤田が再旗揚げを宣言。当時のDDT社長一宮章一は難色を示していたが、8月14日和解。 DDT所属レスラーの石川修司やチェリー、フリーのisami、726が正式所属となる。11月3日、再旗揚げ戦「Revival」が新木場1stRINGにて慣行。
ユニオン・レフィリーの武井匡が裏切り、ユニオンvs小笠原和彦の率いる空手軍団が勃発。度重なる抗争のすえ空手軍団と和解し、武井はミスター雁之助と武井軍団を結成し抗争。ユニオン全指揮を武井に乗っ取られる。澤田は助っ人として後藤達俊とタッグを組む。
2007年、電気ウナギやサソリなど数々のデスマッチを終えたポイズン澤田と武井は話し合いをし、武井はユニオン勇退を発表。ユニオン新代表としてナオミ・スーザンが選ばれる。澤田はマムシデスマッチで死んだ何匹かのマムシを供養するためボルネオ島へあるヘビ塚へ旅立つためユニオンを離脱する。
新体制で開始したユニオンは石川を中心にしたユニオン軍が新たにU-FILE軍と抗争を開始した。
[編集] 所属選手
ユニオン・プロレス軍
M.E.K.A
- メカマミー
- メカマミーLite
U-FILE
- 佐々木恭介 (フリー)
- 柴田正人 (STYLE-E)
- 田村和宏(STYLE-E)
- 正岡大介
- 根本薫
- 小杉研太
- 柴山貴哉
その他
過去の所属・参戦選手
- TOSHI
- ミスター・ポーゴ (空手ポーゴ)
- 空手マミー
- メカゴロー (鶴見五郎)
- 鈴木健想 (男色ゲイ想)
- メカヒロコ (鈴木浩子)
- 武井匡(元・ユニオン代表)
- ミスター雁之助
- 大矢剛功
- 奴隷壱号
- 小笠原和彦(押忍闘夢、創天会所属)
- 松崎和彦(創天会所属)
- 後藤達俊 (無我所属)
- ポイズン澤田 (一時離脱中)
- 会場代表(元・ユニオン代表)
- 大家健(YAGOプロレス所属)
- 昭和
[編集] 外部リンク
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