大慶油田
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大慶油田(たいけいゆでん、ターチンゆでん)とは、中華人民共和国黒竜江省に存在する油田のこと。命名は地名からではなく、油田が建国10周年の節目で発見されたことに因む。100km四方に広がる中国屈指の大油田であり、油田の開発は、第二次世界大戦後輸入に頼っていた中国の石油事情を一変させた。2000年前後から原油生産は減退傾向にあり、天然ガスの生産にシフトしつつある。
目次 |
[編集] 歴史
- 1959年 原油が確認される
- 1960年 - 1963年 掘削開始
- 1963年 生産開始
- 1997年 原油生産量として過去最大の5600万トンを記録
- 1999年 採算部門を集約した株式会社中国石油天然気(中国石油)と非採算分野の国有会社中国石油天然気集団公司に分離
- 2002年 大規模なデモの発生
- 2003年 対日輸出終了
- 2004年 天然ガス噴出事故の発生
- 2005年 新ガス田(埋蔵量2千億立方メートル?)を発見
[編集] キーワードとしての大慶油田
1960年代の開発時には、多数の労働者を人海戦術で投入。他国(少なくともアメリカ合衆国)の技術を用いずに施設を完成させたとして、労働者の模範的職場として賞賛され、「工業では大慶に学べ」というスローガンが生まれた。近代的な工業施設の象徴として、1970年代~1990年代の日本の地理の教科書にも掲載されていたが、中国のWTO加入により国際的な価格競争にさらされ、1990年代以降は著しい合理化が進められた。この結果、労働者の大量リストラ、レイオフが発生。中国では珍しい退職者も含めた大規模デモが発生した。また、大規模な天然ガス噴出事故に伴う労働災害の発生するなど、中国における労働者事情を語る上で、未だ頻出するキーワードの一つとなっている。
[編集] 生産の減退
中国の原油生産を一手に担い大量生産を続けてきたが、2000年前後には採掘される原油に占める含水率が9割前後に達したと伝えられ、廃水処理の環境対策などコスト増が無視できない状況になっている。2004年からの世界的な原油価格高騰により、こうしたコスト回収には一定の目途がつくものと考えられるが、中国奥地の油田開発が進むこともあり、かつてのような偏重的な生産は行われないものと考えられる。
[編集] デモ
2002年3月 リストラやレイオフ、退職(失業)者に対する保険料率の見直しに端を発する抗議デモが発生。2万人規模に達した。