ノート:二岡智宏
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この記事は一度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/二岡智宏をご覧ください。
中傷表現はおやめください。ここはタブロイド紙ではありませんので。--しほれろ 2006年5月16日 (火) 03:32 (UTC)
二岡智宏さnゎ、ヵっこぃぃですょぉw IP:218.40.102.114(会話/履歴)2006年5月16日 (火) 09:13 (UTC) 署名追加--feln@rd(note and record) 2006年5月17日 (水) 00:03 (UTC)
中傷ではなく事実だろうに。何言ってんだか。—以上の署名の無いコメントは、こんちねんたる(会話・履歴)氏によるものです。
- 「厚顔無恥」という記述は客観的「事実」ではありません。また、ネットで批判があったのは事実かもしれませんが、その表現によっては中傷となる怖れがあります。過度に大きく扱うのも同じような危険を伴うでしょう。Wikipediaでは『百科事典である』という点に注意した記述が求められますので、あの文面ではrevertが正当であったと思います。
- なお、ノートでは署名をつけるよう御願いします。~~~~を付ければ、署名と投稿時間に自動的に置き換えられます。 -- NiKe 2006年5月17日 (水) 07:47 (UTC)
巨ヲタのやり方がフェアじゃないよね。都合が悪くなれば保護依頼かね。IP:211.10.170.162(会話/履歴/ログ/whois)2006年5月18日 (木) 07:17 (UTC)
中傷とか何とか言ってますが、どこがどう中傷なのかを言ってもらわないと何も解かりかねますが? 臭いものには蓋をしろと言わんばかりに何事も無かった様に削除するのは頂けませんね。 巨ヲタがこの問題となってる部分をどうしても全く認めたくない事だけは解かりますが(苦笑)、少なくとも「ドラフト直前に急に態度を変えた事」、「地元で猛烈な反感を買った事」、「インターネットや球場での野次等があった事」は事実なので中傷とやらにならない範囲で記述されてあっても良いのではないかと思います。ご再考下さい。211.10.170.162 2006年5月18日 (木) 10:31 (UTC)
今回はあまりにもひどかったので一旦削除しました。(堀内恒夫や中村紀洋でも同様の問題がおきてます)たしかに211.10.170.162さんの言い分もある程度はわかります。しかし、百科事典ということを考えると今のままではまずNGとなってしまいます。なので記述するとしたら「突然の巨人入団によってさまざまな憶測をよび、批判や中傷が飛び交った。」程度ではどうでしょうか?--しほれろ 2006年5月18日 (木) 11:40 (UTC)
百科事典としての位置付けで考えていけば少なくともあの状態が拙いのは了承しました。 記述の件でありますが、もう少し内容を加えて『結局ドラフト直前から交渉を始め、しかも2位でしか指名しないと明言していた巨人への入団を急遽ドラフト前日に逆指名会見を開き表明した。この突然の巨人入団によってカープ入団への期待を裏切られた地元の反感や、翻意の経緯に関する様々な憶測等から、二岡に対する猛烈な批判や中傷が飛び交った。』でどうでしょうか? 自分なりに言葉を選んでみましたがご検討願います。211.10.170.162 2006年5月19日 (金) 07:01 (UTC)
- 意見拝見いたしました。そうですね、あれなら掲載しても問題ないかと思います。私としては「銭岡」(悪口・蔑称)、「7億円」(裏づけなしの憶測)等が中傷と思っていました。ただ、他の便乗ユーザがいますので保護依頼はもう少し様子を見させていただきます。そこはご了承ください。--しほれろ 2006年5月19日 (金) 07:58 (UTC)
- ノートならびに保護の件、了解いたしました。
NGの部分の回答も併せてありがとうございました。根拠の提示がされていてやっと納得できました。 保護依頼の件、お手数をお掛けしますが宜しくお願いします。211.10.170.162 2006年5月19日 (金) 08:19 (UTC)
