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昭和天皇 - Wikipedia

昭和天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和天皇しょうわてんのう1901年(明治34年)4月29日1989年(昭和64年)1月7日)は、日本の第124代天皇。名は裕仁ひろひと)。印は若竹(わかたけ)。生没年が確認されている天皇で、神話上を除き、在位期間および享年が最長である。

昭和天皇
昭和天皇

目次

[編集] 称号

本来別の元号が予定されていたが、正式発表前に外部に漏れ、新聞に発表されてしまったたため昭和に変更されたと伝わる(光文事件)。

  • 追号
    • 在位中の元号である昭和より昭和天皇と追号された。

[編集] 皇子女

香淳皇后との間には7人の子供に恵まれた。(以下誕生順)

[編集] 生涯

香淳皇后とともに
香淳皇后とともに
1946年、国民を前にバルコニーで手を振る昭和天皇。隣は香淳皇后。人間宣言のパフォーマンスの一つであった。
1946年国民を前にバルコニーで手を振る昭和天皇。隣は香淳皇后人間宣言のパフォーマンスの一つであった。

[編集] 主な出来事

[編集] 田中義一首相を叱責

満州某重大事件の責任者処分に関して、田中義一内閣総理大臣は責任者を厳正に処罰すると昭和天皇に約束したが、軍や閣内の反対もあって処罰しなかった時、天皇は「それでは前の話と違うではないか」と田中の食言を激しく叱責した。その結果、田中内閣は総辞職、恐懼した田中は程なく死去したとされる。この事件は、天皇に、立憲君主制の下で、その後の政治的関与を臆病にさせたエポックメーキングな出来事であった。なお『昭和天皇独白録』には、「辞表を出してはどうか」と天皇が田中に辞職を迫ったという記述があるが、当時の一次史料(『牧野伸顕日記』など)を照らしあわせるとそこまで踏み込んだ発言はなかった可能性が高い。

[編集] 天皇機関説事件

1935年天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、昭和天皇は侍従武官長本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇機関説で良い」と言った。 昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通説であり、昭和天皇自身、「美濃部は忠臣である」と述べていたにもかかわらず、直接・間接にはなんら行動を起こすことはなかった。機関説に関しての述懐を、昭和天皇のリベラルな性格の証左としながら、同時に、美濃部擁護で動かなかったことを君主の非政治性へのこだわりとする記述は、しばしば見られるが、現実にはそれほど単純でない。

機関説は、国家法人説と呼ばれるドイツの学説に由来するが、この学説は国家の本質を「法人」とする点において主権及び主権者の存在をあいまいにする意図をもった学説であり、当時すでに、後発資本主義国であり、外見的立憲主義の典型とされていたドイツにおいてさえ「時代遅れ」とされていた。しかし、戦前期の日本においては、天皇を国家の一機関として観念するという点において、社会科学的思考と結びつく側面をもつと同時に、吉野作造の「民本主義」と並んで護憲運動や大正デモクラシーの理論的バックボーンを演じていたことは、日本資本主義がドイツよりもさらに後発であることと立憲主義がさらに外見的であったことを反映していた。しかし、昭和天皇がそこまでの理解を持っていたかは疑問である。昭和天皇の理解していた機関説は、「一機関」としての性質を強調する一木-美濃部ラインのものではなく、有機体の「頭部」であることを強調する、清水澄の学説に近かったとする説もある。

[編集] 二・二六事件

1936年に起きた陸軍皇道派青年将校らによる二・二六事件の際、本庄大将の「彼らも国を憂いて起こした行動で必ずしも咎めるものではないかと存じます」との進言に、昭和天皇は怒りも露に「朕が頼みとする股肱の老臣を殺害する、かくの如き凶暴の将校の精神に何ら許すべきものがあると言うのか。老臣たちを悉く倒すは朕が首を真綿で締めるに等しき行為ではないか」、さらに「お前達がやらぬなら朕自ら近衛師団を率いてこれを鎮圧に当たらん」と発言したとされる。この事は「君臨すれども統治せず」の立憲君主の立場を採っていた天皇が、政府機能の麻痺に直面し初めて自らの意思を述べたとも言える。これによって決起軍は反乱軍と認定され、事件は速やかに解決に向かったのである。この時の発言を、太平洋戦争終結のいわゆる“ご聖断”と合わせて、「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」とか「あの時はまだ若かったから」と後に語ったと言われている。なお、1975年にエリザベス女王が来日した際、首謀者真崎甚三郎の息子を昭和天皇は自らの通訳に選んでいる。

[編集] 真珠湾攻撃・開戦詔勅

1941年9月6日御前会議で、対米戦は避けられないものとして決定された。御前会議では発言しないことが通例となっていた昭和天皇はこの席で敢えて発言をし、明治天皇御製の

「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」
(四方の海はみな兄弟と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。)

という短歌を詠み上げた。

昭和天皇自身は開戦には反対であったと言われている。しかし、戦争が始まった後の1941年12月25日には日本軍の勝利を確信して、「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむ」と語ったと小倉庫次の日記に記されている。

[編集] 戦争指導

1943年6月24日、戦艦武蔵に行幸した昭和天皇(中央)
1943年6月24日戦艦武蔵行幸した昭和天皇(中央)

1945年1月、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ「講和へ向けての意見具申」があった。その時に昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか難しい話だと思う」と発言した(『木戸幸一日記』)。この発言が木戸幸一日記の発表によって明らかになったとき、講和よりも戦争の継続に傾かせた「重大な発言」として報道され、敗戦を遅らせたのではないかと疑われた。特に、「もう一度戦果を」という発言が沖縄戦という悲惨な地上戦に至ったのではないかと議論された。一方で、実際のところは戦時における昭和天皇の発言は不利な戦局の実態を冷静に探ろうとするものが大半であったとする見方もある。

