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大阪近鉄バファローズ - Wikipedia

大阪近鉄バファローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大阪近鉄バファローズおおさかきんてつバファローズOsaka Kintetsu Buffaloes)は1949年から2004年まで存在した日本プロ野球球団。パシフィック・リーグ所属。本拠地は大阪ドーム大阪府大阪市)。2軍の本拠地は藤井寺球場(同府藤井寺市)。通称は近鉄バファローズ近鉄大阪近鉄。運営会社名は株式会社大阪バファローズ。

4度のリーグ優勝を果たすものの、日本シリーズ優勝は1度も果たすことができず、2004年のシーズン終了を以って55年間の歴史に終止符を打った。

なお、球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、「バッファローズ」ではない(経緯に関しては後述)。

元々関西には近鉄バファローズをはじめ4球団がひしめいており、その中で阪神タイガースが圧倒的なアイデンティティを獲得している中で(南海ホークス大阪市民には支持を得ていた)親会社の経営が芳しくなかった事が後の身売りに繋がった。更にホークスの福岡移転により関西マスコミの阪神偏重が加速したことも影響し(そのため近鉄ファンの中には阪神及び阪神ファンならびに関西マスコミの阪神偏重報道に対し、穏やかではない感情を抱く者も少なくない)、長年赤字経営を強いられていた。

2004年、球団及び近鉄グループの経営難から、オリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、大阪バファローズは2005年3月末をもって解散。職員の大半はオリックス野球クラブに、一部は楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトによりオリックス・バファローズ(ブルーウェーブから改称)と東北楽天ゴールデンイーグルスに配分された。なおオリックス・バファローズの球団史においては、大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれない。





大阪近鉄バファローズ(解散時)
チーム名 大阪近鉄バファローズ
加盟団体 パシフィック・リーグ(1軍)
ウエスタン・リーグ(2軍)
創設年度 1949年
チーム名の遍歴 近鉄パールス(1949年1958年
→近鉄バファロー(1959年1961年
→近鉄バファローズ(1962年1998年
→大阪近鉄バファローズ(1999年2004年
フランチャイズの遍歴 大阪府1952年2004年
本拠地 大阪ドーム(1軍)
藤井寺球場(2軍)
収容人員 36,477人(大阪ドーム)
オーナー 田代和
親会社 近畿日本鉄道
監督 梨田昌孝
タイトル リーグ戦:4回、日本シリーズ:0回
(優勝年度) (リーグ戦)1979、1980、1989、2001
プレーオフ 3回 - 2勝1敗(太字は勝利した年)
1975、19791980

