大森剛
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大森 剛 (おおもり たけし, 1967年8月4日 - )は奈良県出身の元プロ野球選手。右投げ左打ち。内野手登録で主に一塁手としての出場だったが外野手として試合に出場したこともあった。
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[編集] 来歴・人物
高松商業高校から慶大へ進学。3年の時に東京六大学野球で三冠王を獲得。1988年にはソウルオリンピック野球日本代表として出場。選手19人のうち大学生は野村謙二郎・笘篠賢治・大森の3名だった。1989年ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名され翌1990年に入団。大森の指名によって巨人は上宮高校の元木大介をこの年指名できず元木は福岡ダイエーホークスからの指名を拒否して翌年まで指名を待つことになった。当時の看板選手だった中畑清引退直後にその代名詞ともいえる背番号「24」を継承したことに球団の期待が表れているが、大森本人はあまりに中畑のイメージが強いその背番号を背負うことをためらったという旨の発言をしている。1992年はイースタン・リーグで本塁打王・打点王を獲得し二冠王となる。1993年はイースタンで本塁打王を獲得し将来を嘱望されたが、1軍ではあまり結果が残せず2軍暮らしが続いた。
1996年はイースタンで再び本塁打と打点の二冠王を獲得した。その成績を当時の長嶋茂雄監督に見込まれ同年のオリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズに出場し、1戦目と4戦目にホームランを放ち監督の期待に応えたもののチームは敗れた。1997年は前年の活躍もありヤクルトとの開幕戦では6番・ライトで先発出場を果たしたが打率が低迷するなど結果が出ず、再び2軍生活となった。1998年6月に南真一郎・背尾伊洋とのトレードで大阪近鉄バファローズに移籍した。しかし近鉄に移籍しても思ったような結果が残せず、1999年のシーズン終了後に戦力外通告を受け現役を引退した。1989年ドラフト1位入団組は野茂英雄、佐々木主浩などほとんどの選手が一定以上の実績を上げたため(イロモノ扱いされるパンチ佐藤こと佐藤和弘ですらプロ5年間で71安打を放っている)、大森の期待外れに終わった成績がことさら目立つ形となってしまった。
2000年からは巨人の東北・関東地区担当スカウトとなり、2007年現在は北海道・東北担当スカウトを務める。近年巨人は東北・北海道地区の選手を指名することが多く、活躍する場面も多いようである。引退前よりも球団に貢献するのではないか、とファンからも期待をかけられている。また、キャンプ中継などでは解説役を務めることもあり、その際は暖かくも厳しい若手選手への観察眼を披露し、好評を得ている。喋りも巧く、ホスト役の女性リポーターの稚拙さをフォローするなど、意外な面を見せた。
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1990年 | 巨 人 | 38 | .146 | 48 | 7 | 1 | 6 | 0 |
1991年 | 巨 人 | 22 | .167 | 24 | 4 | 0 | 0 | 0 |
1992年 | 巨 人 | 2 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1993年 | 巨 人 | 4 | .000 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1994年 | 巨 人 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995年 | 巨 人 | 18 | .172 | 29 | 5 | 1 | 3 | 0 |
1996年 | 巨 人 | 14 | .189 | 37 | 7 | 2 | 2 | 0 |
1997年 | 巨 人 | 25 | .154 | 26 | 4 | 1 | 4 | 0 |
1998年 | 巨 人 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1998年 | 近 鉄 | 9 | .095 | 21 | 2 | 0 | 1 | 0 |
1999年 | 近 鉄 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
通 算 | 132 | .149 | 195 | 29 | 5 | 16 | 0 |
[編集] 背番号
- 24 (1990年~1994年)
- 32 (1995年~1998年途中)
- 37 (1998年途中~1999年)