[編集] 新日本建設に関する詔書

1946年1月1日新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)を煥発。この詔書はGHQの指導下にあったマスコミにより天皇の神格否定として喧伝され、国民に大きな衝撃を与えた。しかし、事実は天皇の神格否定と言うことはできない。この後も天皇への国民の敬意が薄れることはなかった。

[編集] 外遊

アメリカ合衆国大統領ジェラルド・R・フォード夫妻(右から1人目が大統領ジェラルド、右から3人目が大統領夫人ベティ・フォード)と昭和天皇(右から2人目)、香淳皇后(右から4人目)。1975年10月2日、アメリカ合衆国にて
アメリカ合衆国大統領ジェラルド・R・フォード夫妻(右から1人目が大統領ジェラルド、右から3人目が大統領夫人ベティ・フォード)と昭和天皇(右から2人目)、香淳皇后(右から4人目)。1975年10月2日、アメリカ合衆国にて
アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン夫妻(左が大統領夫人ナンシー、中央が大統領ロナルド)と昭和天皇(右)。1983年11月9日、東京都にて
アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン夫妻(左が大統領夫人ナンシー、中央が大統領ロナルド)と昭和天皇(右)。1983年11月9日東京都にて

皇太子時代の1921年3月3日から同年9月3日までの間、イギリスフランスベルギーイタリアバチカンなどを公式訪問した。これは史上初の皇太子の外遊であり、国内には反対意見も根強かったが、山県有朋西園寺公望などの元老らの尽力により実現した。出発は新聞で大々的に報じられた。お召し艦には巡洋艦香取が用いられた。イギリスでは日英同盟のパートナーとして大歓迎を受け、ジョージ5世国王やロイド・ジョージ首相らと会見した。イタリアではヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王らと会見した他、各国で公式晩餐会に出席したり、第一次世界大戦当時の激戦地などを訪れた。後に昭和天皇はこの外遊が非常に印象的であったと述べている。

1971年には再度イギリスやオランダ、スイスなどヨーロッパ諸国7カ国を訪問したが、退役軍人が多いイギリスとオランダでは、彼らの抗議活動に遭遇することになった。

また、1975年にはアメリカ合衆国を公式訪問し、ワシントンD.C.ロサンゼルスを訪問した。ロサンゼルス滞在時にディズニーランドを訪問し、ミッキーマウスの腕時計を購入したことが話題になった。

[編集] 行幸

戦後は1946年2月から約9年かけて日本全国を巡幸し、各地で国民の熱烈な歓迎を受けた。三池炭鉱の地下深くや満州からの引揚者が入植した浅間山麓開拓地などにも赴いている。行幸先でのエピソードも非常に多い。

北海道を含む46都道府県を巡幸するも、沖縄巡幸だけは沖縄が米軍の占領下にあったため果たすことができず、死の床にあっても沖縄巡幸を行えないことを悔やんでいた。「思はざる病となりぬ沖縄をたづね果たさむつとめありしを」との御製が伝わり、深い悔恨の念が思われる。

また、1964年東京オリンピック1970年大阪万国博覧会、バブル経済前夜の1985年つくば博の開会式にも出席している。これらイベントの成功にどれほど寄与したか正確にはかることはとても不可能であるが、大きな影響を、特に敗戦から立ち直りかけた時期のイベントである東京オリンピックの成功には大きな影響を与えたと言えよう。病臥の直前の1987年秋にも、沖縄国体への出席が予定されていた。

このほか、皇太子時代から大変な好角家であり、戦前戦後合わせて五十一回も国技館に天覧相撲に赴いている。特に戦後は1955年以降、病臥する1987年までに四十回、ほとんど毎年赴いている。1959年には天覧試合として、プロ野球の巨人-阪神戦いわゆる「伝統の一戦」を観戦している。天覧試合に際しては当時の大映の永田社長がこれを大変な栄誉としてとらえる言を残しており、相撲、野球の振興に与えた影響は計り知れないと言える。

[編集] 徳仁親王の結婚に反対

天皇は明仁皇太子の若宮たちの正配選びにも神経を使っていた。徳仁親王が小和田雅子との結婚を望んでいるとの噂を耳にした折には、小和田が病気そのもののみならず、再三にわたり問題の解決が妨害される[1]など事件の展開においても日本史上最悪の公害病である水俣病を引き起こしたチッソ江頭豊の孫に当たることからこれに強く反対し、存命中は雅子の入内を決して許さなかった。江頭は自身にも患者に暴言を吐くなどの行為があったと言われる。この時は重臣の後藤田正晴も「皇居に莚旗が立つ(当時、患者とその家族は「怨」と大書した旗を掲げデモをしていた)」と患者の憎悪が皇室に向くことを警告し反対したため雅子は一時親王妃候補から外された。しかし親王は側近を欺いて皇居を抜け出すなどして雅子と交際を続け、昭和天皇崩御後の1993年、親王妃候補に復帰していた同人と結婚した。

[編集] 「崩御」前後

昭和60年代に入って病臥すると、各地に病気平癒を願う記帳所が設けられたが、どこの記帳所でも多数の国民が記帳を行った。病臥の報道から一週間で記帳を行った国民は235万にものぼり、最終的な記帳者の総数は900万人に達した。 1988年9月19日に吐血してから翌年1月7日崩御するまでの期間は、テレビなどでバラエティの派手な演出等が不謹慎であるという理由で自粛になった。これも不謹慎ながら、自粛は同年の流行語になってしまってもいる。このほか、病状に変化があった際は直ちに報道特番が流され、人気番組でも放送が中断されることがあった。 [2]

