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南部戦線 (アメリカ独立戦争) - Wikipedia

南部戦線 (アメリカ独立戦争)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南部戦線
戦争: アメリカ独立戦争
年月日: 1775年 - 1782年
場所: バージニア および 現在の アメリカ合衆国南部
結果: ヨークタウンの戦いでのイギリス軍の降伏
交戦勢力
大陸軍 イギリス軍
指揮官
戦力
損害

南部戦線(なんぶせんせん、英:Southern theater)は、アメリカ独立戦争中に、フランスアメリカ合衆国側で参戦してから作戦行動の中心となったアメリカ南部での一連の戦闘をいう。独立戦争の初めの3年間、戦いの舞台は主に北部であった。サラトガ方面作戦の失敗後、イギリス軍は植民地中央部での作戦活動を諦め、南部植民地で有利な講和条件を作る戦略に切り替えた。

目次

[編集] 初期の行動

バージニア植民地では、1775年4月20日レキシントン・コンコードの戦いの翌日、ともに類似点の多いできごとだが、火薬事件が起こった。バージニア植民地の知事ダンモア卿がウィリアムズバーグに保管していた火薬をジェイムズ川のイギリスの武装船に移そうとした。彼は植民地の社会不安が増していると見て、バージニア民兵から暴動に必要なものを取り上げようとした。パトリック・ヘンリーに率いられた愛国者民兵がダンモアに火薬の代償を要求した。

"ダンモア卿の逃亡"
"ダンモア卿の逃亡"

独立戦争が始まると、ダンモアは1775年11月に解放宣言を発して、逃亡奴隷に自由を約束しイギリス軍側で戦うよう訴えた。1775年12月9日、大陸軍がダンモア指揮下の解放奴隷を含む王党派軍をグレートブリッジの戦いで破った。その後、ダンモアと彼の軍隊はイギリス船でノーフォークに逃れた。1776年1月1日、ダンモアはノーフォークの町を砲撃し焼いた。彼はその夏、チェサピーク湾の島から追われ、復帰することはなかった。

[編集] 第一次チャールストン攻撃

南部を再度支配するためには、物資を運び込む港の確保が必要だった。1776年6月、この目的のために、ヘンリー・クリントン将軍指揮下のイギリス軍がサウスカロライナのチャールストン港にあるサリバン砦を攻撃した。クリントンは、サリバン砦のあるサリバン島に隣接するロング島にその2,200名の部隊を上陸させたが、いつになく彼はその地域の事前調査を行う命令を出しそびれていた。2つの島の間の海峡はかなり深く、歩いて渡るわけにはいかなかった。[1]乗ってきた船に再度乗り直して攻撃に向かう代わりに、イギリス海軍の指揮官ピーター・パーカー卿にサリバン砦を墜としてくれうよう依頼した。しかし、イギリス軍艦の砲撃は砦の防壁の大半に使われていた多孔質のヤシ材には効果が無く、その目的を果たすことができなかった。[2]不面目な失敗であり、クリントンのカロライナ方面作戦は中止された。[3]2人の指揮官は戦闘後に互いの非を詰りあったという。[4]この時のサリバン砦の指揮官はウィリアム・ムールトリーであり、戦いの後に砦の名前はムールトリー砦となった。愛国者達は続く3年間、南部植民地を支配し続けた。

[編集] イギリス軍の南部方面作戦

[編集] 王党派の提案

1778年にイギリス軍が再び南部に目を向けた。南部には多くの王党派が住んでおり、その募兵によって統治を回復できると見ていた。この仮定は、アメリカ植民地問題担当補佐官ジョージ・ジャーメインに直接会いにきた、ロンドンに逃げてきた王党派の証言を元にしていた。[5]失った土地を回復し、なおかつ王室に対する忠誠を示すことで報奨を望んだこれらの脱出者達は、イギリス軍が南部で大きな作戦を展開することで、潜在的な王党派(ロンドンのイギリス内閣に大きな影響力を持っている党派)の支持を拡大できるということを確信させるのが最良の道と考えていた。[6]

イギリスは南部を開放しさえすれば、ほぼ戦争終結まで実質的な支持が得られるとの想定で動いた。サウスカロライナに入ったコーンウォリスは、クリントンに次のように書き送っている。 :ノースカロライナの行き詰まった友邦からの援軍を保証すれば、我々はかってない程の強さになる。 コーンウォリスが南部方面作戦を展開するにつれて、この仮定は大筋で正しくないことがわかってきた。

