中房温泉
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中房温泉(なかぶさおんせん)は、長野県安曇野市(旧南安曇郡穂高町、旧国信濃国)にある温泉。
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[編集] アクセス
[編集] 泉質
[編集] 温泉街
日本秘湯を守る会にも属する「中房温泉」、および「国民宿舎町営有明荘」が存在する。ただし、有明荘は別の温泉(有明温泉)とみなし、中房温泉は1軒宿として紹介される場合も多い。また、「中房温泉」側は国民宿舎側が「中房温泉郷」を名乗らないように裁判所に求めていたが、2006年にほぼ請求どおりの内容で和解が成立した。そのため公式には中房温泉には「国民宿舎町営有明荘」は含まれない。
「中房温泉」は、長らく下山後の登山者以外の日帰り入浴は一切認めておらず、下山後の登山者も入浴できる浴室を自由に選択できなかった。2006年になってようやく立ち寄り湯である「湯原の湯」を新設したため、宿泊者以外も入浴できるようになった。「国民宿舎町営有明荘」は以前から日帰り入浴可となっている。
中房温泉の裏山は「焼山」と称する地熱の高い場所があり、卵や芋を埋めて置くと20分ほどで蒸しあがる。
[編集] 浴場
「中房温泉」にはひとつの旅館内に16箇所の浴場が存在し、1泊で全てを巡るのは大変なほどである。外湯は女性の入浴は、男女別の「湯原の湯」と貸し切り浴場以外は勇気がいるかもしれない。
- 大浴場 混浴・女性専用時間帯あり。近年新築移転した。
- 大浴場岩風呂 混浴・女性専用時間帯あり。移転前の大浴場の建物を撤去して露天風呂としたもの。
- 不老泉 混浴・女性専用時間帯あり。湯船のすぐ隣の石庭風の石組みの中に源泉がある。新しいが味わい深い浴場。
- 大湯 男女別 1階と地階にそれぞれ浴室がある。1階の浴室は2002年に大風で屋根が飛ばされたのを機に、露天風呂に改装された。地階の浴室は湯気が充満し、スチームサウナのようである。
- 御座の湯 男女別 古い時代の浴場の面影を色濃く残し、古いが味わいのある浴場。松本藩主の入浴が度々あったための名称という。
- 薬師湯 男女別 小規模な浴室。
- 家族風呂 薬師湯の隣にある。小規模。
外湯
- 湯原の湯 男女別露天風呂。2006年に新設された外来用の浴場。
- 滝の湯 露天。いわゆる「うたせ」。近年貸し切り浴場になった。
- 蒸し風呂 天然のサウナ。近年改築された。貸し切り浴場。
- 綿の湯 蒸し風呂の隣にある事実上の汗流し浴場であったが、2004年足湯に改造された。
- 月見の湯 混浴露天風呂 高台にあり、その名の通り月見が出来る。
- 菩薩の湯 混浴露天風呂 一番低地にある。すぐ隣が源泉。
- 白滝の湯 混浴露天風呂 沢の上流に登った所。お湯が小さな滝となって流れ落ちた所。
- ねっこ風呂 一人用半露天風呂 温泉プール近くに新しく作られた一人用風呂。大木をくりぬいた浴槽が使われている。
- 温泉プール ぬるめの湯を使った25メートルプール。夏場以外の遊泳は寒い。
[編集] 歴史
開湯は1821年である。百瀬茂八郎がこの地に明礬の鉱山を開いた際に、湧出する温泉を利用して湯治場を設置したのが始まりである。
また、開湯伝説として以下のような話も存在する。
北アルプス燕岳、槍ヶ岳登山口でもあることから、多くの人が訪れている。永田鉄山、大町桂月らの文人墨客をはじめ朝香宮(故人)、秩父宮(故人)、徳仁親王ら皇族の来訪歴も多数ある。大正7年7月には、日本で初めての林間学校が旧制成城中学校(現成城中・高等学校)により当地で開設された。
日本アルプスを世界に紹介したイギリス人宣教師・ウォルター・ウェストンは、1912年にこの温泉に宿泊している。今でも当時の部屋が残されている。
1980年3月27日 - 環境庁告示第24号により、穂高温泉とともに国民保養温泉地に指定。