堀野正雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀野 正雄(ほりの まさお、1907年1月22日 - 2000年)は、写真家で新興写真の主要な担い手の一人。
写真雑誌『フォトタイムス』(フォトタイムス社・1924年創刊)の編集主幹である木村専一が1930年に結成した新興写真研究会の重要なメンバーの一人でもあった。
1932年刊行の写真集『カメラ・眼×鉄・構成』(木星社書院・刊)は、機械美学、「合目的的構成美」を提唱した美術評論家(写真評論家)である板垣鷹穂との実質的な共同作品ともいうべきものであるが、機械美を追求・表現した作品集として、ジェルメーヌ・クルルの写真集『メタル』(1927年)と比肩するような、画期的な成果である。これは、戦前の日本で刊行された写真集全体を見ても、代表的な写真集と評価できる。
さらに、これとは別に、「大東京の性格」(堀野正雄撮影・板垣鷹穂構成・中央公論1931年10月号)や「首都貫流‐隅田川アルバム」(堀野正雄撮影・村山知義構成・犯罪科学1931年12月号)といった、グラフ・モンタージュ作品を発表している。戦前に、これだけまとまって質の高いドキュメンタリー写真を1人で残しているのは、堀野をおいてほかにはない。
また、堀野については、アマチュア写真家またはアマチュア精神を持った写真家が多く占めていた戦前の日本写真界において、名取洋之助と並んで、数少ないプロ意識を持った最初期の写真家であった(写真を単なる「芸術」とはとらえていない)ということがいえる。
戦後は、ストロボ・メーカー「ミニカム」を設立し、むしろ、その経営に専念した。
堀野について、現在までに、まとまった形の展覧会・個展はなされておらず、網羅的な回顧展の今後の開催が待ち望まれる。
[編集] 日本語による主要参考文献
- 都市の視線 日本の写真1920-30年代/飯沢耕太郎/創元社/1989年
- 満蒙開拓団の回想 その周辺50年前の軌跡/堀野正雄/堀野洋子記念親洋会事務局/1993年
- 「モダン東京狂詩曲(ラプソディ)展」図録/東京都写真美術館/1993年
- 堀野正雄(日本の写真家・第12巻)/岩波書店/1997年