[編集] 南部での初期の活動 - サバンナおよびチャールストン

1778年12月29日ニューヨークからの遠征軍3,500名が、アーチボルト・キャンベル中佐の指揮で銃火を交えることもなくジョージアサバンナを占領した。[7]このことの重大性はイギリス軍にとって過小評価されるべきでは無かった。アウグスティン・プレボスト准将が1779年1月17日にキャンベル軍に加わり、ジョージアの低地帯全部がイギリス軍の統制下に入った。[8]

[編集] サバンナの防衛

1779年10月フランス軍と大陸軍が合同でサバンナの包囲戦を行った。ベンジャミン・リンカーン少将が指揮し、フランス海軍のエスタイン伯爵指揮する船隊が支援した。この作戦は見事な失敗に終わった。米仏の損害は901名に達したのに対し、イギリス軍の損害は54名に過ぎなかった。[9]フランス海軍の調べでは、1776年のチャールストンでピーター・パーカー提督の攻撃を防いだ守備兵とほぼ同数の兵士が要塞化されたサバンナを守っていることが分かった。大砲の砲撃はほとんど効果が無かった。チャルストンでムールトリー砦に対する攻撃の時、クリントンは陸路を行こうとしたのとは異なり、エスタインは艦砲射撃が失敗すると突撃を命じた。[10]この時、ポーランドの騎兵指揮官カジミール・プラスキーが瀕死の重傷を負った。[11]サバンナを死守した後、クリントンは1776年に失敗したサウスカロライナのチャールストン攻略に再び動いた。リンカーンはチャールストンの防御を固めるために残っている部隊を派遣した。[12]

[編集] 第二次チャールストン攻撃

クリントンは1780年にチャールストンに向かうと、3月には港を封鎖し、部隊を10,000名に増強した。チャールストンに向かうクリントンを遮るものは無かった。大陸海軍の指揮官アブラハム・ウィップル海軍准将は8隻のフリゲート艦のうち5隻を港で自沈させ、防衛の用に供した。[13]市中では、ベンジャミン・リンカーンが2,650名の大陸軍と2,500名の民兵を指揮して守っていた。イギリス軍のバナスター・タールトン大佐が4月のモンクスコーナーおよび5月早々のレナヅフェリーでの勝利により市の補給路を抑え、[14]チャールストンは包囲された。[15]クリントンは3月11日に始めた包囲線から町への砲撃を開始した。[16]

5月12日、リンカーン将軍は5,000名の兵士と共に降伏した。これはアメリカ独立戦争の大陸軍では最大の降伏である。損害もほとんどなかったので、クリントンは南部最大の都市と港を抑え、たぶんイギリス軍最大の勝利の次は南部全体の征服が可能と考え始めた。

[編集] 大陸軍の撤退と反撃

南部の大陸軍残余部隊はノースカロライナに撤退を始めたが、これをタールトン大佐が追撃し、5月29日、ワックスホーの戦いで再度破った。植民地人の間に、タールトンは大陸軍の兵士が降伏しても多くを虐殺したという噂が広まった(これが真実であるかは定かでない)。「血塗られたタールトン(Bloody Tarleton)という名前が憎しみをもって呼ばれ、「タールトンの慈悲(Tarleton's quarter)」が間もなくスローガンのようになった。

これら一連の戦闘で、南部の大陸軍は組織だった作戦行動をできなくなった。しかしそれぞれの植民地政府は機能し続け、戦争はフランシス・マリオンなどのパルチザンによって続けられた。クリントン将軍は南部の指揮をコーンウォリス卿に委ねた。大陸会議はホレイショ・ゲイツ将軍を新たな部隊と共に南部に送った。しかし、ゲイツは1780年8月16日、キャムデンの戦いで大陸軍始まって以来の大敗を喫し、コーンウォリスにノースカロライナに進軍する道を与えてしまった。

しかし、コーンウォリスにも事態が変わり始めた。10月7日、キングスマウンテンの戦いで彼の一翼を担っていた部隊が完敗した。この戦いは王党派民兵と愛国派民兵の戦いだった。イギリス軍は大きな王党派軍を作ろうと思っていたが、その計画が挫折した。志願してくる王党派の数が減り、志願してきた者もイギリス軍がいなくなると覚束ないものになった。ジョージア植民地だけは、反独立側の市民政府をなんとか作ることができた。