このほか、多数のCMが所謂自粛バージョンになっている。 昭和天皇が病気で倒れた後は暫くの間、公式行事や儀式、歌舞音曲を伴う行事が自粛された。

1月7日朝6時35分に危篤報道があり(実際は6時33分に崩御)、NHKをはじめとする各放送局は一斉に特別報道体制に入った。この時NHKでは青地に黄色の丸ゴシック体で「臨時ニュース」というテロップと共にチャイムを鳴らした。7時55分、藤森昭一宮内庁長官(当時)が「天皇陛下におかせられましては、本日午前6時33分吹上御所にて崩御あらせられました」と発表。直後NHKでは黒字に白の楷書体の手書き筆字で「天皇陛下崩御」というテロップに切り替わり、チャイムが鳴らされた。このときのチャイムは「a'8 e''8 cis''8 a'8 e''8 a'8 e''8 cis''8 a'8 e''8 cis''8 e'8 a'8 a'8 e''8 cis''8 e'8 a'2」というものであった。(これは近年地震等の臨時ニュースにおいてNHKで用いられるチャイム「a'8 e''8 cis''8 a'8 e''8 a'8 e''8 cis''8 a'8 e''8 cis''8 e'8 a'2」よりも終わりが5音多い。)同日14時36分に新元号発表の記者会見が始まる冒頭には、記者会見場に入場する小渕恵三内閣官房長官(当時)の映像をバックにスーパーインポーズで「新元号決まる」というテロップが表示され、再び同じチャイムが鳴らされた。小渕が着席し、「ただいま終了しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、平成であります」と言って額に入った「平成」の文字のしたためられた色紙を掲げた。このエピソードから小渕は「平成おじさん」と称されることになった。この新元号は毎日新聞が最も早く報じ、「リベンジを果たした」と光文事件と結びつけた報道がなされた。

危篤発表直後および崩御発表から翌1月8日終日まではNHKおよび民放各局が特別報道体制に入り、CMの自粛、昭和天皇の業績を偲ぶ番組、崩御報道を受けてのニュースなどが放送された。7日の新聞朝刊には通常のニュースや通常のテレビ番組編成が掲載されていたが、号外および夕刊には各新聞ほとんど最大級の活字で「天皇陛下崩御」と打たれ、テレビ番組欄もほとんど白紙に近いものが掲載された。特別報道体制内の番組(前年末からの危篤報道を受けてあらかじめ製作していたもの)にて昭和史が回顧され「激動の昭和」という言葉が繰り返し用いられ、以後定着した。日付の切り替わる前には「昭和が終わる」ことに思いを馳せた人々が町の時計塔の写真を取る、二重橋などの名所に佇み日付変更の瞬間を待つなどの姿が報道された。

翌日から新聞活字には「平成元年」の文字が初めて現れることになった。昭和64年は7日間しかなかったため、現行の硬貨で昭和64年と記載されたものは希少であるとされる。実際、流通しているところはほとんど見られない。

2月24日大喪の礼が執り行われ、武蔵野陵に埋葬された。

崩御後、それまで天皇誕生日であった4月29日はみどりの日という国民の祝日となった。2007年からは、昭和の日に祝日名称が変更された。

[編集] 各地の記帳所、記帳所の設置された場所

  • 皇居前記帳所
  • 千葉県民記帳所
  • 福岡市庁舎内記帳所
  • 東京都大島町 天皇陛下病気お見舞い記帳所

※同町は伊豆大島に存在し、前年には三原山噴火という天災に見舞われたばかりであった。

[編集] 関連項目

[編集] エピソード

[編集] 皇太子時代

  • 幼少時、養育係の足立たか(後の鈴木貫太郎夫人)を敬慕し、多大な影響を受けた。学習院初等科時代、「尊敬する人は誰か?」という教師の質問に対し、生徒の全員が「明治天皇」の名を挙げたのに対し、裕仁親王一人だけ「源義経」の名を挙げた。教師が理由を聞くと、「おじじ様(明治天皇)の事はよく知らないが、義経公の事はたかがよく教えてくれたから」と答えたという。
  • 初等科時代の学習院院長・乃木希典を「院長閣下」と呼び尊敬していた。ある人が「乃木大将」と乃木を呼んだのに対し、「それではいけない。院長閣下と呼ぶように」と注意したという。大正元年(1912年)の乃木殉死の日、乃木の「これからは皇太子として、くれぐれも御勉学に励まれるように」との訓戒に対し、裕仁親王は「院長閣下はどこに行かれるのですか?」と質問した。乃木の殉死に薄々感づいていたのかもしれない。
  • 学習院時代、学友たちがお互いを名字で「呼び捨て」で呼び合うことを羨ましがり、御印から「竹山」という名字を作り、呼び捨てにしてもらおうとした(実際、この皇太子の提案に学友が従ったかどうかは不明)。
  • 皇太子時代にイギリスを訪問したときロンドンの地下鉄に初めて乗った。このとき改札で切符を駅員に渡すことを知らず、切符を取り上げようとした駅員ともみ合いになり(駅員は、この東洋人が日本の皇太子だとは知らなかった)、とうとう切符を渡さず改札を出た。
  • この外遊に際して理髪師大場秀吉が随行。大場は天皇の即位後も専属の理髪師として仕え続け、日本史上初の「天皇の理髪師」となった。この大場を始め、昭和天皇に仕えた近臣は「天皇の○○」と呼ばれることが多い。
  • 皇太子時代から「英明な皇太子」として即位への期待が高かった。北海道、沖縄はじめ各地への行啓も行っている。北海道行啓では先住民族が丸木舟に乗って出迎えた。

