三原王
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三原王(みはらのおおきみ、生年不詳 - 天平勝宝4年(752年7月10日))は、奈良時代の皇族。知太政官事舎人親王の王子で、天武天皇の孫に当る。官位は中務卿正三位に昇る。御原王とも。
王は弾正尹を務めた後、740年藤原広嗣の乱勃発に際し、伊勢神宮に奉幣の為、治部卿として派遣される。その後大蔵卿、中務卿を歴任し749年正三位に昇る。3年後の752年薨去。
王の王子小倉王・石浦王の子孫は清原氏として栄え、清原深養父・清原元輔・清少納言等高名な歌人がいる。
[編集] 略年譜
- 養老元年(717年)1月4日 初叙、従四位下
- 養老元年(717年)10月12日 増封
- 天平元年(729年)3月4日 従四位上
- 天平9年(737年)12月23日 弾正尹
- 天平12年(740年)9月11日 伊勢神宮に奉幣の為派遣される
- 天平18年(746年)3月 大蔵卿
- 天平18年(746年)4月22日 正四位下
- 天平19年(747年)1月20日 正四位上
- 天平20年(748年)2月19日 従三位
- 天平20年(748年)4月21日 元正上皇崩御の際、山作司となる(陵墓造営取締官)
- 天平勝宝元年(749年)8月10日 中務卿(中宮卿とする説もある)
- 天平勝宝元年(749年)9月6日 王女、小宅女王が斎宮となる
- 天平勝宝元年(749年)11月26日 正三位
- 天平勝宝4年(752年)7月10日 薨去
- 天平勝宝7歳(755年) 王子の和気王と細川王が岡真人の姓を賜り臣籍降下
- 天平宝字3年(759年) 和気王皇籍復帰
[編集] 血縁
- 父:舎人親王
- 母:当麻山背(父:当麻真人老)
- 王子
カテゴリ: 飛鳥・奈良時代の皇族 | 万葉歌人 | 752年没