部落解放同盟
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部落解放同盟(ぶらくかいほうどうめい)とは、被差別部落の解消を目的とした大衆団体である。略称は「解放同盟」。「解同」という俗称もある。
1922年、大正デモクラシーの空気の中で、全国水平社が結成された。戦前の運動は、1940年の大会で国歌斉唱・宮城遥拝・英霊に対する黙祷で幕を下ろすまで続けられた。
戦後の部落解放運動は、自由民主党系の全国自由同和会、日本共産党系の全国部落解放運動連合会(全解連)、そして1955年結成の部落解放同盟に分かれて推進されることになる。
日本共産党は、階級闘争至上主義の立場から、労働者階級が解放されさえすれば部落問題は解決するものとし、身分闘争として部落解放運動を推進しようとする部落解放同盟に敵対した。部落問題を解決しようとする立場から部落解放同盟と対話するのではなく、部落解放同盟の誤りを暴露する立場に立ったのであった。
部落解放同盟と、日本共産党の対立が爆発したのが、1974年に起きた八鹿事件である。兵庫県立八鹿高等学校で、部落解放同盟系の生徒が部落解放研究会を結成しようとしたのを、日本共産党系の教師が阻止したことから、部落解放同盟が組織的に乗り出し、研究会の結成を阻止した教師たちを体育館に集めて吊るし上げたのであった。部落解放運動は怖い、とのイメージから、地元神戸新聞もこの事件をリアルタイムで報道しようとしなかった。日本共産党はこれらの事件を大々的に取り上げ、部落解放同盟を同和利権として叩いている。
部落解放運動の草創期には、「言った・言わない」による暴力的な確認・糾弾が行われることもあった。しかし、現在の確認・糾弾は、差別者が開き直りでもしない限り吊るし上げになることはない。被差別者が、地域・職場・学校にいられなくなるような悪質な差別にのみ対応し、部内で育成した臨床心理士が、いつ・どのようにその差別者が差別意識を形成したのかを明らかにし、誤りを正し、差別を許さない人間に成長してもらう教育の場と位置付けられている。
日本共産党は、部落問題は既に解決しているとして、最近全解連を解散し、人権一般を扱う団体に衣替えした。部落解放同盟も、部落のみならず、障害者解放など社会的少数者全般の権利を擁護するとのスタンスに変わりつつあるが、部落問題を最終的に解決するのは行政の責任だとする立場は堅持している。
日本共産党との関係から、部落解放同盟は、かねてから日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合との関係を重視してきた。現在は、民主党との関係が深いが、小森龍邦・部落解放同盟元書記長は、新社会党委員長を務めていた。また、逢沢一郎や谷畑孝など、自民党所属議員も「解放推進議員」として積極的に支持・支援している。
1999年4月30日、広島県教育委員会は、県立校長の自殺の背景に解放同盟県連や教職員組合の「圧力」があったとする調査結果を発表した。