目次

[編集] 球団の歴史

藤井寺球場(1軍は当初1983年までは準本拠地、1984年-1996年までメイン本拠地。1997-1999年まで再び準本拠地。2軍は創設当初から本拠地だった)
藤井寺球場(1軍は当初1983年までは準本拠地、1984年-1996年までメイン本拠地。1997-1999年まで再び準本拠地。2軍は創設当初から本拠地だった)
1958-1983年のメイン本拠地・日生球場
1958-1983年のメイン本拠地・日生球場
1997-2004年の本拠・大阪ドーム
1997-2004年の本拠・大阪ドーム
  • 1949年近畿日本鉄道を親会社とする近鉄パールス(法人名:近鉄野球株式会社)が結成。近鉄にとっては、南海鉄道(現南海電気鉄道)合併当時の1944年-1947年(近畿日本→近畿グレートリング、現福岡ソフトバンクホークス)以来の球団運営である。
  • 1949年11月26日にパ・リーグに加盟。加盟申請は早かったもののチーム編成が遅れたため、他球団と未契約の東京六大学出身者を中心に編成したが、選手層が薄く長らく下位に低迷。
  • 1959年、チーム建て直しのため、現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉茂監督に招聘しチーム名を近鉄バファローに改名。チーム改革はなかなか進まず1961年にはシーズン最多記録となる103敗を喫した(2005年現在でも、その記録は更新されていない)。千葉の退陣を機に近鉄バファローズに改称。別当薫岩本義行、そして生え抜きの小玉明利に監督を任せるが結果は出ず。パ・リーグ他球団が優勝を経験する中、万年Bクラス・最下位の近鉄は「チカ鉄(近をチカと読ませ、地下鉄に掛けたもの。つまり地下に潜りっぱなしの低迷という意味)」「パ・リーグのお荷物」などと揶揄された。
  • 1969年、前年より監督の三原脩の指揮の下、初めて2位に躍進。その後はAクラスとBクラスを往復した。
  • 1979年、選手育成が実を結び西本幸雄監督の下で初のリーグ優勝。翌1980年は飛ぶボールの効果もあり、日本記録(当時)となるシーズンチーム本塁打239本を記録し、リーグ2連覇を成し遂げた。日本シリーズはいずれも広島東洋カープと対戦するが、ともに3勝4敗で日本一に輝くことは出来なかった。
  • 1988年、就任1年目の仰木彬監督の下、前年までリーグ3連覇中の西武ライオンズと激しい優勝争いを繰り広げるも、10月19日川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダー第2試合で引き分け。最終130試合目で無念のV逸(10.19)。
  • 1989年も優勝争いに加わり、この時は西武・オリックス・ブレーブスによる前年を上回る優勝争いが展開された。10月14日に129試合目で優勝決定、前年の雪辱を果たした。しかし日本シリーズでは読売ジャイアンツに3連勝後4連敗を喫し、日本一ならず。
  • 1997年、本拠地を大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に移転。
  • 1999年に地元企業との提携、地元密着を目指し、チーム名を大阪近鉄バファローズに改称。また法人名も従来の近鉄野球株式会社から株式会社大阪近鉄バファローズに改称している(その後、2003年1月株式会社大阪バファローズに改称)。
  • 2001年、圧倒的破壊力を誇る「いてまえ打線」で、4度目のリーグ優勝を達成。9月26日、大阪ドームでの対オリックス・ブルーウェーブ戦。北川博敏の代打逆転満塁サヨナラホームランというこれ以上はない劇的な優勝決定であった。同一監督(梨田昌孝)での前年最下位からの優勝は長嶋茂雄読売ジャイアンツ)に次いで2人目で、パ・リーグでは初。防御率リーグ最下位(4.98)での優勝・2位チームへの負け越し10(ダイエーに9勝19敗)での優勝はともに史上初という、常識を覆すものであった。しかし、日本シリーズではヤクルトスワローズに1勝4敗。またしても日本一を逃す。これが最後の優勝となった。
  • 大阪ドーム移転後、選手の年俸が高騰。ドーム近辺に近鉄の路線が全く通っていないために会社の鉄道収入がなくなり(現在阪神西大阪線西九条から近鉄難波への延伸工事が行われており、完成すれば近鉄電車でドーム近郊まで行くことは可能になるが、開業予定は2009年度で、しかも運営主体となるのは阪神電気鉄道なので、近鉄には将来的にも鉄道収入が見込めなかった)、また観客動員数も増えなかった事もあり年間赤字が40億円にも昇った。そして、2004年6月13日、親会社である近鉄が経営上の理由でオリックスと合併する方向で準備を進めていることが発覚。後日、正式に合併合意を発表する。選手会との労使交渉や球界再編問題にまで発展し、ファンを含む球界内外からの強い反発が起こるなど大きな波紋を呼んだ。8月10日に合併に関する基本合意書への調印が行われ、9月8日のオーナー会議でこの合併が正式に認められたため、このシーズンを最後に、日本一に輝くことなく55年の長い歴史に幕を閉じた。詳細についてはプロ野球再編問題 (2004年)を参照。

[編集] 球団愛称

  • 創設時の愛称・パールス(Pearls)は、近鉄沿線の伊勢志摩の特産品である真珠にちなんだもの。現在でも「プロ野球史上最も弱々しい球団愛称」などという声が少なくない。
  • パールスに代わる新しい球団愛称を公募したところ、1番多かったのが「猛牛」と呼ばれた新監督・千葉茂にちなんだバッファローズだった。ところが当時の球団幹部が「『バッファローズ』では表記が長すぎる」と言ったため、2文字減らしてバファロー(Buffalo)になった。千葉辞任後に「これからは監督だけが猛牛になるのではなく、チーム全員が猛牛にならなければならない」という理由で複数形のバファローズ(Buffaloes)となった。

[編集] シンボルマーク・マスコット

  • 球団のシンボルマーク「猛牛マーク」は千葉茂が監督に就任した1959年に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友であった岡本太郎がデザイン。以降球団が解散する2004年まで、球団旗やユニフォームなどで使われ続けた。しかし西武ライオンズの例に見られるように、グループのバスタクシーなどに猛牛マークを入れる例は少なく、運送会社の近鉄物流が目立ったくらいであったが、近鉄物流も2004年9月に発行済み株式の7割をハマキョウレックスに譲渡して近鉄グループとの関係は薄くなってしまった(2005年には社名も近物レックスに変更)。
  • 大阪ドーム移転前(1976年1996年)のマスコットはユニフォームを着た少年「バッファくん」(近鉄の野球帽・ユニホームを着、バットとグラブを持ち片足を上げた少年)。このマスコットに似ているということで、中村紀洋の愛称になったこともある。
  • 球団マスコットがモチーフ。大阪ドームへの本拠地移転後、以下のキャラクターが登場。キャラクターデザインはアニメトムとジェリー」などを手掛けたアメリカハンナ・バーベラ・プロダクションによるものである。
    • バフィリード(バフィ) - 背番号100、主人公。
    • ファルルリーナ(ファルル) - 背番号200、女の子のキャラクター。
    • 他にバルバロック(バルバ)(男性)とカペロット(カペロ)(子供)の2人がいたが、いずれも2001年頃から姿を見せなくなった。
    • 球団合併により、各キャラクターも引退したが、バフィリードだけはオリックス本社に商標権が譲渡された。

