伊号第一七五潜水艦
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伊号第一七五潜水艦は大日本帝国海軍の伊一七四型潜水艦の2番艦である。米護衛空母リスカム・ベイを撃沈したことで知られる。
第二次海軍補充計画(②計画)によって計画され、神戸の三菱造船所で建造で建造が行われた。1934年(昭和9年)起工、1938年(昭和13年)12月18日竣工。竣工事の名称は伊号第七五潜水艦である。太平洋戦争開始時には第6艦隊第3潜水戦隊に所属し、真珠湾攻撃に参加している。以降北太平洋で行動し、ミッドウェー海戦にも参加。その後は活動場所を南太平洋に変えて通商破壊や輸送任務に携わる。通商破壊任務では輸送船2隻を撃沈している。
1943年となり、マキン島及びタラワ島の戦いを支援するためギルバート諸島周辺海域で索敵行動をとる。
10月16日に米護衛空母リスカム・ベイを中心とする部隊を発見し、襲撃運動に入った。その後、輪形陣をかいくぐって同艦から約900mまで接近し、同艦が艦載機収容のために艦首を風上に向けた時、期せずも本艦に横腹をさらす形になったことから、艦長は魚雷攻撃を命令した。
このとき発射した4本の魚雷のうち、1本がリスカム・ベイの右舷後部にある航空爆弾庫付近に命中し、収納してあった対潜爆弾等が誘爆を起こし、リスカム・ベイの前半分は瞬時にして跡形もなく吹き飛び、後半分も時を経ずして沈没、艦長以下乗組員644名が犠牲になった。
なお、攻撃が成功して離脱しようとした本艦は、護衛部隊による猛烈な爆雷攻撃を受けたが、これをやり過ごしてトラック島にある第6艦隊根拠地に無事帰り着くことができた。
1944年2月17日にマーシャル諸島周辺海域での任務に向かう途中でアメリカの駆逐艦ニコラスによって撃沈された。
なお、撃沈される出撃の直前に人事異動となった本艦の軍医長が太平洋戦争を生き延び、護衛空母リスカム・ベイ撃沈に係る艦内の様子を記録していたため、書籍にその様子を書いた手記が掲載されている。