ゲイツは罷免され、ジョージ・ワシントンの一番の片腕ナサニエル・グリーン将軍が南部の指揮を執った。グリーンは、ダニエル・モーガン将軍に約1,000名の兵士を預けた。モーガンは1781年1月17日、コーペンスの戦いで、タールトンの部隊を打ち砕いた優れた戦術家である。グリーンは一連の戦い(ガリフォード郡庁舎の戦い、ホブカークスヒルの戦い、ナインティシックスの戦い、ユートースプリングスの戦い)によって敵軍の消耗を謀った。これらの戦いは、戦術的にはイギリス軍の勝利だったが、戦略的には何ももたらさなかった。グリーンは後に有名となるモットー「戦い、撃たれ、立ち上がり、また戦う(We fight, get beat, rise, and fight again.)」で部隊を鼓舞した。

コーンウォリスはグリーンの軍隊を打ち破ることもできないでいるうちに、大陸軍への物資の大半がこの時点までまだ手を付けていないバージニアから送られてきていることが分かった。コーンウォリスはクリントンの意に反し、カロライナへの補給線を抑えることで、大陸軍の反攻を封じ込められると期待して、バージニアへ侵攻することにした。[17]この考え方は本国のジャーメイン卿の一連の手紙では支持されていた。このことは、全軍の総指揮官であったクリントンを意志決定の埒外に置いたことになった。[18]クリントンに伝言を送ることもなく、コーンウォリスはバージニアでの作戦行動のために北へ向かった。[19]

コーンウォリスが動くと、グリーンはサウスカロライナの再制圧を始めた。4月25日にホブカークスヒルの戦いでフランシス・ロードンの反撃もあったが、グリーンはこれを6月の終わりまでに成し遂げた。5月22日から6月19日まで、ナインティシックスの町を包囲していたが、このことがイギリス軍を海岸に移動させるきっかけとなった。

グリーンはサンテー川のハイヒルズで部隊に6週間の休暇を与えた。9月8日、ユートースプリングの戦いでアレクサンダー・スチュワート中佐指揮のイギリス軍とあいまみえた。この戦いで倒れた兵士達を、アメリカの作家フィリップ・フレニューが1781年の詩「勇敢なアメリカ人の記念に」で称えている。この戦闘は戦術的には引き分けだったが、イギリス軍の戦力は弱まり、チャールストンに撤退した。グリーンは戦争の残りの数ヶ月イギリス軍をそこに釘付けにした。[20]

[編集] ヨークタウンの戦い

詳細はヨークタウンの戦いを参照

イギリス軍はバージニアでは散発的に戦闘を行った。1781年1月、バージニアでの独立派が首都としていたリッチモンドベネディクト・アーノルドの手に落ちた。アーノルドはイギリス軍に寝返り、その将軍となっていた。

コーンウォリスはバージニアに着くとピータースバーグに残っていたイギリス軍の指揮を執った。この地域はコーンウォリスの良き友人であり、コーンウォリスが到着する2日前に死去していたウィリアム・フィリップスが指揮を執っていたが、その跡を継いだことになる。[21]イギリス軍の指揮官の間の通信は海に頼っていたので、この頃の所要時間は2、3週間に及び、コーンウォリスはクリントンに何も知らせていなかったので、[22]彼は、北へ進軍してチェサピーク湾一帯の大陸軍補給線を破壊しつつあると伝えた。

1781年3月、ワシントン将軍はバージニア防衛のため、ラファイエット侯爵を送り込んだ。若きフランス将校は3,200名を指揮していたが、この地のコーンウォリスが指揮するイギリス軍は補強されて7,200名になっていた。ラファイエットはコーンウォリスと小競り合いを演じたが、援軍を待つ間は決戦を避けていた。「私はあいつを逃がしはしない」とコーンウォリスが言ったとされるが、言に反してコーンウォリスはラファイエットを捕捉することができず、7月にイギリス海軍と連携を取るためヨークタウンに軍を進めた。コーンウォリスがクリントンからの命令を受け取ったのはこの頃である。その命令では、バージニア半島で戦列艦を守るに適した場所を選び防御を施した海軍基地を造るということだった。[23]この命令を実行するために、コーンウォリスは罠にはまりやすい位置に進むことになった。グラス伯爵のフランス艦隊とワシントンの指揮する米仏連合軍が到着するにおよび、コーンウォリスは孤立してしまったことがわかった。サミュエル・グレイブス提督のイギリス艦隊がチェサピーク湾の海戦でフランス艦隊に敗れ、ロードアイランドニューポートからはフランスの船隊が到着し、コーンウォリスの立場は耐えられないものになった。1981年10月19日コーンウォリスは、追い詰められ降伏した。

