坂口弘
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坂口 弘(さかぐち ひろし 1946年11月12日 - )は、新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人。千葉県富津市出身。千葉県立木更津高等学校卒業。東京水産大学(現東京海洋大学)増殖学科中退。
[編集] 経歴
大学在学中に自治会の委員長に就任、中退した後日本共産党革命左派神奈川県委員会に加わり、京浜安保共闘の一員になる。同年愛知揆一外務大臣のソ連、アメリカ訪問阻止の羽田空港突入闘争に隊長として参加、海を泳ぎ滑走路に入り火炎瓶を投げ逮捕されるも保釈で出獄。
その後上赤塚交番襲撃事件の立案、真岡銃砲強盗事件を経て革左人民革命軍と赤軍派中央軍を合体した統合司令部を設置し、統一赤軍を結成、統一赤軍から名称変更した連合赤軍に参加。印旛沼殺害事件で元同志2人を殺害。山岳ベース事件の後あさま山荘事件で逮捕。一審、控訴審で死刑判決。最高裁で上告棄却、死刑確定。再審請求していたが、平成18年11月28日東京地裁が棄却する決定をした。東京拘置所在監。 1990年代に、獄中で短歌を作って朝日新聞の「朝日歌壇」に投稿した時期もあり、その作品の一部が『坂口弘 歌稿』(朝日新聞社)にまとめられている。 また、一連の連合赤軍事件の記録を当事者として後世に残すため、「あさま山荘1972」(上・下・続)を著した。(下巻についてはいったん完成した原稿が行方不明となり、再度書き直している) ダッカ事件の際には釈放リストに名前が上がったが「もはや暴力革命を志す時期ではない。」 として死刑を免れる可能性があったのにも関わらず敢えて出国を拒否している。 しかし裁判ではこの行動が情状として認められなかった云々の愚痴を著書に書いている。
[編集] 他者の著作に対する抗議・訴訟
坂口は「あさま山荘1972」等の著作を発表する一方、同事件に対する他者の著作については当事者として盗用への抗議や内容に対する訴訟を行っている。
立松和平が文芸誌「すばる」で連合赤軍事件を題材として連載を開始した「光の雨」につき、自作「あさま山荘1972」に内容が酷似している箇所があると抗議した。立松はこの抗議を認めて謝罪し、「光の雨」の連載は中止された。「光の雨」は後に構想を改めて発表される。
- 佐々淳行「連合赤軍『あさま山荘』事件」に対する訴訟
佐々淳行の著作「連合赤軍『あさま山荘』事件」において、自作の短歌を無断で改変(読点を追加)して引用されたことと、記述内容において名誉を毀損する表現(当時の他の爆弾闘争に関与したかに見える点、逮捕時に臆病者であるような描写のある点)があったとして佐々と出版元の文藝春秋社を相手に提訴した。1審の東京地裁は短歌の改変による著作者人格権侵害と、名誉毀損のうち爆弾闘争との関与に関する部分を認めた。1998年、東京高裁の上告審でも同じ判断が示され、坂口の勝訴が確定した。
[編集] その他
- 身長176センチ。
- 連合赤軍結成の頃までは永田洋子とは事実婚の関係であった。しかし、その後永田は森恒夫と親密になり、坂口が山岳ベースから接触のため永田と森の東京の潜伏先に赴いた折に永田から「森と夫婦になることにした」と告げられる。2001年公開の映画「光の雨」においてもこの場面が再現されている(厳密には劇中劇の扱い)。
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