吉屋信子
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吉屋信子(よしや のぶこ、1896年1月12日 - 1973年7月11日)は大正・昭和に活躍した日本の小説家である。
新潟県生まれ。栃木県で少女時代を過ごす。父雄一は下都賀郡長をつとめた人物であるが、頑固な男尊女卑的考え方をもっており、信子は内心反発を感じていた。真岡から栃木市に移住、栃木高等女学校(現栃木県立栃木女子高等学校)に入学した際、新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめる。日光小学校の代用教員になるが文学への道を捨てがたく、卒業後上京、作家を志し、1916年(大正5年)から『少女画報』誌に連載した『花物語』で人気作家となる。その後、『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選した『地の果まで』で小説家としてデビュー。徳田秋声らの知遇を得る。
1923年(大正12年)1月、永遠の愛友、門馬千代と運命的な出会いをする。1928年、千代を伴い満州、ソ連経由でヨーロッパに渡り、一年近くパリ滞在。アメリカを経由して帰国。戦前はゴルフ、戦後は競馬に熱中、競走馬の馬主となった。太平洋戦争開戦直前には、特派員として蘭印(インドネシア)、仏印(ベトナムなど)も訪問している。
1937年に発表された『良人の貞操』は当時あまり問題視されていなかった男性の貞操をめぐって議論を巻き起こす。1952年には『安宅家の人々』『鬼火』で第四回日本女流文学者賞を受賞。文学界に広く認められる。晩年は『徳川の夫人たち』『女人平家』など女性史を題材とした長編時代小説を執筆した。
また『あの道この道』は、ドラマ『乳姉妹』『冬の輪舞』の原作となった。
晩年は鎌倉に邸宅を建てて過ごし、信子の死後、養子となっていた千代により鎌倉市に寄付された。現在では吉屋信子記念館となっている。
目次 |
[編集] 作品
- 花物語(1920年単行本化)
- 屋根裏の二處女(1920年単行本化)
- 良人の貞操(1937年)
- 安宅家の人々(1952年)
- ときのこえ(1965年)
- 徳川の夫人たち(1966年)
- 女人平家(1971年)
[編集] 評伝
- 田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子』上・下巻(1999年、朝日新聞社刊)
[編集] 関連項目
- トキノミノル-この馬に対して「幻の馬」という表現を初めて使ったのが吉屋である。
[編集] 外部リンク
- 吉屋信子記念館(吉田五十八設計による和風住宅)
- 中原淳一・吉屋信子コレクション(国書刊行会)