[編集] ユニフォームの変遷

  • 1950年1952年 球団創設期のユニフォームはホーム用が「Pearls」でビジター用はブルーで「KINTETU」(1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は1957年まで使用される。
  • 1953年 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズを参考にしたユニフォームが登場。同時に縦縞となり、球団名がバファローとなった1959年まで使用。
  • 1954年1958年 左胸に「P」1文字の、フィラデルフィア・フィリーズを参考にしたデザイン。1958年には帽子のツバ、アンダーシャツ、ストッキングが赤くなる(ただし、途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴが飾り文字に変更。
  • 1959年 千葉監督就任と同時に球団名をバファローに変更。ホーム用は「Buffalo」に変更されたが基本デザインは従来どおり。ビジター用は背番号の書体を変更。
  • 1960年1961年 縦縞を廃止。また、チームカラーを黒と黄色に変更。ビジター用の左袖が近鉄の社章から猛牛マークに変更される。
  • 1962年1965年 球団名がバファローズとなり、ロゴが「BUFFALOES」に変更。また、袖番号が付けられる。1965年からラインを黒に変更し、番号が胸に移動。
  • 1966年1973年 ロサンゼルス・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。同時にロゴも筆記体の「Buffaloes」に変更(藤井寺時代最後の1996年まで)。1968年から背番号が丸型となり、1972年に帽子のツバが赤くなり、1973年後期からラインが入るなどのマイナーチェンジが繰り返された。
  • 1974年~1996年 アトランタ・ブレーブスを参考にしたデザインが登場。ラグランスリーブは赤。同時にプルオーバー・スタイルとなる。左袖は当初炎と猛牛の組み合わせだったが、1977年から猛牛マークとなる。また帽子も紺地に赤の「B」から、1978年後期に白・赤・青の三色帽に変更。その使用期間からも近鉄の代表的ユニフォームと言え、ファンの間でも人気が高い。また、現在でも近鉄のユニフォームと言えばこれを思い浮かべるプロ野球ファンも多い。
  • 1997年2004年 大阪ドーム完成を機にフルモデルチェンジ。デザインはコシノヒロコが手掛けた。1999年に球団名が大阪近鉄バファローズとなり、同時にビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。ビジター用は当初紺と赤の2種類があり、金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。

[編集] チームの特徴

  • 1990年代以前は外様監督が多く、仰木彬以前の生え抜き監督はプロ経験のない藤田省三と芥田武夫を除くと、加藤久幸と小玉明利の2人しかいなかった。仰木以降は鈴木啓示佐々木恭介梨田昌孝と生え抜き監督が続いたが、球団消滅により梨田が近鉄最後の監督となった。また、首脳陣から監督に「基本的に若手中心で」(補強はしない)というのを毎年命じられていた。
  • 10.19」や「江夏の21球」「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」など数々の劇的なエピソードを残し、ファンを魅了し続けた。
  • 打線は「いてまえ打線」(大阪弁。標準語で「やってしまえ」の意)と呼ばれ、特にリーグ優勝した2001年にはチーム防御率4.98とリーグ最下位ながらチーム打率.280、チーム本塁打数211と他チームを圧倒し優勝をさらった。なおこの年は3番のタフィ・ローズと4番の中村紀洋だけで101本、3~7番では実に165本もの本塁打を叩き出し話題となった。ローズが本塁打王(55本)、中村が打点王(132打点)、主に5番に入ることが多かった礒部公一は得点圏打率1位(.417)の成績を残している。ちなみにこの年阪神監督・野村克也が自チームの貧打線に対し「(バックに)いてまえ打線があったら(グレッグ・ハンセルは)20勝している」というコメントを残したのも有名。また1980年には前述のようにシーズン239本塁打の日本記録を打ち出すなど、本塁打の魅力をどこよりも認識させた球団であった。
  • 野茂英雄吉井理人(現:オリックス)、大塚晶則中村紀洋(現:中日)など、多くの大リーガーを輩出している。
  • 1970年前後に日生球場のナイター使用がプロ野球機構で問題になり、近鉄沿線の三重県愛知県へのフランチャイズ移転も検討されたが、中日ドラゴンズの独占権益が侵されることを理由に親会社の中日新聞社が金銭を要求したため断念した(但し名古屋での公式戦は地方開催扱いで1999年まで行われた)。1973年に藤井寺球場のナイター工事が着手されたが、地元の反対で完成は11年後の1984年にずれこんだ。
  • 日本一を経験していない球団では、最長の期間存続した。また身売りの多いパ・リーグ球団としては、唯一親会社が変わらないまま歴史に幕を閉じた。
  • 2004年9月、北海道で行われた世界ラリー選手権(WRC)、ラリージャパンに、「チームバファローズ コットンファクトリー」としてプジョー・206で参戦したが、リタイヤした。当時の監督・梨田昌孝がプジョーを愛車としていたことが縁であった。
  • 最下位になったことが非常に多いチームであり、1950年の2リーグ分立以降では19回と、消滅したチームも含めて両リーグトップである。以下パ・リーグの他のチームで、現存するチームでは福岡ソフトバンク9回、千葉ロッテ7回、北海道日本ハム・西武各6回、オリックス4回、東北楽天2回。消滅したチームでは大映・高橋各2回。セ・リーグのチームで、現存するチームでは横浜18回、東京ヤクルト12回、阪神11回、広島10回、中日5回、読売1回。消滅したチームでは松竹1回。ちなみに1リーグ時代では大陽5回、中日・大和各3回、南海2回、金鯱・大映各1回である。
  • 伝統的に速球派投手に強く、技巧派投手に弱い傾向にある。その代表例の一人が松坂大輔で、松坂は日本での8年間で近鉄に対し11勝15敗で防御率も最も悪く、球団別の成績で唯一近鉄にのみ負け越している。逆に、近鉄が苦手としていた投手に星野伸之星野順治などの変化球投手が多く見られる。1989年の日本シリーズでも3連勝で迎えた第4戦で香田勲男に完封をされてシリーズの流れが変わってしまった。

