ヴィルヘルム・オストヴァルト
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フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト(Friedrich Wilhelm Ostwald, 1853年9月2日 – 1932年4月3日)はドイツの化学者。1909年、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した。
[編集] 略歴
1853年、ロシア領のリガ(現在はラトビア領)で酒屋の主人の息子として生を受ける。
1875年にエストニアのタルトゥ大学を卒業した後、1875年から1887年までの間、リガ工業大学で教鞭をふるった。1887年から1906年まで、ライプツィヒ大学で教授を務めた。
1885年には電離などに関係のあるオストワルトの希釈律を発見した。また触媒の研究を行い、肥料や爆薬の大量生産を可能にした硝酸の製法であるオストワルト法を考案した。この方法は現在でも硝酸の工業的製法として重要である。原料であるアンモニアを得るために、ハーバー・ボッシュ法と同時に行われることが多い。
化学でよく使われるモルという言葉の語源は、1900年ごろ、オストヴァルトが最初に用いたといわれている。オストヴァルトは、モルは理想気体と大きく関係していると考えた。しかし皮肉なことに、このモルの概念を思いついたことが直接、マッハらと原子論への反対を示す原因となった。
オストヴァルトは、化学者だけでなく、哲学者の一面も持ち合わせていた。また晩年には色彩に非常に興味をもち、オストワルトシステムと呼ばれる優れた色彩の評価方式を考えだした。
紙の寸法のA判の比 は、オストワルトが考案したものといわれている。