上杉佐一郎
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上杉 佐一郎(うえすぎ さいちろう 1919年4月16日 - 1996年5月10日)は福岡県出身の部落解放運動家。
尋常小学校高等科卒業後、国鉄への就職試験に3度失敗し、家出生活を送っていたところ、騙されて北海道のタコ部屋に売り飛ばされ、重労働を経験。1934年、松本治一郎に救われて九州鉄道(西鉄)に入社。出征と復員の後、西鉄労働組合の役員となる。
1948年、部落解放運動に参加。部落解放同盟福岡県連合会常任を経て、1956年に同県連書記長となる。1963年、部落解放同盟中央執行委員。1968年、同書記長。同年、当時の福岡県知事亀井光との団交中、亀井を殴って全治1週間の怪我を負わせたが、警察には上杉の部下の木村政男が身代わりで出頭。その論功行賞により、木村を部落解放同盟福岡県連合会小倉地区協書記長に抜擢したという経緯もあった。このため、1981年、木村が北九州土地転がし事件で2億7000万円の不正な利益を手に入れて社会から指弾を受けた時にも、上杉は木村をかばい続けたといわれる[1]。
1982年、部落解放同盟中央執行委員長に就任し、死ぬまでこの地位にあった。1987年、反差別国際運動(IMADR)を組織して委員長に就任。
1991年11月29日、「事情の良く判らない海外の関係者に、あたかも部落解放同盟が暴力団体であり、利権団体であるかのような宣伝を繰り返し行った」との理由により、全国部落解放運動連合会と部落問題研究所を名誉毀損で提訴。しかし部落問題研究所と全国部落解放運動連合会は、この裁判を"「解同」暴力糾明裁判"と呼び、部落解放同盟の犯罪行為を法廷で追及。結局、1994年に部落解放同盟の側から提訴を取り下げたため、部落問題研究所は「暴力・利権集団であることを解同自らが認めた」「解同側の全面的な敗北宣言」との声明を発表した。
山崎拓の愛人スキャンダルの中心人物となった山田かな子は、上杉の庶子であるとの説がある。
[編集] 脚注
[編集] 著書
[編集] 参考文献
- 『人間解放─上杉佐一郎七十余年の生きざま』解放出版社、1994年 ISBN 4759290524
- 部落解放同盟中央本部編『上杉佐一郎伝』解放出版社、2002年 ISBN 4759244123