[編集] 天皇時代

  • 大正天皇が先鞭をつけた一夫一婦制を推し進めて、「側室候補」として「未婚で住み込み勤務」とされていた女官の制度を改め「既婚で、自宅通勤」を認めた。
  • 御前において東条・白川の両大将が酒と煙草の優劣について論争したことがある。自身は飲酒も喫煙もしなかった。酒は一度試して悪酔いし、以後だめになったとも伝わる。
  • アドルフ・ヒトラーからメルセデス・ベンツ社のグロッサーを贈呈されたが、非常に乗り心地が悪かったため好まなかったと伝わる。
  • 原爆の製造を中止させたと伝わるなど、一般的には平和主義者と考えられているが、戦争開始時には勝てるか否かを判断材料としている。戦時中は「どうやったら敵を撃滅できるのか」と質問することがあった。
  • 戦時中の最も過酷な状況の折、宮中の執務室で「この懸案に対し大臣はどう思うか…」などの独り言がよく聞こえたという。
  • 天皇として自分の意を貫いたのは二・二六事件と終戦の時だけであったと語っている。
  • 戦後の行幸において、天皇から直接言葉をかけられたシベリア抑留帰還者が一瞬にして洗脳を解かれ「こんなはずじゃなかった」と泣き出したことがある。行幸に際しては、食事についてなど、迎える国民に多くの生活に密着した質問をした。行幸の時期も、東北行幸の際には「東北の農業は夏にかかっている」と農繁期である夏を選ぶなど、民情を心得た選択をし国民は敬意を新たにした。当時「神ではない、ただの猫背の中年男」と天皇の存在感を軽視し、一方で護衛の将校二人をつけるなど熊沢天皇(寛道)を篤く遇していたGHQは、これを見て大いに驚いたという。巡幸が進み、天皇への国民の敬意が深いことが知れると、熊沢へのGHQの処遇はどんどん薄くなっていった。同時に数多くいた自称天皇も姿を消していった。
  • アメリカからの使節が皇居の宮殿について感想を述べたとき、「前のはあなたたちが燃やしたからね」と皮肉を返したと伝わる。
  • 戦後の全国行幸で多くの説明を受けた際、「あ、そう」という無味乾燥な受け答えが話題になった。もっともこの受け答えは後の園遊会などでもよく使われており、説明に無関心だったというよりは単なる癖であったと思われる。本人も気にして「ああ、そうかい」と言い直すこともあった。寛仁親王も、「陛下は『あ、そう』ばかりで、けっして会話が上手な方ではなかった」と語っている。この、『あ、そう』と独特の手の上げ方は非常に印象的で、昭和天皇の癖として小中学生果ては幼稚園児にいたるまで、国民に広く知られており、似た挨拶の仕方をする者に「陛下」との通称がつくほど親しまれていた。
  • 1969年(昭和44年)に皇居新宮殿が完成してから初の皇居一般参拝で長和殿のバルコニーに立った際、パチンコ玉で狙われた(負傷せず)。これがきっかけとなって長和殿のバルコニーに防弾ガラスが張られることとなった。犯人は映画ゆきゆきて、神軍の主人公奥崎謙三で暴行の現行犯で逮捕された。
  • 皇居の畑で芋掘りをしていたときヤツガシラが一羽飛来したのを発見。侍従に急ぎ双眼鏡を持ってくるように命じた。事情のわからない侍従は「芋を掘るのに双眼鏡がなぜいるのですか」と聞き返した。このときのヤツガシラは香淳皇后が日本画に描いている。
  • NHK朝の連続テレビ小説を見るのが日課だったらしいが、1975年に行われた記者会見で「テレビはどのようなものをご覧になるか」という質問に対し、「テレビは色々見ますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今ここでどういう番組が好きかという事はお答えできません」と返した。記者達はこの思わぬ天皇の気遣いに大爆笑した。
  • 昭和57年(1982年)の園遊会で黒柳徹子と歓談。その際、黒柳が当時出版した自著・「窓ぎわのトットちゃん」の説明をし、「国内で700万部出版し、世界35ヶ国でも翻訳されました」との言葉に対して、「大そうお売れになって」と答えた。この天皇の答えにより、黒柳がまるで天皇に自著の自慢をしてるように周囲の目に映ってしまった。周囲は大爆笑し、黒柳は照れ笑いを浮かべるほかなかった。
  • 崩御に際しては元軍人を中心に殉死者が出た。確認されているだけで3件の殉死事件が発生し、未遂1人を含むと11人が殉死を遂げている。このうち一人については、殉死した場所と辞世がニュースで報道された。
  • 大膳を務めた谷部金次郎は、崩御を機に退官している。ある意味、天皇に殉じたと言える。神道界の重鎮小泉太志命も、天皇と運命を共にすると公言していた。

