三条家
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三条(さんじょう)家は、藤原氏北家閑院流の嫡流にあたる公家で、家格は清華家。家紋は唐菱花(三条花角、三条家花角とも言う)を使用。大臣家の正親町三条家、三条西家を筆頭に分流も多くある。
三条家は藤原公実の二男実行を祖とする。実行は、三条の他、八条とも称したが、子の公教、孫の実房の嫡流が京都三条の北、高倉に邸を構えたことから、家名が定まった。実房の後、嫡流は長男の公房が継ぎ三条を称したが、三男の公氏も三条を称したため、嫡流を転法輪三条(てんぽうりん-)、公氏の流を正親町三条と呼び区別した。 代々、笛と装束の調達を家業とした。天文二十年(1551年)、9月1日、三条公頼は山口の大内義隆の元に滞在中、 義隆家臣の陶晴賢の反乱に巻き込まれ、殺害されてしまった。三条公頼には息子がいなかったため、一時は三条家は断絶してしまった。しかし、その後に分家の正親町三条実教が三条家を継いだ。しかし、彼にも息子がおらず、 次には三条西実綱が継いだが、彼も二十歳で早世してしまい、三条西公広が継ぐことになった。 幕末、明治に活躍した公卿の三条実万、三条実美父子はこの一族の出である。
[編集] 主な人物
- 三条実行(1079年-1127年)
- 三条公教(1103年-1160年)
- 三条実房(1147年-1225年)
- 三条公房(1179年-1249年)
- 三条公敦
- 三条実香(1467年-1558年)
- 三条公頼(1495年-1551年)
- 三条実教
- 三条西実綱
- 三条西公広
- 三条実万(1802年-1859年)
- 三条実美(1837年-1891年)
- 三条公美(1875年-1914年)
- 三条実憲(1902年-1924年)
- 三条公輝(1882年-1945年)
- 三条実春(1914年-1990年)
[編集] 系譜
凡例 太線は実子。細線は養子。
実行 ┣━━━┳━━━┓ 公教 公行 公宗 ┣━━━┳━━━┓ 実房 実国 実綱 ┣━━━┳━━━┓ 公房 公宣 公氏 ┃ 実親 ┃ 公親 ┃ 実重 ┃ 公茂 ┃ 実忠 ┃ 公忠 ┃ 実冬 ┃ 公量 ┃ 実量 ┃ 公敦 ┃ 実香 ┃ 公頼 | 実綱 | 公広 ┃ 実秀 ┃ 公富 ┃ 実治 ┣━━━┓ 公兼 公充 ┃ 実顕 ┃ 季晴 ┃ 実起 ┃ 公修 ┃ 実万 ┣━━━┓ 公睦 実美 ┣━━━┓ 公美 公輝 ┃ ┃ 実憲 実春
[編集] 関連項目
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