劉誕
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劉誕(りゅうたん、生年不詳 - 193年)は、劉焉の次男。家系は劉氏。劉璋の異母兄。字は不詳。正史には一切登場しない人物である。
[編集] 略伝
父の命で、同母兄の劉範と共に長安に駐屯した。董卓によって治書御史に任命される。192年、董卓が殺害されると、董卓の腹心であった李傕が跋扈政治を行なったために、これに目をつけた父・劉焉は翌193年に、李傕を滅ぼすべく、涼州軍閥の頭目で、征西将軍の馬騰・韓遂らと手を組んだ。劉誕も兄の劉範と内側から李傕を襲撃する計画であったが、密告者によって暴露され、兄の劉範は馬騰と共に逃亡を企てるも、激怒した李傕の追撃軍によって殺害された。劉誕自身も捕らえられて李傕によって極刑され、長安の市場で兄弟揃って晒し首になったという。
やがて、長安にいた劉兄弟が殺害された報を聞いた父・劉焉は彼等のその刑死を大いに悲しみ、次第に体調を崩したという。