[編集] 人物像に関するもの

  • 3人の弟宮との関係は良好で、秩父宮とはよく議論を交わしていたという。秩父宮が肺結核で療養することになると、「感染を避けるため」見舞いに行くことが許されなかったことを悔やんでいた。そのため、高松宮が病気で療養するとたびたび見舞いに訪れ、臨終まで立ち会おうとした。
  • 香淳皇后のことは良宮(ながみや)と呼んでいた。(良子皇后は皇族の久邇宮家出身でもある)
  • 香淳皇后との夫婦仲は円満であった。はじめ皇女が4人続けて誕生したときには側近が側室を勧めたほどだが、これに対し「良宮でよい」と答えたという。また、行幸さきでは必ず「良宮のために」とお土産を購入した。
  • ひげを蓄えたのは、成婚後からで「成婚の記念に蓄えている」とも「男子、唯一つの特権だから」と、理由を説明している。他方、文仁親王には「礼宮のひげはなんとかならんのか」と苦言を呈した。ちなみにこのときは両親である明仁親王夫妻が取り成して結局許されている。
  • 第1子照宮成子内親王が誕生した際、「女の子は優しくていいね」と喜んだ。
  • スポーツに関しては「幼いときから色々やらされたが、何一つ身に付くものはなかった。皇太子(明仁)がテニスが上手いのは良宮(香淳皇后)に似たのだろう」と発言している。しかし馬上姿は非常に美しかった。
  • 天皇の質問に対しては、一切のごまかしも通用しなかったほどあらゆる出来事に精通していたといい、質問を受けた者は常に緊張していたという。
  • 学問に関しては、後述の生物学研究や御製の「おおらか」さなどから理科系人間である。秦郁彦は「さきの大戦のとき政府の要人で理科系の人物は昭和天皇だけであった(文芸春秋)」と評している。
  • 佐倉市国立歴史民俗博物館を行幸したとき、ガラスケースの中の銅剣などを見ようとしたとき、記者団が一斉にフラッシュをたきその様子を撮影しようとしたところ、「慎みたまえ」と記者団を叱った。フラッシュがガラスに反射して見えなかったのを怒ったものである。昭和天皇が公式の場で怒りをあらわにした唯一の例とされる。
  • 男はつらいよシリーズの大ファンで、ビデオは全て持っていたと言われる。
  • 独特の魅力を持っており、アメリカのフォード大統領も訪日の際、昭和天皇に謁見したが、そのカリスマに終始手を震わせたと帰国後に告白している。本項の写真を見て、同大統領を近習、レーガン大統領を近衛兵と誤認した者もいる。崩御の際には人種・地域を問わず、世界各国から代表者が顔を揃えた事からも、彼が世界に与えた影響を窺い知る事が出来る。
  • 猫背、猫舌で、蕎麦と鰻茶漬が好物であった。焼きたての鰻の蒲焼を食べて火傷をしたり、中毒の恐れがあるからとフグを食べられないことに真剣に憤慨したといった逸話もある。1964年に下関に行幸した際にはイワシなど季節の魚に舌鼓を打ったという。
  • 魚が好きであり、釣りも楽しんだ。沼津において、常陸宮正仁親王を伴って磯釣りに興じたことがある。
  • 相撲好きであり、蔵間を贔屓にしていた。蔵間が大関昇進を果たせないことを大変残念がり、「蔵間、大関にならないねえ」とこぼしたこともある。このほか、「突貫おじさん」こと富士桜の取り組みも大変楽しんだとされる。なお前述のぼやきは当時の春日野理事長を恐縮させ、蔵間は理事長室に呼びつけられて叱責されたという。
  • 嫡孫秋篠宮文仁親王を幼少時、大変にかわいがったことが知られる。天皇のひざの上は礼宮時代の文仁親王の指定席であったといい、ひざの上に親王が座っている写真も現存している。
  • 太平洋戦争史上最大の激戦と言われたペリリュー島の戦いの折には「ペリリューはまだ頑張っているのか」と部隊長の中川州男大佐以下の兵士を気遣う発言をした。中川部隊への嘉賞は11度に及び、感状も三度も与えている。これが兵士に伝わったのか、ぺリリュー島の日本軍は圧倒的優勢な米軍に対して健闘を続け、日本兵と対峙した米兵はその気迫に恐怖を感じたという。米軍の統計によると恐怖と緊張のあまり神経症になった者や失禁をした者、胃痛や腹痛を感じた者も多く存在しており、この戦いを機に米軍は新兵の教育マニュアルを作り変えたほどであった。
  • 特攻には批判的で、特攻第一号の報告がもたらされた際には「馬鹿なことを…だが、よくやった」と言ったとされる。
  • 南方熊楠のことは後々まで忘れることはなく、その名を御製に詠んでいる。
  • 喫煙せず、煙草は愛煙家の臣下に下賜していたが、その際に「僕は煙草はのまないから煙草呑みにやろう」と言い、近臣が「陛下、朕とおっしゃってください」と慌てる場面などもあったという。
  • 見学した新幹線の運転台が気に入り、侍従に時間を告げられてもしばらくそこから離れなかったこともある。
  • 武蔵野の自然を愛し、皇居の森に一切手を加えないようにした。また「雑草という植物はない」(ただしくは「雑草と言う言葉には不快感がある」)といったことでも有名。
  • 海洋生物学を研究する関係からか、英語よりフランス語を得意としたと伝わる。エスカルゴを食べる際、その個数について日本語とフランス語をかけて近臣をからかったこともある。
  • スクーターに乗ったことがあり、乗っている写真が現存する。

[編集] その他

  • 昭和後期、欧米のテーブルトークRPGに天皇が登場したことがあり、1980年代末になって日本の富士見書房から発行された関連書籍で紹介された。このときのゲーム上での設定は極めてよく研究されたものであり、「レッサー・ゴッド級の魔法を使う」など現人神としての性格が強調されていた。

[編集] 大御歌(短歌)

昭和天皇は生涯に約1万首の短歌を詠んだとされている。公表されているものは869首。これは文学的見地からの厳選というよりは立場によるところが大きい。宮中行事や歌会始に代表される歌会、行幸やおことばに代表されるパフォーマンスに伴っての作品発表は、いずれも宮内庁の目を経ており、相聞が一首も発表されていない点をとっても、一般の短歌作者とは同列に論じられない部分もある。近代短歌成立以前の御歌所派の影響は残るものの戦後は、木俣修、岡野弘彦ら現代歌人の影響も受けた。公表された作品の約4割は字余りで、ほとんど唯一といってよい字足らずは、自然児の生物学者・南方熊楠に触発されたもののみである。このような作風は「おおらか」とも、「非文学的」ともされてきた。詳しくは昭和天皇の大御歌を参照

  • 昭和天皇の歌集
    • みやまきりしま:天皇歌集 (毎日新聞社編) (1951年11月、毎日新聞社)
    • おほうなばら:昭和天皇御製集 (宮内庁侍従職編) (1990年10月、読売新聞社)
    • 昭和天皇御製集 (宮内庁編) (1991年7月、講談社)
  • 昭和天皇・香淳皇后の歌集
    • あけぼの集:天皇皇后両陛下御歌集 (木俣修編) (1974年4月、読売新聞社)

[編集] 生物学研究

興居島でユムシを採取する昭和天皇(1950年3月19日)
興居島ユムシを採取する昭和天皇(1950年3月19日

昭和天皇は生物学者として海洋生物や植物の研究にも力を注いでいる。1925年6月に赤坂離宮内に生物学御研究室が創設され、御用掛の服部廣太郎の勧めにより、変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類(ヒドロゾア)の分類学的研究を始めた。1928年9月には皇居内に生物学御研究所が建設された。1929年(昭和4年)には自ら在野の粘菌研究第一人者南方熊楠のもとを訪れて進講を受けた。南方の名は、後の御製にも詠まれて残っている。もっとも、時局の逼迫によりこれらの研究はままならず、研究成果の多くは戦後発表されている。ヒドロ虫類についての研究は裕仁(あるいは昭和天皇)の名で発表されており、『日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討』をはじめ、7冊が生物学御研究所から刊行されている。また、他の分野については専門の学者と共同で研究をしたり、採集品の研究を委託したりしており、その成果は生物学御研究所編図書としてこれまで20冊刊行されている。

