北海道南西沖地震
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北海道南西沖地震(ほっかいどうなんせいおきじしん)は、1993年(平成5年)7月12日22時17分頃、北海道南西沖の日本海海底で発生したマグニチュード7.8の地震。震源に近い奥尻島を中心に火災や津波で大きな被害を出し、死者201名、行方不明者29名に及んだ。ロシアで行方不明者3名。被害が奥尻島に集中していたことから、「奥尻地震」「奥尻島地震」「奥尻島沖地震」と呼ばれることもある。
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[編集] 地震学的概要
震源は北緯42.8度、東経139.2度であり、ユーラシアプレートと北アメリカプレートのプレート境界で発生した。気象庁発表のマグニチュードは7.8、Mw7.7。
[編集] 被害状況
死者201名、行方不明者29名、負傷者323名、家屋の全半壊は1,009棟に及んだ。
[編集] 地震による被害
島の東部にある奥尻地区では地震直後に崖崩れが発生、直下にあったホテルが土砂により倒壊し、宿泊客と従業員41名のうち28名が死亡した。その他数カ所で崖崩れが発生し、道道奥尻島線などが一時通行不能となった。
[編集] 津波による被害
津波での死者・行方不明者は奥尻島で197名、北海道本島の北桧山町・瀬棚町・大成町(全て現在のせたな町)などでも死者を出した。
津波の被害を最も大きく受けたのは奥尻島南部の青苗地区である。三方を海に囲まれたこの地区は、震源より直接到達した波が市街地でも高さ10mに達したほか、島を回り込んだ波、北海道本土で反射した波など複数方向から津波の襲来を受け、事実上壊滅状態になった。地区の人口1,401人、世帯数504に対し死者・行方不明者109名、負傷者129名、家屋全壊400戸という被害を出した。このほか、藻内・松江など島の南半の各地区と、北端の岬にある稲穂地区で津波でも死者が出ている。藻内地区では波高が30mに達したとの説もある(pdf)。
奥尻島は1983年の日本海中部地震で津波被害を受けており、このときの到達は地震発生から17分後であった。この経験から徒歩で迅速に避難し助かった人も多くいたが、逆に津波到達までは時間があると判断し、車で避難しようとして渋滞中に、また車で避難中に避難路の選択を誤ったり、あるいは避難前に用を済ませようとするうちに津波に飲まれた人も少なくなかった。その一方、海岸付近に立てられた鉄筋コンクリート2階建ての住宅が一家の命を救ったと言う事例が存在する。
[編集] 火災による被害
津波で壊滅的打撃を受けた青苗地区では、12日22時40分頃、翌13日0時30分頃と相次いで火災が発生した。津波で倒れたホームタンクからの灯油漏れ、道路寸断により他地区から消防車の応援を得られなかったなどの要因により火は燃え広がった。鎮火に至ったのは最初の出火から11時間後で、延焼面積は約5ha、焼失は190棟に及んだ。火災を直接の原因とする死者はなかったようである。
[編集] 教訓
- この地震では地震発生後すぐに津波が来襲したため、津波警報が間に合わなかったことから、津波情報送り出しの迅速がなされた。
- 地震による火災だったにもかかわらず、火災保険にしか入っていない住民が多かったことから、保険に対する扱いが大きな問題となった(特に住宅ローンを組む際に火災保険に関する扱い、地震保険に入るか入らないかということが話に出ることなく地震保険に入らない扱いにされたことが大きな問題になった。)。