伊号第三二潜水艦
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伊号第三二潜水艦は大日本帝国海軍が運用した伊一五型潜水艦の一隻。第四次海軍補充計画によって建造が承認され、佐世保の海軍工廠で建造された。1942年(昭和17年)4月26日竣工。
オーストラリア周辺海域やソロモン諸島周辺など、南太平洋で通商破壊の任務を行ったが、一隻も戦果を挙げることはできなかった。輸送任務なども行ったものの1943年3月23日に米機動部隊発見の報を最後に、翌24日マーシャル諸島ウォッゼ周辺海域において米護衛駆逐艦「マンラブ(Monlove)」および魚雷艇「PT-1135」の共同攻撃により戦没した。同年6月10日、戦没認定され除籍。