昭和天皇の生物学研究の意味については、山階芳麿黒田長礼の研究と同じく殿様の生物学とする見解や、「その気になれば学位を取得できた」、とする評価がなされることがある。さらにこれらの評価を、いずれも天皇の生物学研究を、あまりにも一般人と同じレベルで見すぎているとする見解もある。すなわち昭和天皇が、研究題目として自然科学分野を選んだのは、純粋な個人的興味というよりも、万葉集以来の国見の歌同様、自然界の秩序の重要な位置にいるシャーマンとしての役割が残存しているという見解である。これについては北一輝が昭和天皇を「クラゲの研究者」と呼びひそかに軽蔑していたという渡辺京二の示すエピソードが興味深い。なお、昭和天皇の海洋生物研究の一部は明仁の研究とともに、新江ノ島水族館神奈川県藤沢市)で公開されている。

シャーマンとしての自覚に基づいたのかは解らないが、採集したアメフラシを煮て食べて腹痛に陥った事もあった模様。また、戦時中に軍部から使者が生物学研究を止めさせようと出向いた所、昭和天皇がある海域のプランクトンの減少に気づいた為、異常海域を調べた結果、敵潜水艦の発見につながり、止めさせるのは断念したようである。

  • 昭和天皇の著書
    • 日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討 (1967年2月)
    • 天草諸島のヒドロ虫類 (1969年9月)
    • カゴメウミヒドラClathrozoon wilsoni Spencerに関する追補 (1971年9月)
    • 小笠原諸島のヒドロゾア類 (1974年11月)
    • 紅海アカバ湾産ヒドロ虫類5種 (1977年11月)
    • 伊豆大島および新島のヒドロ虫類 (1983年6月)
    • パナマ湾産の新ヒドロ虫Hydractinia bayeri n.sp.ベイヤーウミヒドラ (1984年6月)
    • 相模湾産ヒドロ虫類 (1988年8月)
    • 相模湾産ヒドロ虫類 2 (1995年12月)
  • 昭和天皇と専門の学者の共同研究
    • 那須の植物 (1962年4月、三省堂)
    • 那須の植物 追補 (1963年8月、三省堂)
    • 那須の植物誌 (1972年3月、保育社
    • 伊豆須崎の植物 (1980年11月、保育社)
    • 那須の植物誌 続編 (1985年11月、保育社)
    • 皇居の植物 (1989年11月、保育社)
  • 昭和天皇の採集品をもとに専門の学者がまとめたもの
    • 相模湾産後鰓類図譜 (馬場菊太郎) (1949年9月、岩波書店)
    • 相模湾産海鞘類図譜 (時岡隆) (1953年6月、岩波書店)
    • 相模湾産後鰓類図譜 補遺 (馬場菊太郎) (1955年4月、岩波書店)
    • 増訂 那須産変形菌類図説 (服部廣太郎) (1964年10月、三省堂)
    • 相模湾産蟹類 (酒井恒) (1965年4月、丸善)
    • 相模湾産ヒドロ珊瑚類および石珊瑚類 (江口元起) (1968年4月、丸善)
    • 相模湾産貝類 (黒田徳米・波部忠重・大山桂) (1971年9月、丸善)
    • 相模湾産海星類 (林良二) (1973年12月、保育社)
    • 相模湾産甲殻異尾類 (三宅貞祥) (1978年10月、保育社)
    • 伊豆半島沿岸および新島の吸管虫エフェロタ属 (柳生亮三) (1980年10月、保育社)
    • 相模湾産蛇尾類 (入村精一) (1982年3月、丸善)
    • 相模湾産海胆類 (重井陸夫) (1986年4月、丸善)
    • 相模湾産海蜘蛛類 (中村光一郎) (1987年3月、丸善)
    • 相模湾産尋常海綿類 (谷田専治) (1989年11月、丸善)
  • 昭和天皇が発表したヒドロ虫類の新種
    • Clytia delicatula var. amakusana Hirohito, 1969 アマクサウミコップ
    • C.multiannulata Hirohito, 1995 クルワウミコップ
    • Corydendrium album Hirohito, 1988 フサクラバモドキ
    • C. brevicaulis Hirohito, 1988 コフサクラバ
    • Corymorpha sagamina Hirohito, 1988 サガミオオウミヒドラ
    • Coryne sagamiensis Hirohito, 1988 サガミタマウミヒドラ
    • Cuspidella urceolata Hirohito, 1995 ツボヒメコップ
    • Dynamena ogasawarana Hirohito, 1974 オガサワラウミカビ
    • Halecium perexiguum Hirohito, 1995 ミジンホソガヤ
    • H. pyriforme Hirohito, 1995 ナシガタホソガヤ
    • Hydractinia bayeri Hirohito, 1984 ベイヤーウミヒドラ
    • H. cryptogonia Hirohito, 1988 チビウミヒドラ
    • H. granulata Hirohito, 1988 アラレウミヒドラ
    • Hydrodendron leloupi Hirohito, 1983 ツリガネホソトゲガヤ
    • H. stechowi Hirohito, 1995 オオホソトゲガヤ
    • H. violaceum Hirohito, 1995 ムラサキホソトゲガヤ
    • Perarella parastichopae Hirohito, 1988 ナマコウミヒドラ
    • Podocoryne hayamaensis Hirohito, 1988 ハヤマコツブクラゲ
    • Pseudoclathrozoon cryptolarioides Hirohito, 1967 キセルカゴメウミヒドラ
    • Rhizorhagium sagamiense Hirohito, 1988 ヒメウミヒドラ
    • Rosalinda sagamina Hirohito, 1988 センナリウミヒドラモドキ
    • Scandia najimaensis Hirohito, 1995 ナジマコップガヤモドキ
    • Sertularia stechowi Hirohito, 1995 ステッヒョウウミシバ
    • Stylactis brachyurae Hirohito, 1988 サカズキアミネウミヒドラ
    • S. inabai Hirohito, 1988 イナバアミネウミヒドラ
    • S. monoon Hirohito, 1988 タマゴアミネウミヒドラ
    • S. reticulata Hirohito, 1988 アミネウミヒドラ
    • S.(?) sagamiensis Hirohito, 1988 サガミアミネウミヒドラ
    • S. spinipapillaris Hirohito, 1988 チクビアミネウミヒドラ
    • Tetrapoma fasciculatum Hirohito, 1995 タバヨベンヒメコップガヤ
    • Tripoma arboreum Hirohito, 1995 ミツバヒメコップガヤ
    • Tubularia japonica Hirohito, 1988 ヤマトクダウミヒドラ
    • Zygophylax sagamiensis Hirohito, 1983 サガミタバキセルガヤ

