功田
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功田(こうでん)は、日本の律令制において、特別の勲功者へ給与された田地をいう。
[編集] 概要
現存する養老令の田令第5条(功田条)では、功績の大きさによって勲功者を大功・上功・中功・下功の四等に区分した上で、大功は功田を永久に世襲、上功は3世(曾孫)まで相続、中功は2世(孫)まで相続、下功は子まで相続、と各区分ごとに相続できる子孫の範囲が定められていた。さらに同条では、大功は謀叛を犯さない限り、それ以外は八虐を犯さない限り、功田を収公しないことも規定していた。
功田は令の規定上、田租が賦課される輸租田(ゆそでん)とされたが、時代が下り平安時代以降になると、田租が免除される不輸租田(ふゆそでん)とされることが多くなっていった。
[編集] 支給例
功田の支給の実態は、続日本紀の天平宝字元年十二月九日条(757年)の記事によって知ることができる。詳しくは以下のとおりである。※( )内は功田面積。
- 乙巳の変における功績
- 大功 - 藤原鎌足(100町)
- 上功 - 佐伯古麻呂(40町6反)
- 古人大兄皇子の謀反における功績
- 中功 - 笠志太留(20町)
- 壬申の乱における功績
- 大宝律令編纂の功績
- 下功 - 下毛野古麻呂・調老人・伊吉博徳・伊奈部馬養(各10町)
- 橘奈良麻呂の変における功績
- 上功 - 上道斐太都(20町)
- 遣唐使の功績
- 下功 - 坂合部石敷(6町)
- 養老律令撰修の功績
- 下功 - 大倭長岡・陽胡真身(各4町)、矢集虫麻呂・塩屋吉麻呂(各5町)、百済人成(4町)
この他、奈良中期の政治実権を握った恵美押勝(藤原仲麻呂)、道鏡の天皇即位を阻止した和気清麻呂、平将門を討伐した藤原秀郷、平氏政権を確立した平清盛などが、その功績により功田を給与されたと記録に残されている。