五十嵐一
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五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年 - 1991年7月11日)は元筑波大学助教授。中東・イスラーム研究の第一人者として活躍した。専門はイスラーム学。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。新潟県新潟市出身
新潟県立新潟高等学校を経て1970年に東京大学理学部数学科を卒業。理数系から人文系に転身し、1976年に同大学院美学芸術学博士課程を修了。同年からイランに留学して、イラン革命が起こった1979年までイラン王立哲学アカデミー研究員を務める。
1990年に反イスラーム的とされるサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した。1991年7月11日、助教授として勤務していた筑波大学で何者かにより殺害(刺殺)された。15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま、公訴時効が成立した。
彼の殺害に関しては事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。CIAの元職員は、イラン軍部による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行を裏付ける。一方、日本の当局による調査は、敏感な外交状況を配慮して具体的な結果を挙げないまま実質上終了されている。テロ犯行否定の目的で、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのかなど疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないとして、犯人像すら絞り込めていないのが現状である。
五十嵐一の妻は、帝京平成大学に勤務する五十嵐雅子助教授。
[編集] 著作
- 医学典範(イブン=スィーナー著、翻訳)、1981年
- 音楽の風土 革命は短調で訪れる(中公新書)1984年 ISBN 4121007379
- 悪魔の詩(翻訳)1990年
- イスラーム・ラディカリズム : 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか 1990年 ISBN 4831871788
他