[編集] 戦争責任

詳細は天皇の戦争責任を参照

明治憲法下において最高権力者と規定されていたため、戦争責任を問う声はあったが、天皇は日本統治に利用すべき存在とされ、連合国(とくにアメリカ)から戦争責任を問われることはなかった。この事は後々まで論争を引き起こした。

敗戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)のもとでは、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を根拠として、軍の最高指揮権である統帥権は天皇大権とされ、また第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」を根拠に軍の編成権も天皇大権のひとつとされた。政府および議会から独立した、編成権を含むこの統帥権の独立という考え方は、1930年ロンドン海軍軍縮条約の批准の際に、いわゆる統帥権干犯問題を起こす原因となった。

統帥権が、天皇の大権の一つ(明治憲法第11条)であったことを理由に、1931年満州事変から日中戦争、さらに大東亜戦争へと続く、いわゆる十五年戦争戦争責任をめぐって、最高指揮権を持ち、宣戦講和権を持っていた天皇に戦争責任があったとする主張と、明治憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定された天皇の無答責を根拠に(あるいは軍事等についての情報が天皇に届いていなかったことを根拠に)、天皇に戦争責任を問い得ないとする主張とのあいだで論争があるが、天皇に戦争責任があったとする主張は大勢とはなっていない。〔大日本帝国大日本帝国憲法を参照〕

また、美濃部達吉らが唱えた天皇機関説によって天皇は「君臨すれども統治せず」という立憲主義君主であったという説が当時の憲法学界の支配的意見であったが、当時の政府は、「国体明徴声明」を発して、統治権の主体が天皇に存することを明示し、この説の教授すら禁じた。

敗戦後の極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)において、ソビエト連邦オーストラリアなどは天皇を戦争犯罪人として裁くべきだと主張したが、昭和天皇の責任感に満ちた態度に感銘を受けた連合国最高司令官であったマッカーサー元帥らの政治判断(昭和天皇を被告とすることは、日本国民の感情を著しく損なわせ占領軍に反発し、円滑な占領政策が行えなくなるとの懸念)と、天皇制の護持の必要性(このため、松平康昌・田中隆吉らはGHQへ情報を提供し積極的な協力をした)によって戦犯ではないと判断された。

1945年9月27日、ダグラス・マッカーサー(左)と昭和天皇(右)
1945年9月27日ダグラス・マッカーサー(左)と昭和天皇(右)

なお、昭和天皇が初めてマッカーサー元帥を訪問した時に、マッカーサー元帥は(マッカーサーメモによると)当初命乞いするのではないかと考えていたのに対し、昭和天皇は「私はどうなっても構わない、責任は自分がとるので、国民を助けてほしい。」と語り、マッカーサー元帥を大いに感動させた。この会談内容については全ての関係者が口を噤み、否定も肯定もしない為、真偽の程は明らかではなかった。これは、マッカーサー自身は、昭和天皇が全責任を負う旨の発言をしたという回想をしていたのだが、会見記録にはその記録がなかったため、論議を招いたものである。昭和天皇自身は、1975年に行われた記者会見でこの問題に関する質問に対し、「(その際交わした外部には公開しないという)男同士の約束ですから」と肯定も否定もしなかったが、現代史家の秦郁彦が、会見時の天皇発言を伝えるアチソン米国務省政治顧問の国務省宛電文を発見し、現在では発言があったとする説が有力である。また、会見録に天皇発言が記録されていなかったのは、重大性故に記録から削除されたことが通訳を務めた松井大使の手記で判明し、藤田侍従長の著書もこの事実の傍証とされている。

天皇自身は「戦争責任についてどう思うか」という記者からの質問に対し「そういう文学方面のことはよくわからない」と答えている。

[編集] 本島等長崎市長の戦争責任発言

1988年12月、当時の本島等長崎市長が、昭和天皇には戦争責任があると思う、と発言したことに対し、保守陣営などからの反発と右翼からの脅迫が起こった。本島市長は発言の撤回をせず、右翼の構成員の銃弾を受けることとなった。天皇を巡る右翼の銃撃について嶋中事件との関連で言及する声もあった。

[編集] 敗戦観

山田風太郎の著書『人間臨終図巻』内の山県有朋の項目に昭和天皇が終戦から間もなく、疎開中の明仁親王(のちの第125代天皇)にあてた手紙が引用されている。それを要約すると、敗戦の責任は、第一次世界大戦の時のドイツと同様に、偏に日本の国力の限界を無視、精神主義に陥った軍部にあり、日清・日露の両戦役で陸海軍の指揮を担当した、山県や山本権兵衛のような軍人がいたならば、ここまで国土を荒廃させるような無茶な戦争はしなかっただろうとのことである。