保護見送りとなっておりますが、ここと仁志の項に上記記載のような明らかな中傷記載が相変わらず書かれているようです。保護を希望します。--61.86.131.113 2006年5月26日 (金) 13:40 (UTC)
[編集] ドラフト経緯について(削除後)
上の議論の続きですが、先に著作権違反による削除の為議論内容に属する履歴が削除されたので節を分けさせていただきます。
- 1998年でのドラフトでは地元で高校時代から世話を掛けてくれた広島東洋カープ(広島市民球場ではこの年のカープ戦の試合前に、当時広島県出身で、ドラフト注目選手であった近畿大学の二岡に「地元の期待の星 二岡智宏選手を是非 広島東洋カープ入団へ」とある意味懇願書ともとれるラブコールを電光掲示板に表した。)あるいは大学が大阪であることなどから、春先には既に1位指名を確約していた阪神タイガースに入団するものと思われていたが、結局ドラフト直前から交渉を始め、しかも2位でしか指名しないと明言していた巨人への入団を急遽ドラフト前日に逆指名会見を開き表明した。この突然の巨人入団によってカープ入団への期待を裏切られた地元の反感や、翻意の経緯に関する様々な憶測等から、二岡に対する猛烈な批判や中傷が飛び交った。
上記の本文に関していくつか疑問点があります。
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- 「高校時代から世話を掛けてくれた」というのは、広島がアマ選手に対して補助をすると言う裏金行為を行ったということでしょうか。もしそうならば事実として確認できない事項ではないかと思います。
- 「ある意味懇願書ともとれる」「思われていた」という記載は中立的な観点から相応しくない(書き手の捉え方が入っている)のではないでしょうか。
- 「急遽ドラフト前日に逆指名会見を開き」とありますが情報を探してみると二岡が逆指名会見をした9日後に金沢健人が逆指名会見を行っているとの記載があります。[1]この記載は間違いだと考えられます。同様に「ドラフト直前で急に態度を変えた」とするためにはその前の時点では巨人以外への入団を明言していた根拠が必要ではないでしょうか。
それを元に以下のように変更することを提案させていただきます。
- 1998年でのドラフトでは地元広島東洋カープ、阪神タイガース、読売ジャイアンツが競合した。広島東洋カープは地元出身の二岡を高校時代から評価しており、逆指名枠で二岡以外の選手獲得には動かない姿勢を見せ、広島市民球場ではこの年の試合前に、「地元の期待の星 二岡智宏選手を是非 広島東洋カープ入団へ」と電光掲示板に表示した。阪神タイガースは二岡が地元大阪の近畿大学在学でもあり、春先に1位指名を表明。この後松坂大輔指名にも動いたが断念し再度二岡指名を表明した。しかし最終的には上原浩治の1位指名を予定していたために2位指名が確実であった読売ジャイアンツを逆指名した。この選択に地元広島東洋カープ入団への期待を裏切られた地元の反感や、翻意の経緯に関する憶測から、一部で批判や中傷があった。特に球団の特徴として選手への資金投入が少ない広島東洋カープと資金投入が多い読売ジャイアンツとの競合であった為金銭的な批判や中傷が多かった。
ご意見よろしくお願いいたします。ZDime 2006年6月7日 (水) 18:43 (UTC)
- 特に意見が出なかったので本文編集させていただきました。また関連書籍が手に入りましたのでそちらにあった記載も追加させていただきました。書籍の内容に関しては「出版物に書かれているからそれが事実だ」という考えは間違っていると思いますが、「出版物にそのような記載があったこと」は事実であると思いますので追加させていただいた次第です。「出版物に書かれているからといってそれが正しいと言うわけではない」のも当然のことでわざわざ注釈すると逆に記載が正しくないかのような誤解を招きかねない表現になると思い書きませんでした。ZDime 2006年6月10日 (土) 17:29 (UTC)