丸山博
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丸山博(まるやまひろし 1932年12月5日 -)は、昭和中期から平成期(1950年代後半-1980年代)のプロ野球審判員で元審判部副部長。長野県上田市出身。審判員袖番号は30(1988年初採用から1994年退職まで。1989年現役引退後(審判指導員→台湾審判指導員)もつけていた。30は1998年以降木内九二生がつけている。)。
[編集] 来歴・人物
終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネジャーをつとめた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高野連を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1990年引退後は日本プロ野球および台湾で審判指導を行った。台湾では1992年~1994年の間、実際にグラウンドに立ち268試合審判をつとめている。
1976年に王貞治がベーブ・ルースの通算714本塁打を抜く通算715号本塁打を打ったゲームの球審を務めていたがこの際丸山審判は王が飛び上がって万歳している横でしゃがんでホームランの確認をしている写真が残っている。
1999年より日本野球機構審判規則委員に就任して現在に至る。通算試合出場数は3521試合、日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズと1982年の日本シリーズ)、オールスター6回出場。
注目はアウトサイドプロテクターです。