[編集] 脚注

  1. ^ Bicheno, H: Rebels and Redcoats, p.158
  2. ^ Hibbert, C: Rebels and Redcoats, p.106
  3. ^ Kepner, F, "A British View of the Siege of Charleston, 1776", The Journal of Southern History, Vol. 11, No. 1. (Feb., 1945), p. 94 Jstor link
  4. ^ Kepner, F, "A British View of the Siege of Charleston, 1776", The Journal of Southern History, Vol. 11, No. 1. (Feb., 1945), p. 94 Jstor link
  5. ^ Germain letters, Clements Library, University of Michigan
  6. ^ Ritcheson, C, "Loyalist Influence on British Policy Toward the United States After the American Revolution", Eighteenth-Century Studies, Vol. 7, No. 1. (Autumn, 1973), p. 6, Jstor link
  7. ^ Furlong, P, "Civilian-Military Conflict and the Restoration of the Royal Province of Georgia, 1778-1782", The Journal of Southern History, Vol. 38, No. 3. (Aug., 1972), p. 416-442
  8. ^ Letter from Campbell to Clinton, Junuary 16, 1779, Clinton Papers,Clements Library, University of Michigan
  9. ^ Hibbert, C, Rebels and Redcoats, .246
  10. ^ Hibbert, C, Rebels and Redcoats, p.245
  11. ^ Rodgers, T, "Siege of Savannah During the American Revolutionary War", Military History, March 1997, p.6 HistoryNet resource
  12. ^ Bicheno, H: Rebels and Redcoats, p.166
  13. ^ Bicheno, H: Rebels and Redcoats, p.171
  14. ^ Wickwire, Cornwallis, the American Adventure, p.131
  15. ^ Hibbert, C, Rebels and Redcoats, p.266
  16. ^ The Siege of Charleston; Journal of Captain Peter Russell, December 25, 1779, to May 2, 1780, The American Historical Review, Vol. 4, No. 3. (Apr., 1899), pp. 490 Jstor link
  17. ^ Cornwallis, An Answer to Sir Henry Clinton's Narrative. Cornwallis wrote this pamphlet shortly after the war in explanation of his actions.
  18. ^ Cornwallis Correspondence, Public Record Office
  19. ^ Clinton, H, The American Rebellion. This lack of notification was one of Sir Henry Clinton's main arguments in his own defence in the controversy that followed the surrender at Yorktown.
  20. ^ Bicheno, 2001. Bicheno strongly emphasises that Cornwallis' absence from the South made the American reconquest merely a matter of time.
  21. ^ Wickwire, Cornwallis, The American Adventure, 1970
  22. ^ Cornwallis Papers, Public Record Office the dates o f receipt throughout this period of the war are usually two to three weeks after the date of dispatch
  23. ^ Clinton to Cornwallis, June 15th, 1781, Cornwallis Papers, Public Record Office

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • Alden, John R. The South in the Revolution, 1763–1789. Baton Rouge: Louisiana State University Press, 1957.
  • Cashin, Edward J. William Bartram and the American Revolution on the Southern Frontier. Columbia: University of South Carolina Press, 2000. ISBN 1-57003-325-0.
  • Chidsey, Donald Barr. The War in the South: the Carolinas and Georgia in the American Revolution, an Informal History. New York: Crown Publishers, 1969.
  • Crow, Jeffrey J. and Larry E. Tise, eds. The Southern Experience in the American Revolution. Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1978. ISBN 0-8078-1313-3.
  • Eckenrode, H. J. The Revolution in Virginia. Hamden, Conn.: Archon Books, 1964.
  • Lumpkin, Henry. From Savannah to Yorktown: the American Revolution in the South. Columbia, S.C.: University of South Carolina Press, 1981. ISBN 0-87249-408-X.
  • O'Donnell, James H. Southern Indians in the American Revolution. Knoxville: University of Tennessee Press, 1973. ISBN 0-87049-131-8.
  • Selby, John E. The Revolution in Virginia, 1775?1783. Williamsburg, Va.: University Press of Virginia, 1988. ISBN 0-87935-075-X.
  • Thayer, Theodore. Nathanael Greene: Strategist of the American Revolution. 1960.

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