[編集] 応援スタイル

  • 球団解散時には「暴れん坊将軍」のオープニングテーマを原曲とするI、タオルマフラーを持って踊るII、2種類の歌詞があるIII、ビハインドの場面で使われるIV、ビッグイニングの時に使われるVと5種類のチャンステーマが存在。III以降は「踊る牛」「笑う牛」(以上III)「紅の丑」(IV)「パニ牛」(V)とタイトルもついていた(ちなみに代打のテーマにも「働く牛」というタイトルがついている)。このうちIIはオリックスファンからも「ぜひ残して欲しい」という声が多かったため、球団合併後も引き続き使われており、「紅の丑」と合わせて高校野球の応援歌として耳にすることもある。

[編集] 球団名変遷と年度別成績

※銀地はリーグ優勝、順位の欄は左の数字が順位、右の数字はリーグ所属球団数。

年度 監督 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 打率 防御率 本塁打
近鉄パールス
1950年 藤田省三 7/7 120 44 72 4 .379 37.5 .242 3.85 86
1951年 藤田省三 7/7 98 37 56 5 .398 33.5 .223 3.13 37
1952年 藤田省三
芥田武夫(注1)
7/7 108 30 78 0 .278 40.0 .243 4.06 37
1953年 芥田武夫 7/7 120 48 69 3 .410 22.0 .246 2.93 31
1954年 芥田武夫 4/8 140 74 63 3 .540 16.0 .247 2.66 23
1955年 芥田武夫 5/8 142 60 80 2 .429 39.0 .252 3.45 35
1956年 芥田武夫 5/8 154 68 82 4 .455(注2) 29.5 .226 3.17 48
1957年 芥田武夫
加藤春雄(注3)
6/7 132 44 82 6 .356(注2) 38.5 .225 3.22 35
1958年 加藤久幸(注4) 6/6 130 29 97 4 .238(注2) 49.5 .215 4.04 41
近鉄バファロー
1959年 千葉茂
林義一(注5)
6/6 133 39 91 3 .300 49.0 .229 3.68 48
1960年 千葉茂 6/6 131 43 87 1 .331 39.0 .236 3.61 69
1961年 千葉茂 6/6 140 36 103 1 .261(注2) 51.5 .229 3.96 68
近鉄バファローズ
1962年 別当薫 6/6 131 57 73 1 .438 21.0 .252 3.40 70
1963年 別当薫 4/6 150 74 73 3 .503 12.5 .256 3.44 98
1964年 別当薫 6/6 150 55 91 4 .377 28.5 .254 3.63 112
1965年 岩本義行 6/6 140 46 92 2 .333 42.5 .235 3.61 91
1966年 岩本義行 6/6 133 48 82 3 .369 31.0 .228 3.60 100
1967年 小玉明利 6/6 132 59 71 2 .454 16.0 .251 3.83 104
1968年 三原脩 4/6 135 57 73 5 .438 23.0 .234 3.28 84
1969年 三原脩 2/6 130 73 51 6 .589 2.0 .243 2.78 118
1970年 三原脩 3/6 130 65 59 6 .524 13.5 .233 2.98 108
1971年 岩本堯 3/6 130 65 60 5 .520 18.0 .241 3.21 151
1972年 岩本堯 2/6 130 64 60 6 .516 14.0 .248 3.07 123
1973年 岩本堯
島田光二(注6)
6/6 130 42 83 5 .336 6・6(注7) .237 3.83 113
1974年 西本幸雄 5/6 130 56 66 8 .459 5・4(注7) .230 3.63 131
1975年 西本幸雄 2/6(注8) 130 71 50 9 .587 3・1(注7) .246 3.09 115
1976年 西本幸雄 4/6 130 57 66 7 .463 5・4(注7) .245 3.04 102
1977年 西本幸雄 4/6 130 59 61 10 .492 3・6(注7) .245 3.31 92
1978年 西本幸雄 2/6 130 71 46 13 .607 2・2(注7) .266 3.21 115
1979年 西本幸雄 1/6(注8) 130 74 45 11 .622 1・2(注7) .285 3.70 195
1980年 西本幸雄 1/6(注8) 130 68 54 8 .557 2・1(注7) .290 4.96 239
