劉旦
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劉旦(りゅうたん ? - 紀元前80年)は、燕王。諡号は刺(らつ)王(在位30年)。
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[編集] 略要・人物
[編集] 概要
武帝の第三子。生母は李氏(弐師将軍・李広利の妹とは別人)。長兄は劉拠・次兄は斉懐王の劉閎。広陵厲王の劉胥は同母弟で、昌邑哀王の劉髆(李広利の妹の子)、昭帝の異母兄に当たる。子に広陽頃王の劉建らがいる。
[編集] わがままな皇子
紀元前110年、皇子の身分で燕王に封じられる。父の武帝の在命中からなにかと弟の劉胥と共に疎まれたという。父が亡くなる半年前に末弟の劉弗陵(昭帝)の皇太子決定に不満を持ち、長安に急使を出して「自分が父君の最年長の子だから、漢の太子になるのは当然である!」と告訴した。だが父の武帝は激怒して「旦のたわけ者めが!その使者を処刑し、燕の領土の一部を召し取れ!」と厳命し、燕の使者を斬り捨てて、燕の領土の内の良郷・安次・文安の三県を没収した。こうして、武帝は自分の三男の劉旦が漢の後継者ではないことを天下に示したのであった。当然、燕王は僻みっぽく「おのれ、今に見ておれよ。老いた親父よ…」と愚痴を洩らしたという。
[編集] 皇帝の地位に執着
そして父が崩御すると「なに、親父が亡くなったと?よし急いで都に上って、このわしが後継者だと周りに示すのだ!」と叫んで、父の死に全く悲しむ様子を見せなかったという。だが大臣達の諫言でいったんは思い滞ったという。幼くして帝位を継いだ昭帝は英邁だったが、まだ幼いために兄の存在に不安を持ち、大司馬大将軍・霍光と相談したという。また燕王は「わしが皇位に即けれないなら、周の周公旦になぞらえて末弟を補佐するのも悪くないし、また周公と同じ名の“旦”を持つからな。」と異様な意欲を見せた。だが燕王の企みを察した霍光はそれを妨害した。
[編集] 第一次クーデター
霍光の行為に激怒した燕王は紀元前88年、伯父の中山靖王の劉勝の孫である臨邑亭侯・劉長(劉勝の庶長子・劉沢の嗣子)らと結託して、狩猟の名目の理由で兵を集めて謀反を起こそうとした。だが、青州刺史の雋不疑が事前に察知して、劉長らを逮捕して峻烈に取り調べて、これを処刑したという。但し、黒幕の燕王は皇帝の兄ということで、特別な処置でお咎めは無かったという。この功績で、雋不疑は京兆尹(都知事)に累進したが、彼は不幸にも間もなく重病となって辞任し郷里に帰ったという。
[編集] 第二次クーデターと燕王の最期
歳月は流れて紀元前80年、左将軍の上官桀は霍光と仲違いして燕王に近づいて来た。また、燕王の同母姉の蓋公主(武帝の娘)は蓋侯の王充(武帝の叔父の王信の末子)の妻で末弟の昭帝を補育していた。だがその蓋公主が河間の人である丁外人と浮気をして、彼女はその情夫の丁外人を列侯にすべく霍光に申請した。だが霍光は「あなた様は陛下の姉君でしかも養育係でもあります。それがどうでしょう、自らを弁えずその“情夫”を列侯に封じるとはなんたることですか?恥をお知りなさいませ!」と申請を却下されたばかりではなく、彼女を厳重に注意したのである。大いに気分を害した蓋公主は霍光に敵愾心を見せて、上官桀・上官安(驃騎将軍)父子に近づいた。また霍光に不満を持った御史大夫の桑弘羊を誘い、燕王の下に集結して、霍光に対するクーデターの準備をした。燕王も「わしが帝位に即いた暁には、君達を要職に就けて、共に漢王朝を繁栄させようぞ!」と大いに喜んだという。だが霍光はその予想があることを熟知した。そして、蓋公主に冷遇された侍女の父の燕倉を買収して、彼の証言から、直ちに燕王一味を逮捕した。こうして、 燕王と姉の蓋公主には死を賜り、上官父子・桑弘羊・丁外人らは処刑された。また、燕王の正室以下の女性達も、悲惨な殉死を遂げたという。燕の領土は漢の直轄地となり、燕王の諸子達は庶人に落とされたという。
この事変は霍光らの重臣が以前から燕王らの野心を砕すために、先制を取って彼等を葬ったのが真相のようである。それが正史の勝者側の記述のカモフラージュのために「天子のために、燕王一味を一網打尽した」とあるようである。
[編集] 劉旦の子孫のその後
だが数年後、霍光は燕王の劉旦に「刺王」の諡号を送り、その太子であった劉建を燕王から改称して新たに「広陽王」に封じたという(劉建は「頃王」の諡号を送られた)。この広陽王家は、頃王の子の穆王の劉舜・思王の劉璜父子の代を経て、その子の順王の劉嘉の代に新の王莽によって、漢の宗室系の爵位が全て廃されるまで在続したのである。やがて、劉嘉は王莽から漢の旧皇族として、扶美侯に降格されたという。なお、分家の西郷侯は広陽頃王の庶子である西郷頃侯・劉谷を始祖とし、その子劉景・劉宏父子まで続いている。なお、魏の侍中の劉放はその末裔である。
[編集] 宗室
[編集] 子
- 広陽頃王・劉建
- 安定戻侯・劉賢
- 新昌節侯・劉慶