埼玉ブロンコス
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埼玉ブロンコス(さいたま-)は、bjリーグに所属し、埼玉県所沢市とさいたま市をホームタウンとするバスケットボールのクラブチームである。
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[編集] 沿革
[編集] マツダオート東京 - アンフィニ東京
元母体はマツダオート東京(のちに1991年からアンフィニ東京に社名変更)のバスケットボール部。1982年に結成し、所沢市を拠点として活動を続けた。ブロンコスの愛称は暴れ馬という意味で、創部2年目の1983年、サンタクララ大学のコーチだったランダ氏から同大学チームのニックネームを寄贈されたことによる。1987年から旧・日本バスケットボールリーグ1部に定着したが、最高成績は1987 - 1988年度の6位で、下位争いがやっと。
[編集] クラブ化後
しかし不況の影響で1996年を最後に実業団チームとしては廃止されたが、市民の根強い応援により1997年から市民資本のクラブチーム「ME所沢ブロンコス」(1998年より「所沢ブロンコス」)として再スタートを切る。しかし大会の規定で日本リーグから降格して関東実業団リーグ戦からの出直しとなったが、1998-1999年度に日本リーグ2部に復帰。その後リーグ戦の組織改正に伴って1999 - 2000年度から現在の実質的な2部リーグとなる新・日本バスケットボールリーグに加盟することになった。
チームは2006年にさいたま市のさいたまスーパーアリーナなどで開催される予定の世界選手権大会の開催をきっかけに、2000年からこれまでの所沢市に加え、さいたま市もホームタウンに加えることになり、チーム名も「さいたまブロンコス」に変更された。新リーグになってからは上位に参加するようになって2002-2003年度、そして2003-2004年度のシーズンに2連覇を達成した。
しかし、2004年8月に新潟アルビレックス(元・大和証券のバスケット部)とともにbjリーグといわれるプロリーグを結成する構想を明らかにした。これまでの企業重視の運営に疑問を感じたさいたまと新潟の2チームが中心となって、全国6都市を本拠とする地域密着型の新リーグを作ることを計画したものであるが、日本バスケットボール協会が日本リーグ機構からの脱退を認めていなかったが、2005年4月に脱退が認められた。しかしながら協会主導のプロリーグ計画を持っており慎重な姿勢を崩しておらず、完全プロ化に向けては課題が山積しているといえる。
また、将来的には「オールブロンコス構想」と題して、バスケットボールチームを運営する株式会社法人と、下部育成組織(サテライトチーム、ジュニアチーム、スクール)、並びにチアリーディングチームや他のスポーツ競技との交流(異競技間交流)を進める民間特定非営利活動法人(NPO)を設立させ、地域密着型総合スポーツクラブとして発展させることも目指す。
[編集] bjリーグでの経歴
2005年度のbjリーグ発足時にチーム名を「埼玉ブロンコス」に変更した。これは従前の所沢、さいたま両市を含む埼玉県全域にホームタウンを広げ、県民チームとしての定義を目指す意図があった。
リーグ初年度の2005-06シーズンの前半に、大黒柱のデービッド・ベンワーを怪我で失うアクシデントに見舞われ、以降のブロンコスは不振に陥った。アシスタントコーチとして残留したベンワーと入れ替わる形で監督のチャールズ・ジョンソンが選手としても出場、またシーズン途中でアメリカのABAよりマーカス・トニーエルを、福岡レッドファルコンズから庄司和広を獲得したものの低迷は終わらず、勝率2割に満たない7勝33敗でリーグ最下位としてシーズンを終えた。埼玉ブロンコスのブースター(ファン)は、リーグにより「ベストブースター賞」を贈られた。
[編集] 監督陣と選手
[編集] 監督陣
- ヘッドコーチ: 山根謙二
- アシスタントコーチ: 三木力雄
[編集] 選手
背番号 | 名前 | 生年 | 身長、体重 | 出身 | 前所属 |
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0 | 堀川竜一 | 1979 | 191cm、85kg | 富山県 | 富山グラウジーズ |
1 | 清水太志郎 | 1981 | 183cm、85kg | 宮崎県 | 大塚商会アルファーズ |
3 | マーカス・トニーエル | 1982 | 198cm、95kg | 米国 | ニューアーク・エクスプレス(ABA) |
5 | ゴードン・ジェームス | 1978 | 198cm、105kg | ガイアナ | SCブラガ(ポルトガル) |
7 | 村上和之 | 1976 | 178cm、75kg | 大阪府 | 仙台89ERS |
8 | デービッド・ベンワー | 1968 | 203cm、102kg | 米国 | 日立サンロッカーズ |
9 | 安藤毅 | 1979 | 190cm、82kg | 東京都 | 國學院大學 |
10 | 庄司和広 | 1974 | 191cm、92kg | 埼玉県 | 福岡レッドファルコンズ |
12 | 長谷川聖 | 1981 | 193cm、85kg | 青森県 | 鶴田クラブ |
13 | 安齋竜三 | 1980 | 178cm、76kg | 福島県 | 大塚商会アルファーズ |
15 | 原一希 | 1978 | 194cm、89kg | 福岡県 | 日立電線ブルドッグス |
21 | 青野和人 | 1976 | 181cm、75kg | 長野県 | ブロンコスクラブ |
22 | 清水耕介 | 1981 | 185cm、78kg | 大阪府 | ケムニッツ99(ドイツ) |
52 | アンドリュー・フィリー | 1983 | 206cm、113kg | 米国 | Gurreros Michoacan-Morelia(メキシコ) |
[編集] 外部リンク
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