伊井蓉峰
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伊井 蓉峰(いいようほう、本名・伊井申三郎、1871年8月16日-1932年8月15日)は、発足間もない新派劇で活躍した俳優。二枚目俳優であり、芸名は「いい容貌」のもじりだという。
東京市日本橋区(現・中央区)に写真家の北庭筑波の息子として生れる。医学予備校、独逸協会などに学び、父の没後は三井銀行に勤務した。
当時、川上音二郎の「書生芝居」が人気を得ていることに興味を持ち、1891年、「川上一座」に俳優として参加した。間もなく、川上と袂を分かち、芸術的写実的な演劇を目指し、浅草の吾妻座を本拠に「男女合同改良演劇済美館」を興した。その後、1894年からは市村座で「伊佐水演劇」を旗揚げし河合武雄らとともに近松劇から翻訳劇まで様々なジャンルのものを上演し、絶賛を浴びた。1909年に東京座で行われた「新派大合同公演」では座長を務め、その後迎えた「三頭目時代」を先頭で引っ張った。