大ロンドン
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大ロンドン Greater London | |
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地理 | |
ステイタス: | 地方 (excluding the City of London) Ceremonial county |
面積: - Total |
イングランド9位 1,580 km² |
NUTS 1: | UKI |
統計 | |
人口: - (2004年推定) (2001年国勢調査推定) - 密度 |
イングランド2位 7,420,600人 7,322,400人 4,725人/km² (2006年) |
政治 | |
大ロンドン庁 | |
大ロンドン市長 | ケン・リヴィングストン (労働党) |
大ロンドン (Greater London) はイングランドの首都ロンドンにおける最高レベルの行政区であり、9つあるイングランドの地方の内の1つ。 日本語ではグレーター・ロンドンとも称される。
目次 |
[編集] 概要
大ロンドンはシティ・オブ・ロンドンとシティ・オブ・ウェストミンスターに31のロンドン特別区 (London boroughs) を加えた範囲を領域としている。総面積は1579 km² (609 sq. mi) 、人口は2001年時の調査で7,172,036人であった。人口調査による数値は実際よりも過小になる傾向があり、統計局による計算によると、実際には7,322,400人の住民が存在している。
[編集] 地方行政区
2000年以降ロンドン地域は大ロンドン庁 (Greater London Authority, GLA) が設けられており、大ロンドン市長 (Mayor of London) ケン・リヴィングストンが行政の責を追っている。立法府はロンドン市議会 (London Assembly) が担っており、GLAの本庁はサザークのシティ・ホールに設けられている。
[編集] 行政上の地位
大ロンドンの行政上の地位はやや複雑である。公式にはイングランドの州の1つであるとされている。 (シティ・オブ・ロンドンは除く) イングランドを構成する9つの地方の1つである。この立場における公式な名称はロンドン (London)である。イングランドにおいて、選挙により選出された議員が構成する議会と行政府の長が存在する地方はロンドンのみである。
通常ロンドンという言葉を使用する際にはシティ・オブ・ロンドン[1]のことではなく、大ロンドンをさす場合が大半である。法律を厳密に解釈すると大ロンドンは市 (city)ではないが、慣習的に大ロンドンは単一の市であるとして認識されている。
[編集] 特別区
大ロンドンにはシティ・オブ・ウェストミンスターを含めて32の特別区 (boroughs) が存在し、これらとシティ・オブ・ロンドンはそれぞれ単一自治体またはユニタリー (unitary authority) として機能している。シティ・オブ・ロンドンの有する特殊な地位は12世紀に端を発している。
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[編集] 歴史
大ロンドンはロンドン自治法(1963年制定、1965年4月1日施行)に基づき、それまでのミドルセックス州の大部分、カウンティ・オブ・ロンドン及びシティ・オブ・ロンドン[2]に、ケント州、ハートフォードシャー州、サリー州及びエセックス州の一部を加える形で成立した。ホーム・カウンティと呼ばれるエセックス州、ハートフォードシャー州、バッキンガムシャー州、バークシャー州、サリー州及びケント州と市域を接している。
かつての大ロンドンの行政は2層からなる地方自治制度を組み合わせた独特の制度であり、グレーター・ロンドン・カウンシルがシティ・オブ・ロンドンと32の特別区 (boroughs)と行政権限を共有していた。グレーター・ロンドン・カウンシルはサッチャー政権下の1986年、一部の権限をシティ・オブ・ロンドンと32の特別区に移し、残りを中央政府へと戻す形で廃止された。後の2000年、労働党政権は再び大ロンドン市域全体の行政府として大ロンドン庁(Greater London Authority)を成立させ、立法府としてロンドン市議会、そして大ロンドン市長職が成立した。2000年及び2004年の市長選挙では、グレーター・ロンドン・カウンシルの最後の市長であったケン・リヴィングストンが市長に選出されている。
現在の大ロンドン市域にあたる部分の人口は、1801年の約110万人[3]から1939年には860万人に増加したが、1980年頃には680万人に落ち込んでいる。1980年初頭からは再び増加する傾向にあるが、2003年時点で1970年代初頭の人口(1921年の人口と同程度)に達した程度である。研究者の中には大ロンドンの人口は2016年には815万人に達すると予測する者もいるが、それでもピークである1939年と比べて45万人ほど少ないということになる。より広い市域の定義であるロンドン都市圏(ロンドン通勤圏)で考えると、1200万人から1250万人が都市圏人口とされる。
なお、「大ロンドン」という単語は、1965年以前は特にスコットランドヤード(ロンドン警視庁)が管轄する範囲を指す言葉[4]として用いられていたが、現在のスコットランドヤードの管轄地域を指す言葉は"Metropolitan Police District"が好んで用いられている。
[編集] 人口推移
1971年以前の数値は統計から計算したものである。1981年以降の人口は中間期の推定 (midyear estimates) であり、人口を過小に申告される傾向のある国勢調査結果よりも精度が高い。
- 1891年4月5日/6日 5,572,012人
- 1901年3月31日/4月1日 6,506,954人
- 1911年4月2日/3日 7,160,525人
- 1921年6月19日/20日 7,386,848人
- 1931年4月26日/27日 8,110,480人
- 1939年Midyear estimate 8,615,245人
- 1951年4月8日/9日 8,196,978人
- 1961年4月23日/24日 7,992,616人
- 1971年4月25日/26日 7,452,520人
- 1981年Midyear estimate 6,805,000人
- 1991年Midyear estimate 6,829,300人
- 2001年Midyear estimate 7,322,400人
- 2003年Midyear estimate 7,387,900人
- 2006年Midyear estimate 7,511,989人
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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