1981年 西本幸雄 6/6 130 54 72 4 .429 6・4(注7) .253 4.10 149
1982年 関口清治 3/6 130 63 57 10 .525 3・2(注7) .258 4.11 151
1983年 関口清治 4/6 130 52 65 13 .444 29.5 .262 4.49 134
1984年 岡本伊三美 4/6 130 58 61 11 .487 16.5 .257 4.36 174
1985年 岡本伊三美 3/6 130 63 60 7 .512 15.5 .272 5.10 212
1986年 岡本伊三美 2/6 130 66 52 12 .559 2.5 .271 4.34 183
1987年 岡本伊三美 6/6 130 52 69 9 .430 21.5 .270 4.22 135
1988年 仰木彬 2/6 130 74 52 4 .587 0.0 .253 3.23 154
1989年 仰木彬 1/6(注9) 130 71 54 5 .568 0.0(注9) .261 3.86 157
1990年 仰木彬 3/6 130 67 60 3 .528 14.5 .275 4.34 181
1991年 仰木彬 2/6 130 77 48 5 .616 4.5 .265 3.46 157
1992年 仰木彬 2/6 130 74 50 6 .597 4.5 .247 3.69 155
1993年 鈴木啓示 4/6 130 66 59 5 .528 7.0 .258 3.62 145
1994年 鈴木啓示 2/6 130 68 59 3 .535 7.5 .274 4.24 169
1995年 鈴木啓示
水谷実雄(注10)
6/6 130 49 78 3 .386 32.0 .234 3.97 105
1996年 佐々木恭介 4/6 130 62 67 1 .481 14.5 .255 4.01 146
1997年 佐々木恭介 3/6 135 68 63 4 .519 7.5 .274 3.79 112
1998年 佐々木恭介 5/6 135 66 67 2 .496 5.0 .267 4.28 126
大阪近鉄バファローズ
1999年 佐々木恭介 6/6 135 54 77 4 .412 23.5 .257 4.54 151
2000年 梨田昌孝 6/6 135 58 75 2 .436 15.0 .262 4.66 125
2001年 梨田昌孝 1/6(注9) 140 78 60 2 .565 2.5(注9) .280 4.98 211
2002年 梨田昌孝
真弓明信(注11)
2/6 140 73 65 2 .529 16.5 .258 3.93 177
2003年 梨田昌孝 3/6 140 74 64 2 .536 8.5 .274 4.30 187
2004年 梨田昌孝 5/6 133 61 70 2 .466 17.0(注12) .269 4.46 121
1950年から2004年までの順位のグラフ
1950年から2004年までの順位のグラフ
  • 注1 開幕から9月16日まで藤田、9月24日から閉幕まで芥田
  • 注2 引分は0.5勝0.5敗で計算
  • 注3 開幕から6月20日まで芥田、6月22日から閉幕まで加藤(代行)
  • 注4 加藤春雄から改名
  • 注5 開幕から6月18日まで千葉、6月20日から閉幕まで林(代行)
  • 注6 開幕から9月26日まで岩本、9月28日から閉幕まで島田(代行)
  • 注7 前後期制のため、前期順位・後期順位の順で表示
  • 注8 ポストシーズン成績を参照
  • 注9 2位とのゲーム差
  • 注10 開幕から8月8日まで鈴木、8月9日から閉幕まで水谷(代行)
  • 注11 開幕から8月14日まで・8月17日から閉幕まで梨田、8月16日のみ真弓(代行)
  • 注12 レギュラーシーズン1位とのゲーム差

[編集] ポストシーズン成績

年度 試合名 成績 対戦相手
1975年 プレーオフ ○●●● 阪急
1979年 プレーオフ ○○○ 阪急
日本シリーズ ○○●●●○● 広島
1980年 プレーオフ ○○○ ロッテ
日本シリーズ ○○●●○●● 広島
1989年 日本シリーズ ○○○●●●● 巨人
2001年 日本シリーズ ●○●●● ヤクルト

[編集] タイトルホルダー

[編集] 最優秀選手

[編集] 最優秀新人

[編集] 首位打者

[編集] 本塁打王

[編集] 打点王

  • チャーリー・マニエル(1980)
  • ジム・トレーバー(1991)
  • ラルフ・ブライアント(1993)
  • 石井浩郎(1994)
  • タフィ・ローズ(1999、2002)
  • 中村紀洋(2000-2001)

[編集] 盗塁王

  • 鈴木武(1954)
  • 安井智規(1968)
  • 大石大二郎(1983-1984、1987、1993)

