ヴィエンチャン
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ビエンチャン(Vientiane(英語、フランス語など)、(ラオ語)、เวียงจันทน์(タイ語))は、ラオスの首都。
ビエンチャンはヴィエンチャン都のうち、首都機能を持つ、チャンタブリー郡、シーコッタボーン郡、サイセーター郡、シーサッタナーク郡、ハートサーイフォン郡をさして言う。
ビエンチャン(あるいはヴィエンチャン)と書くが、ラオス語のローマ字における「V」は日本語におけるワ行であるため、ウィエンチャンと書くのがより現地の発音に近い。
ヴィエンチャン都、ヴィエンチャン県についてはそちらを参照のこと。
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[編集] 地理
メコンはビエンチャンに至るまで渓谷を流れ下っているが、ビエンチャンから下流では河岸平野を形成している。メコンの左岸にビエンチャンの市街が、右岸にタイの国土が広がる。河口からの距離は1600km弱。同国の交通の中心となっている。人口は推計20万人(2005)。
[編集] 歴史
ビエンチャンの街は12世紀に既に形成されていた。セーターティラート王が1560年にビエンチャンをラーンサーン王国の首都として定めた。1707年、ラーンサーン王国が分裂した際、ヴィエンチャン王国の首都とされた。1779年、チャクリー王国(現在のタイ)のチャオプラヤー・チャックリー将軍(チュラーローク王=のちチャクリー王朝のラーマ1世)に征服され、チャクリー王国の領土となる。1827年、アヌ王がクーデターに失敗した際、シャム軍に滅ぼされる。1893年、ラオスがフランスの保護国となり、1899年に再びラオスの首都とされた。
[編集] 交通
メコン川をはさんでタイのノーンカーイ県の国境に面していて、ビエンチャンの郊外から対岸のタイ領へ行く船が出ており、ビエンチャンの住民はビザ無しでノーンカーイまで行くことが国際協定によって許されている。ノーンカーイには、タイ=ラオス友好橋を渡っても行くことができ、ヴィエンチャン発バンコク行きなどの国境を超えるバスも運行されている。
[編集] 主な建築物
- パトゥーサイ
- タート・ルアン
[編集] 教育
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ラオス政府観光局 ヴィエンチャン (日本語)
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