井上貴子
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井上 貴子(いのうえ たかこ、1969年11月7日 - )は、日本の女子プロレスラー。LLPW所属。
身長163cm、体重63kg、血液型A型。茨城県取手市出身。
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[編集] 所属
[編集] 経歴・戦歴
アマチュアレスリング経験者。県立取手松陽高校在学時から全日本女子プロレスのオーディションを受けるが落選し、その後も全女が運営していたトレーニングジムに通いながらチャンスを待ち(ちなみに、この頃ジムで一緒にトレーニングしていた仲間に尾崎魔弓がいる。余談だが、当時は尾崎も全女入団を目指していたが、丁度その時にジャパン女子プロレスが旗揚げされ、尾崎はそちらのオーディションを受けるが、その際に井上貴子に一緒にジャパン女子を受けないかと誘っている)。高校3年時に合格、卒業と同時に全日本女子プロレス入団する。
1988年10月10日の全日本女子プロレス後楽園ホール興行での、対井上京子戦でプロレスデビュー。デビュー当時はアイドルレスラーであり写真集も多数出版。全日本女子プロレスが管理したチャンピオンベルトのNo.2の地位であるオールパシフィック王者(通称 : 白いベルト)にこだわりを見せていた。1992年『奇跡の扉』で歌手としてもデビューを果たす。
1997年の全女選手大量離脱の際には全女に残留し「新生全女」をアピール。しかしながら1999年には全女を脱退し、その後しばらくフリーランスで活躍する。
風間ルミ、イーグル沢井とBLACK JOKER(ブラックジョーカー)というヒール軍団を結成。
2004年にはWWEのトライアウトを受けた。2005年2月にLLPWに正式入団。
[編集] 得意技
- バックブロー
- ハイキック
- ローリングソバット
- ダイビングニードロップ
- トップロープからの延髄ニー
- この技に関しては三つの名前があり、ひとつはそのまま「延髄ニー」、もう一つは「タカコ☆パニック」、さらにもう一つは「ディスティニー・ハンマー」。「タカコ☆パニック」は、初めてこの技を公開した際、週刊プロレスの記事で技を決めた瞬間の写真で下にこの名前が書かれた事と、同名の私設ファンクラブ名に由来し、「ディスティニー・ハンマー」に関しては、この技を見たレジー・ベネットが、井上貴子に向って「ディスティニー・ハンマー!」と名づけた事に由来する。パンフレットや記事でもそれぞれ異なった技名で記載しているが、どの名前でも良い事になっている。
- オーロラ・スペシャル
- 相手を自分の肩に担ぎ上げた状態で、そのまま後ろへバックドロップのような体勢で投げる技。この技のバリエーションに、投げた後にブリッジで固めてそのままフォールする「オーロラ・スペシャルホールド」と、担ぎ上げる際相手の両腕を前にクロスさせた状態でロックし、そのまま投げた後にフォールする「クロスオーロラ・スペシャルホールド」がある。
- フジヤマ・スノー・スライダー
- 相手の背中を自分の背中に付けた状態で両腕をロックし、逆さ押さえ込みのような体勢で前方へ投げ落とした状態でフォールする技。技を仕掛けるタイミングが難しいのと、今のキャラクターに合わないという理由で、現在はほとんど使われていない。
- 膝十字固め
- 回転しながら相手の膝を決める間接技で、かつて井上京子と対戦した際、膝を痛めていた京子に対しこの技を決め、ギブアップさせた事がある。一時、得意技としていたが、現在はあまり使われていない。
[編集] その他
1998年に太陽とシスコムーン(後のT&Cボンバー)を誕生させた、テレビ東京『ASAYAN』(2002年3月迄放送)内で行われた、芸能経験の有る女性を対象にしたオーディションである「つんくプロデュース芸能人新ユニットオーディション」を受けて落選している(落選の理由は同時にオーディションを受験した鈴木早智子同様、『井上貴子』という存在はネームバリューがあり、本当に無名な芸能人を再生させるプロジェクトであるため、プロジェクトの趣旨にそぐわなかったからとの事である)。この時の様子は、番組内でモザイク処理させてあったが放送されている。尚、この件に関しては、当時全女の試合を放送していたフジテレビの了承を取っていなかった為、問題になったそうである。
[編集] 外部リンク
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