[編集] 最多安打

タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。 タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。

  • 土井正博(1964、1967)
  • 永淵洋三(1969)
  • 新井宏昌(1987)
  • ジム・トレーバー(1990)
  • 石井浩郎(1993)

[編集] 最高出塁率

  • ジャック・ブルーム(1963)
  • 小川亨(1975)
  • 佐々木恭介(1978)
  • 栗橋茂(1980)
  • 中村紀洋(2001)

[編集] 最多勝利打点

※1981年制定、1989年から廃止

[編集] 最多勝利

[編集] 最優秀防御率

  • 久保征弘(1963)
  • 清俊彦(1972)
  • 鈴木啓示(1978)
  • 山口哲治(1979)
  • 野茂英雄(1990)
  • 赤堀元之(1992)

[編集] 最多奪三振

タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。

  • 阿波野秀幸(1989)
  • 野茂英雄(1990-1993)
  • ジェレミー・パウエル(2002)

タイトル制定以前の該当者は以下の通り。

  • 鈴木啓示(1967-1972、1974、1978)
  • 阿波野秀幸(1987)

[編集] 最優秀勝率

※2001年をもって廃止され、翌年からは最優秀投手となった。

[編集] 最優秀投手

  • ジェレミー・パウエル(2002)
  • 岩隈久志(2004)

[編集] 最優秀救援投手

※1974年に最多セーブとして制定、1977年よりセーブポイントで表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の2005年より最多セーブ投手に。

なお、表彰タイトルではなかったので参考だが1974年以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。

  • 鈴木康二朗(1984-1985)
  • 石本貴昭(1986)
  • 赤堀元之(1992-1994)
  • 大塚晶文(1998)

[編集] 最多ホールド(現最優秀中継ぎ投手

※1996年に中継ぎ投手の評価法としてホールドを導入、タイトルとして制定。2002年より最優秀中継ぎ投手に変更。

タイトル制定以後の該当者無し。

[編集] 沢村賞

  • 野茂英雄(1990)

[編集] 正力松太郎賞

[編集] 完全試合

[編集] 無安打無得点試合

[編集] ベストナイン

  • 小玉明利三塁手:1960、1962-1965)
  • ジャック・ブルーム(二塁手:1962-1963)
  • 高木喬(一塁手:1965)
  • 土井正博(外野手:1967-1968)
  • 鈴木啓示(投手:1969、1975、1978)
  • 永淵洋三(外野手:1969)
  • クラレンス・ジョーンズ(一塁手:1974)
  • 佐々木恭介(外野手:1975、1978)
  • 石渡茂遊撃手:1977、1979)
  • 梨田昌孝捕手:1979-1981)
  • 栗橋茂(外野手:1979-1980、1982)
  • チャーリー・マニエル(指名打者:1979-1980)
  • 大石大二郎(二塁手:1983-1984、1990)
  • リチャード・デービス(一塁手:1985)
  • 新井宏昌(外野手:1986-1987)
  • 阿波野秀幸(投手:1989)
  • 山下和彦(捕手:1989)
  • ラルフ・ブライアント(外野手:1989、指名打者:1993-1994)
  • 野茂英雄(投手:1990)
  • ジム・トレーバー(一塁手:1991)
  • 石井浩郎(一塁手:1993-1994)
  • 中村紀洋(三塁手:1996、1999-2002)
  • フィル・クラーク(一塁手:1997-1998、指名打者:1999)
  • タフィ・ローズ(外野手:1997、1999、2001-2003)
  • 大村直之(外野手:1998)
  • 礒部公一(外野手:2001)
  • ジェレミー・パウエル(投手:2002)
  • 岩隈久志(投手:2004)

[編集] ゴールデングラブ賞

※1972-1985年はダイヤモンドグラブ賞

  • 有田修三(捕手:1975-1976)
  • 梨田昌孝(捕手:1979-1981、1983)
  • 平野光泰(外野手:1979-1980)
  • 小川亨(一塁手:1980)
  • 羽田耕一(三塁手:1980)
  • 大石大二郎(二塁手:1982-1984)
  • 新井宏昌(外野手:1987)
  • 阿波野秀幸(投手:1989)
  • ジム・トレーバー(一塁手:1991)
  • 大村直之(外野手:1998、2003)
  • 中村紀洋(三塁手:1999-2002、2004)

