ハノーヴァー朝
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ハノーヴァー朝(ハノーヴァーちょう、英語:House of Hanover 、ドイツ語:Haus Hannover )は、1714年から1917年におけるイギリスの王朝。ドイツのヴェルフ家の流れを汲む。ステュアート朝からイギリス王位を引き継ぐ。1692年に成立したハノーファー公国(選帝侯国、後に王国)の君主も兼ねて同君連合体制をとる、ハノーファーではサリカ法典に基づき女子の継承を認めていなかったため、1837年のヴィクトリア女王のイギリス王即位をもって同君連合を解消し、ハノーファー王家はイギリス王家から分枝した。
1901年のヴィクトリアの死後は、彼女の夫(王配)であったアルバート公の家名を取って、サクス=コバーグ=ゴータ朝と称される。第一次世界大戦中に、敵国ドイツの領邦ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家と家名を改称した。そのため、1917年までをサクス=コバーグ=ゴータ朝、以後は現在の女王エリザベス2世までをウィンザー朝と称するが、ヴィクトリアの血統が断絶したわけでないため、これらの王朝はハノーヴァー朝の継続と見なされることもある。
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[編集] 歴史
アン女王の逝去によってステュアート朝は断絶、王位継承法によって1714年、ステュアート家のジェームズ1世の曾孫に当たる、ドイツのハノーファー選帝侯ゲオルクが王として招かれ、グレートブリテン王兼アイルランド王ジョージ1世となった。グレートブリテン王国とアイルランド王国は1801年に合同してグレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立し、ジョージ3世が最初の国王となった。1837年、ヴィクトリアの即位によりハノーファー王国との同君連合を解消した。
初期の王がドイツ出身で英語が話せず、イギリスの政治事情にも不慣れで、むしろ大陸ヨーロッパの情勢に関心が向いていたことから、有力な閣僚に国政を委ねる議院内閣制がこの時代に確立されていった。
また、前王朝時代に始まるフランスとの対立は、ナポレオン戦争が終結するまで100年以上に及んだ。これは第二次英仏百年戦争と総称されることもあるが、一連の戦争においてはアメリカ独立戦争を除いて全てイギリスが勝利し、イギリスはヨーロッパ随一の強国として国際関係の主導的立場にたった。
[編集] 歴代君主一覧
[編集] グレートブリテン国王兼アイルランド国王
- ジョージ1世 (1714年 - 1727年) ハノーファー選帝侯ゲオルク1世ルートヴィヒ(1689年 - )
- ジョージ2世 (1727年 - 1760年) ハノーファー選帝侯ゲオルク2世アウグスト
- ジョージ3世 (1760年 - 1800年) ハノーファー選帝侯ゲオルク3世
[編集] グレートブリテンおよびアイルランド連合王国国王
- ジョージ3世 (1801年 - 1820年) ハノーファー選帝侯(王)ゲオルク3世
- 1814年にハノーファー選帝侯国は王国に昇格した。
- ハノーファーはサリカ法典に基づき女王の即位を認めていなかったため、ハノーファー王位はカンバーランド公アーネスト(エルンスト・アウグスト)が継承し、同君連合は解消された。
なお、どの君主も例外なくドイツの小国から王妃や王配を迎えている。
[編集] 関連項目
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