ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト
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ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト(Johan van Oldenbarnevelt, 1547年9月14日 - 1619年5月13日)は、オランダの政治家。
1567年 - 1570年、フランス、ドイツ、イタリアで法学を学び、ハーグで弁護士になった。ネーデルラントのスペインへの反乱に参加し、ヴィレム1世に協力した。1576年 - 1586年にはロッテルダムの市議会議長、ホラント州議会議長、ついで連邦議会議長となり、ユトレヒト同盟の結成に尽力。、ヴィレム1世亡き後の同盟を指導し、ヴィレム1世の子マウリッツとともにオランダを独立に導いた。1596年にフランスと同盟し、さらにイングランドとむすんでスペインに対抗し、1609年にスペインとの十二年の休戦条約を締結するなど外交手腕を発揮した。オランダ東インド会社を成立させて貿易を振興し、州分権を主張して権力集中を防ぎ、都市貴族・大商人階層による政治支配を完成した。国内を二分したアルミニウスの支持者と改革長老教会との宗教論争では、オルデンバルネフェルトはより寛容で偏見のない前者に与したため政治闘争にまで発展し、論争を鎮圧し国内を統一させることをねらったマウリッツによりオルデンバルネフェルトは逮捕され、ビンネンホフにおいて反逆罪で処刑された。