[編集] サイクル安打

[編集] その他のチーム記録

  • 初試合 1950年3月12日・藤井寺球場(対毎日、2-6)
  • 初勝利 1950年3月13日・藤井寺球場(対南海、4-3)
  • シーズン最多勝利 78(2001)
  • シーズン最少敗戦 45(1979)
  • シーズン最高勝率 .622(1979)
  • シーズン最少勝利 29(1958)
  • シーズン最多敗戦 103(1961)
  • シーズン最低勝率 .238(1958 ※当時は引き分けを0.5勝0.5敗で計算していたため、現在の勝率に換算すると.230)
  • シーズン最高打率 .290(1980)
  • シーズン最多得点 791(1980)
  • シーズン最多安打 1332(2001)
  • シーズン最多二塁打 249(2002)
  • シーズン最多三塁打 40(1953・1954)
  • シーズン最多本塁打 239(1980・当時の日本新記録。現在はパリーグ記録)
  • シーズン最多四球 581(2001・日本記録)
  • シーズン最多四死球 644(2001・日本記録)
  • シーズン最多盗塁 223(1954)
  • シーズン最多犠飛 52(1978・日本記録)
  • シーズン最高防御率 2.66(1954)
  • シーズン最低防御率 5.10(1985)
  • シーズン本塁打数200本以上3回(日本記録。1980・1985・2001)
  • 最大連勝 13(1994年7月26日・対ロッテ~8月10日・対ロッテ)
  • 最大連敗 13(1952年5月25日・対毎日第1試合~6月15日・対西鉄第1試合)
  • 1試合最多得点 21(1980年6月30日・対ロッテ第1試合、2000年9月5日・対オリックス)
  • 1試合最多失点 25(1985年9月18日・対南海)
  • 1試合最多安打 26(2003年8月18日・対日本ハム)
  • 1試合最多二塁打 8(1963年6月19日・対東映、1963年10月3日・対阪急)
  • 1試合最多三塁打 3(1984年5月24日・対南海 他4度)
  • 1試合最多本塁打 8(2003年7月12日・対日本ハム)
  • 1試合最多犠打 7(1987年 ・対南海、日本記録)
  • 1試合最多盗塁 9(1954年7月27日・対毎日)

[編集] 歴代オーナー

歴代監督名は「球団名変遷と年度別成績」の項目を参照。

[編集] 歴代本拠地

  • 1950年 藤井寺球場
  • 1950年-1957年 大阪球場
    • 1950年9月より使用
  • 1958年-1983年 日本生命球場
    • 収容人員が日本野球機構主催によるオールスターや日本シリーズを開催する時の最低下限である3万人よりも少なかったので、近鉄主催で行われる場合(1979、80年のプレーオフも)大阪球場を使用した。
  • 1984年-1996年 藤井寺球場
    • 形式上は藤井寺、日生のダブルフランチャイズだった(専用球場の届出もこの2ヶ所で登録された)が、1983年までは日生をメインに日曜・祝日などのデーゲーム時に藤井寺を使用。1984年以後は藤井寺をメインに年10-20試合程度を日生で開催した。1997年にメインを大阪ドームに移した後も1999年までは藤井寺とのダブルフランチャイズで登録された。なおこの他地方開催扱いとなるが、近鉄沿線への配慮から、次のスタジアムも準本拠として公式戦を開いた。
    • また1989年と1990年度は大阪球場で10試合前後の主催ゲームがあった。
  • 1997年-2004年 大阪ドーム

[編集] 永久欠番

#1 鈴木啓示

2004年当時パ・リーグ唯一の永久欠番だったが、吸収合併先のオリックスでは当時1番をつけていた後藤光尊が変更を拒否したため、引き継がれず消滅。(オリックス側は念のため鈴木本人に確認したが、その時に鈴木は「私の永久欠番は近鉄での記録によるものだから」という旨の回答をして引継ぎを断っている。その後、オリックスでの1番はテリー・コリンズ監督の番号となり、後藤は24番に変更した)
また、大阪近鉄バファローズ最後の監督である梨田昌孝によって、以下のような名言が残されている。
「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」

[編集] 主な歴代球団歌

  • 大阪近鉄バファローズの歌(旧題:近鉄バファローズの歌)(作詞:竹中郁、作曲:米山正夫、歌:クールボナール)
  • 炎えろ!近鉄バファローズ(作詞:西沢爽、作曲:城賀イサム)
    • 上記2曲はCD「大阪近鉄バファローズオフィシャル球団歌・応援歌」では高橋元太郎が歌っている。また「近鉄バファローズの歌」のクールボナールが歌うバージョンでは、キダ・タローが編曲を担当している。
  • ドリーム&パワー(作詞・作曲:岡田誠司、歌:イエスマン・ブギー・バンド フィーチャリング JUN)
  • RED de HUSTLE(作詞:キユサマ☆ワカルフ、作曲:パパ・ダイスケ、歌:大西ユカリと新世界

[編集] エピソード

[編集] ロンゲストゲーム

1953年、近鉄はいずれも後楽園球場で開かれた2試合でロンゲストゲームを戦った。6月25日の対大映スターズ戦は19:13試合開始から当時のナイターの時限であった23:45での打ち切りまで4時間33分・延長22回を戦った(スコアは4-4の引き分け)。

それからわずか1ヵ月半も満たない8月9日には東急フライヤーズ戦のダブルヘッダー第1戦(当時は同一カードダブルヘッダーの第1試合はイニング制限なしで決着が付くまで行った)で今度は4時間46分・延長20回(5-4で近鉄勝ち)を戦い、その後引き続いて開催の第2試合は22:11試合開始。時限の23:45までプレーした(7回時間切れコールドゲームで3-3の引き分け)ため、2試合で合計6時間20分も戦った。