[編集] 陵墓・霊廟・記念館

東京都八王子市長房町の上円下方墳の武蔵野陵(むさしののみささぎ)に葬られた。

昭和天皇を祀る神社はないが、全ての天皇は皇居宮中三殿の一つの皇霊殿に祀られている。なお大日本愛国党青年隊を中心に「昭和神宮」を創建しようと言う動きもある。

また、2005年11月27日、東京都立川市国営昭和記念公園内の「みどりの文化ゾーン・花みどり文化センター」内に、「昭和天皇記念館」が開館した。財団法人昭和聖徳記念財団が運営を行っている。館内には、「常設展」として、昭和天皇の87年間に渡る生涯と、生物学の研究に関する資料や品々、写真等が展示されている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波書店、岩波新書、1992年) ISBN 4004302579
  • ピーター・ウエッツラー 『昭和天皇と戦争―皇室の伝統と戦時下の政治・軍事戦略』 ISBN 4562035730
  • エドウィン・P・ホイト 『世界史の中の昭和天皇―「ヒロヒト」のどこが偉大だったか』 ISBN 487712005X
  • レナード・モズレー 『天皇ヒロヒト (上・下)』 ISBN 4043278012 ISBN 4043278020
    • 1966年、毎日新聞社刊の文庫化
  • ベン=アミー・シロニー『母なる天皇』(講談社)ISBN 4-06-211675-8
  • 秦郁彦 『昭和天皇五つの決断』 ISBN 4167453029
  • 出雲井晶編 『昭和天皇』 ISBN 4531062825(多くの資料の勘所を集めたアンソロジー)
  • 寺崎英成 『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』 ISBN 4163450505
  • ハーバート・ビックス『昭和天皇』講談社
  • 初公開 昭和天皇日々の献立/渡辺誠,「文藝春秋2003年2月
  • 歪められた昭和天皇像/秦郁彦,「文藝春秋2003年3月
  • 昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見/加藤恭子,文藝春秋
  • 大論争「昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿」四つの謎/加藤恭子&秦郁彦&吉田裕&高橋紘,「文藝春秋2003年8月
  • 井上清史論集4 天皇の戦争責任/井上清,岩波現代文庫
  • 宮内庁侍従職編『おほうなばら―昭和天皇御製集』読売新聞社,1990年 ; ISBN 4643900954
  • 田所泉『昭和天皇の短歌』 創樹社,1997年 ; ISBN 4794305222
  • 内野 光子『短歌と天皇制』風媒社、2000年 ; ISBN 4833120186
  • 裕仁『日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討』生物学御研究所(1967年)
  • 裕仁『相模湾産ヒドロ虫類』生物学御研究所(1988年)
  • 昭和天皇(山田真弓補足修正)『相模湾産ヒドロ虫類2』生物学御研究所(1995年)
  • 国立科学博物館『天皇陛下の生物学ご研究』国立科学博物館(1988年)
  • ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人(上・下)』岩波書店, 2001年/増補版, 2004年(三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳)

[編集] 昭和天皇を演じた人物

[編集] 外部リンク

[編集] 注釈

  1. ^ 原因究明のための実験、サンプル採取がチッソ側の指示によって禁止される、チッソ側が患者に対する補償を拒否するなどのほか、研究資料を郵送すると途中で紛失するといったこともあった。事件の展開の過程においては事件を取材した外国人カメラマンユージン・スミスが暴力集団に暴行を受けて片目を失明するという事件も発生した。天皇もこうした水俣病の悲惨さを知って心を痛めており、1984年5月11日の春の園遊会に招待された水俣市議会議長吉井正澄は、天皇から水俣病について言葉を賜っている。
  2. ^ この結果半ば幻の作品となっていた番組、作品も存在する。超獣戦隊ライブマン「ケンプ 血とバラの秘密」はその好例である。
先代:
大正天皇
天皇
第124代:1926年~1989年
次代:
今上天皇・明仁
歴代天皇一覧
1 神武 2 綏靖 3 安寧 4 懿徳 5 孝昭 6 孝安 7 孝霊 8 孝元 9 開化 10 崇神
11 垂仁 12 景行 13 成務 14 仲哀 15 応神 16 仁徳 17 履中 18 反正 19 允恭 20 安康
21 雄略 22 清寧 23 顕宗 24 仁賢 25 武烈 26 継体 27 安閑 28 宣化 29 欽明 30 敏達
31 用明 32 崇峻 33 推古 34 舒明 35 皇極 36 孝徳 37 斉明 38 天智 39 弘文 40 天武
41 持統 42 文武 43 元明 44 元正 45 聖武 46 孝謙 47 淳仁 48 称徳 49 光仁 50 桓武
51 平城 52 嵯峨 53 淳和 54 仁明 55 文徳 56 清和 57 陽成 58 光孝 59 宇多 60 醍醐
61 朱雀 62 村上 63 冷泉 64 円融 65 花山 66 一条 67 三条 68 後一条 69 後朱雀 70 後冷泉
71 後三条 72 白河 73 堀河 74 鳥羽 75 崇徳 76 近衛 77 後白河 78 二条 79 六条 80 高倉
81 安徳 82 後鳥羽 83 土御門 84 順徳 85 仲恭 86 後堀河 87 四条 88 後嵯峨 89 後深草 90 亀山
91 後宇多 92 伏見 93 後伏見 94 後二条 95 花園 96 後醍醐 97 後村上 98 長慶 99 後亀山 100 後小松
北朝 1 光厳 2 光明 3 崇光 4 後光厳 5 後円融 6 後小松  
101 称光 102 後花園 103 後土御門 104 後柏原 105 後奈良 106 正親町 107 後陽成 108 後水尾 109 明正 110 後光明
111 後西 112 霊元 113 東山 114 中御門 115 桜町 116 桃園 117 後桜町 118 後桃園 119 光格 120 仁孝
121 孝明 122 明治 123 大正 124 昭和 125 今上 赤字女性天皇
TIME誌選出・今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人

昭和天皇 | ホー・チ・ミン | ポル・ポト | 三宅一生 | 井上大佑
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