加納久宜
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加納 久宜(かのう ひさよし、嘉永元年3月19日(1847年4月22日) - 大正8年(1919年)3月2日)は、日本の武士・江戸時代幕末の大名(上総国一宮藩主)、政治家。鹿児島県知事、千葉県一宮町長、貴族院議員。立花種道の次男、加納久恒の養子。正室は大久保教義の娘。官位は従五位下、遠江守、子爵。加納久朗(後の千葉県知事)は二男。
[編集] 経歴
- 慶応3年(1867年)に前藩主の加納久恒が亡くなり、最後の上総国一宮藩主に就任。明治2年(1869年)の版籍奉還により一宮藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免職。
- 明治17年(1884年)、子爵を授爵される。明治27年(1894年)から鹿児島県知事を務め、西南戦争後の荒廃の中から今日の鹿児島県の基礎を築いた知事として地元から高い評価を受けている。
- 帝国農会の初代会長に推されるなど全国の農政にも深く関与する。さらに英国留学時に協同組合金融について学び、明治35年(1902年)7月に、大森山王の自宅を事務所に、夫人と二人で手作りで帳簿を揃えて、都内最古の入新井信用組合(現:城南信用金庫入新井支店)を設立し、信用組合の模範を示す。全国を遊説し我が国の産業組合運動の振興に深く関与。
[編集] 外部リンク
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