分極的多党制
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分極的多党制(ぶんきょくてきたとうせい)とは、政治学の用語で、以下の状態にあるものを指す。
- 議席のある政党の数が6以上(とされていたが、本質的には3党であっても分極的になりうる)。
- 左右を問わず、有力な反体制政党が存在する。
- 政党間の政策距離が大きいため、連立が成立しにくい。
- 双系野党の存在(政党もしくは政党群が以下のような状態におかれていることを指す)
- 四ブロック以上に分かれている。
- 三ブロックに分かれていて、かつ、そのうち一ブロックのみで政権を担う場合おいて、その政権政党ブロックが、イデオロギー的に中道に位置している。
- 右翼ブロック、中道ブロック、左翼ブロックに分かれていて、右翼と中道(あるいは左翼と中道)で政権交代がある場合には、中道ブロックが政権を担っているときは、イデオロギー的に左右に野党が存在することになる。これが「双系野党の存在」である。
つまり、政権に参加する機会のない反体制政党は、当然のことながら穏健な中道政党ではないと予測される。反体制政党があるということは、それはすなわち政党間の政策距離が大きいということと同義である。そのため、その反体制政党が政権に参加する機会がないので、しばしば政権政党の資格があるとされている政党もしくは政党群だけでは、いずれも過半数に届かず、連立政権が発足できずに膠着状態に陥ると予測されるのである。政権を担ってきた二つの政党ブロックは激しく政権争いをして選挙を戦ってきたのはずなので、連立のための交渉は成立しにくい。しかしながら第三勢力は反体制政党であるため、やはり連立のための交渉は成立しにくいと予測される。
典型例としては、
- ワイマール共和国時代のドイツ。社会民主党が中心の体制であったが、右に国家社会主義ドイツ労働者党、左にドイツ共産党が控えていた。
- 1993年までのイタリア。キリスト教民主党が中心の体制であったが、右にイタリア社会運動(ネオファシスト)、左にイタリア共産党(そしてイタリア共産党は大勢力)が控えていた。但し構図としてはイタリア共産党vsその他の政党による連合となっており、与野党の構成は変わらなかった。
かなり数の多い多党制が前提であるので、比例代表制でこの現象が起きやすいとされる。しかしながら、同じ比例代表制でも、分極的多党制にならず、ファシズム政党が台頭しなかったスカンディナヴィア諸国という事例もあるので、必要条件と十分条件の違いは重要である。
ドイツでは、結果として右翼全体主義を招いてしまった反省から、戦後のドイツ連邦共和国では、
などの予防策を講じている。この政策により社会主義帝国党(社会主義ライヒ党)、ドイツ共産党などは解散させられた。