北畠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] 概要
北畠という地名は、この地域で討ち死にしたとされる南北朝時代の南朝方の北畠顕家に由来している。地域には、顕家の墓(北畠公園内)や顕家を祀った阿部野神社がある。
北畠の地名の範囲は、狭義の意味では現在の住居表示での大阪市阿倍野区北畠を指す。広義の意味では大阪市阿倍野区北畠と周辺地域を指す。
阿倍野区南部から住吉区北部に広がる、帝塚山地域に連なる住宅街とされてきた。
阿倍野元町
松虫通の拡幅により、松虫通北側の1~2番地は飛び地様になっている。
古くからの住宅街だが、あべの筋に接する土地が多いことや広大な敷地を利して戸数30戸を超えるような大規模分譲マンションも多い。
阪堺電気軌道上町線東天下茶屋駅付近はかつて保名と呼ばれていた。現在は簡易郵便局にその名前を残すだけである。
学校区は大阪市立晴明丘小学校、大阪市立阪南中学校。(1・2番地を除く。1・2番地のみ大阪市立丸山小学校、大阪市立松虫中学校の校区)
北畠1丁目
北畠顕家の眠る北畠公園に道路を挟んで隣接した地域。街路はカーブが少なく、縦横に直線的に配されているのが特徴でゆとりある住宅の多い閑静な住宅街で、大規模な集合住宅は少ない。学校区は大阪市立晴明丘小学校、大阪市立阪南中学校。
北畠2丁目
上町台地の西端にあたり、阪堺電気軌道上町線より西に広がる坂の多い街。道路は入り組んでいて、知らずに自動車で入り込むと進退極まってしまうことも多い。
税関やみずほ銀行の寮がある他は、殆どが戸建住宅が立ち並んでいる。学校区は大阪市立晴明丘小学校、大阪市立阪南中学校。
北畠3丁目
北畠二丁目の南西に隣接する同じく坂の多い街。二丁目以上に道路が入り組んでいて、所要などで自動車を使って移動する時は道路を熟知している必要がある。
南部はいわゆる帝塚山の一角をなす住宅街だが、北部には公営や市営の住宅も存在する。規模の大きい集合住宅は竹中工務店や三井住友銀行などの社員寮か分譲マンションである。
学校区は大阪市立晴明丘南小学校、大阪市立阪南中学校。
[編集] 北畠3丁目の建築協定について
住環境の保全を目的として1982年(昭和57年)12月15日より、北畠3丁目には下記の内容の建築協定が締結され、住環境の保全が義務付けられている。そのため、協定内およびその周辺では、比較的住環境が維持されている。
- 目的:住宅地としての環境を高度に維持増進する。
- 土地の形質の変更及び区画の分割を禁ずる。
- 協定時の建物の位置、高さ及び階数を超えての建築を禁ずる。
- 住宅以外の用途への変更を禁ずる。
- 屋根、外壁の材料又は色彩の著しい変更を禁止し、屋外広告物の設置を禁ずる。
- 木竹の伐採については、「大阪市風致地区内における建築物等の規制に関する条例」の規定を適用する。
[編集] 高層集合住宅建築時の地域との摩擦
高層集合住宅建築が計画された時には地域の既住住民との間で摩擦が起きることもある。
特に、幹線道路沿いの10数mは斜線規制からは逃れられないものの近隣商業地域となっている。また道路の拡幅事業の一環として一定距離のセットバックを容認すれば容積率が緩和されるなどの理由で、ワンルームマンションなどの建設も可能である。実際に既住の周辺住民から反対運動が起きたこともあった。
また、幹線道路沿いでない地域でも、公団住宅の建替えに既住の周辺住民が計画の見直しを要求する事態に至ったこともあった。このケースでは地域コミュニティが崩壊しかねない状態に発展する危惧もあったが、結果的に旧来の建物よりも影が小さくなる設計だったことや窓に視線対策を行うことにより、現在は一定の収拾を得た。
このように住環境を極めて重視する地域柄であることから、現在はこの地域内にコンビニエンスストア、スーパーマーケット、ファストフード、ファミリーレストランの類は存在しない。
[編集] 主要な施設など
- 阪堺電気軌道上町線 松虫駅、東天下茶屋駅、北畠駅
- 松虫通
- あべの筋
- 大阪府立住吉高等学校
- 大阪市立阪南中学校
- 大阪市立晴明丘小学校
- 安倍晴明神社
- 阿倍王子神社
- 阿部野神社
- 保名簡易郵便局
- 大阪物療専門学校
- 印山寺
- 源正寺
- 晴明丘公園
- 晴明丘中央公園 - この公園はかつて1軒の屋敷だった。(もと所有者が相続させずに寄贈)
カテゴリ: 大阪府の地理 | 阿倍野区 | 日本の地理関連のスタブ項目