中米連邦
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中米連邦(ちゅうべいれんぽう、スペイン語: Provincias Unidas de América Central, Republica Federal de Centroamérica/ Centro America)は、中央アメリカに1823年7月から1840年前後の間存在した国家。首都はグアテマラシティ。この国家はアメリカ合衆国をモデルとして建国された。中米連邦の国旗にある国章によれば、1823年から1824年の間、この国家は「中央アメリカの連合した州」(Provincias Unidas de América Central)という名称だったが、1824年の憲法、国章、国旗では「中央アメリカの連邦共和国」(Republica Federal de Centroamérica/ Centro America)という名称で呼ばれている。英語ではしばしば "United States of Central America'" と呼ばれる。
中米連邦は、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカから構成された。1830年代に第6の構成国、ロスアルトスが加わった。ロスアルトスの首都はケツァルテナンゴ(現グアテマラ)であった。ロスアルトスは、現在のグアテマラの西部と、メキシコのチャパス州を占めていた。1838年から1840年に内戦があり、中米連邦はそのために崩壊した。
[編集] 統合と崩壊
連邦の崩壊は、1838年からの内戦によるものである。1838年11月5日にホンジュラスが連邦から分離したことで崩壊が始まった。残った構成国5つのうち4つが1840年までに独立を宣言した。中米連邦の公式の終焉は、1841年2月にエルサルバドルが独立を宣言したときである。その後、19世紀を通じ、さまざまな再統合の努力がなされたが、どれもみな持続しなかった。最初の再統合の試みは、1842年に前中米連邦大統領モラザンによって行われた。しかしモラザンはただちに捕らえられ処刑された。この試みは1844年まで続いた。
二度目の再統合の試みは、1852年の10月から11月まで、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアによる中米連邦(Federacion de Centro America)の結成を目指して行われた。1880年代には、グアテマラの大統領ユスト・バリオスが、軍事力によって再統合を行おうとしたが、そのさなかに殺害された。三番目の再統合は、1896年から1898年まで続き、これはホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルによる中米大共和国(Republica Mayor de Centroamerica)の結成であった。
最後の試みは20世紀初頭、1921年から1922年にかけて行われた。これはエルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスによる、中米連邦の結成であった。このときは再統合の試みのなかで、唯一、各構成国からの代表による連邦大統領の選挙が行われるまでにいたった。
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