中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
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中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(なかはらていじろうきねんあさひかわしちょうこくびじゅつかん)は、北海道旭川市にある美術館。旭川市ゆかりの彫刻家・中原悌二郎の数々の作品のほか、彫刻に関連した作品の展示や企画展・講座などを開催している。
美術館の建物は1994年に彫刻美術館として開館する以前は、旭川市立旭川郷土博物館として使用されており、さらにそれ以前は旧陸軍第7師団の旭川偕行社として使用されていた建造物である。建物自体は「旧旭川偕行社」としても知られ、1989年に国の重要文化財に指定されている。
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[編集] 概要
美術館は中原悌二郎の彫刻作品を中心として多くの彫刻作品を収蔵。中でも「若きカフカス人」は中原の代表作である。1970年には旭川市がすぐれた彫刻作品に贈る賞として「中原悌二郎賞」を創設。旭川市で贈呈式などが行われ、2003年からは隔年開催となった。館内にはこの中原悌二郎賞を受賞した作品の数々も常設展として展示されている。その他、子ども彫刻教室や彫刻写真展など彫刻にまつわる事業も実施。全体として「彫刻のまち旭川」を前面に押し出したテーマとなっている。
2002年7月には彫刻清掃ボランティアの会「旭川彫刻サポート隊」を発足。旭川市内にある彫刻の清掃と彫刻の鑑賞会などを無償で行っている。その他館内に設置されている喫茶店やミュージアムショップの係員もボランティアによるものであり、こちらはボランティアの会「みゅうず」によって活動が行われている。2005年7月30日には館内でミュージアムコンサートが開催され、旭川古楽コンソートによる演奏が行われた。また、美術館には井上靖記念館が隣接している。
[編集] 沿革
1896年、北海道札幌市に陸軍第7師団が主に屯田兵を中心として設置された。それから4年後に第7師団は札幌市から旭川市に配置を移すこととなり、陸軍建築部の指揮の下、師団の生活する家屋とともに1902年に竣工した。木造二階建てで半円形の玄関など、当時の北海道としては珍しい先進的な洋風クラブの建築物であった。この建物は、師団将校達へ向けた集会所・社交場や迎賓館となる目的で建設されたもので、当時は建物前庭の入口に門も取り付けられていた。往時には、皇太子時代の大正天皇や昭和天皇の行在所としても使用され、威厳があった。
その後1945年に第二次世界大戦で日本は敗戦。終戦当時はアメリカ軍の将校達が集まる将校クラブとして使用された時期もあったという。旭川偕行社は1949年に、管理元を国から旭川市へ移譲となり、周辺学校の仮校舎として使用されるなどした。1968年、建物は建てられて間もない初期の外観を復元するために修復工事が行われ、旭川市立旭川郷土博物館として新たに開館した。
1993年に郷土博物館が新しく完成した旭川大雪クリスタルホールへと移転することが決定。そのため歴史ある建物を残し、活用するために旭川市にゆかりのある彫刻家・中原悌二郎を記念する施設への転用が提案され、翌1994年6月1日に現在の中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館へと生まれ変わった。1989年5月19日、その建物の歴史やデザインなどが認められ、国の重要文化財に指定された。旭川市において重要文化財に指定された建物としては初であり、同時に唯一のものとなっている。2002年には旧旭川偕行社が建設されてから100周年を迎え、「旧旭川偕行社」100年記念展を実施した。
[編集] 施設概要
- 所在地:北海道旭川市春光5条7丁目
- 開館時間:午前9時~午後5時
- 休館日:毎週月曜及び年末年始
美術館には井上靖記念館が隣接しており、共通券を購入することで双方の施設を見学することができる。