その翌年、1954年10月10日には東映フライヤーズ戦(大阪)でパ・リーグの最長イニングレコードを記録した。この試合は0-0で迎えた延長23回に武智修の2塁打でチャンスを広げた近鉄が日下隆のスクイズでサヨナラ勝ちした。

更に1969年10月10日、日生球場でのロッテオリオンズ戦では第2試合で延長13回、22:20の時限オーバー、4-4の引き分けで打ち切られるまで、実に5時間15分の当時の史上最長試合時間記録を達成した。

[編集] サスペンデッドゲーム

通常サスペンデッドゲームは日没(現在は適用できない)や照明設備の故障など特殊な例以外考えられないことだが、1954年6月16日中日スタヂアムで開かれた東映フライヤーズ戦で2-4で敗れて試合終了したものの、7回表のインフィールドフライをめぐって近鉄側が猛抗議。結局問題のフライ以後の攻撃を一度無効として同年8月10日に同球場で7回以後の攻撃を続行するという変則的なサスペンデッドゲームが行われた。ちなみにサスペンデッド後の試合は両チームとも得点が入らず、結局1-4で敗戦した。

[編集] 大逆転でチーム消滅回避

1957年シーズン中に、パ・リーグオーナー会議で「今シーズン最下位となったチームは、解散するか合併する」ことが決定した。これは当時パ・リーグが7球団だったために非常にカードが組みにくかったことが原因であり(奇数であるため必ず対戦できないチームが一つできる)、当時最下位を独走していた近鉄パールスのオーナー・佐伯勇はやむを得ず了承した。(解散か合併する基準が最下位である案がシーズン中に承認される、と言うのは現在では到底考えられないような話である)

8月上旬に近鉄は6位チームと10ゲーム差をつけられ、状況は絶望的と言えた。しかしここから近鉄の選手は発奮し、以降の6位チームとの直接対決を大きく勝ち越したこともあって奇跡的に最下位を脱出し、消滅の危機を免れた。

結局最下位となったのは大映ユニオンズで、その大映のオーナー永田雅一が上記の提案をした人物である。大映ユニオンズは毎日オリオンズと合併し、大毎オリオンズとなった。ちなみに、このオーナーは1960年の日本シリーズで、自身の大毎が大洋ホエールズに4試合で4連敗したことに激しく怒り、後に近鉄の監督となる西本幸雄監督を解任した人物でもある。(詳細は西本幸雄の項目を参照)

[編集] ミケンズ・ルール

1960年5月24日駒沢球場での東映フライヤーズ戦。6-0と近鉄リードで迎えた9回裏の東映の攻撃で、近鉄先発のグレン・ミケンズは1アウトから毒島章一を四球で出塁させる。続く吉田勝豊は1塁ゴロに打ち取ったものの、これを1塁手が悪送球したために1・3塁となる。張本勲の2塁ゴロで吉田を2塁で封殺する間に毒島が生還。完封を逃したミケンズは山本八郎に2ラン本塁打を打たれてしまった。試合はこのまま近鉄が6-3で逃げ切り、ミケンズには自責点2が記録された。
しかしこれに納得のいかないミケンズは翌25日の同カードの試合前、ネット裏記録席にパ・リーグ記録部長の山内以九士を訪ね、「吉田の1塁ゴロが失策でなければこれで2アウト、張本の2塁ゴロで3アウトとなるから、以降の失点は投手の責任ではない。したがって私の自責点は0だ」と抗議したが、山内は「記録は規則どおりで、君の主張は自己流に解釈したものだ」とミケンズの主張を却下した。
当時の野球規則10.18(a)には「自責点は安打、犠打、犠飛、盗塁、刺殺、野選、四死球、ボーク、暴投によりプレーヤーが本塁に達するたびごとに記録される。ただし守備側と攻撃側と入れ替わる機会を逸したあとはこの限りではない」と明記されており、後半(太字)部分は「2死後、第3アウトとなるはずの走者が失策で生きた場合(例えば三振-三振-遊ゴロ失)、以降の失点は自責点とならない」と解釈されていた。この解釈だと「山本が失策で出塁した場合に、失点がミケンズの責任ではなくなる」となるのだが、山内が原文やメジャーリーグの実例を調査していくうちに実はこの解釈が誤りで、「アウトカウントにかかわらず、失策がなければ当然アウトとなるはずの走者が生きた場合(例えば三振-遊ゴロ失-三振と順序が変わっても)はそれぞれ1アウトと仮定して計算、仮定の3アウト目以降の失点は自責点とならない」とするのが正しいことが分かった。これだとミケンズの主張どおり、自責点は0となる。当時ミケンズは球団側と防御率による出来高契約を結んでいたため、このような規則には相当詳しかったといわれる。
なおこの解釈の変更は翌1961年から行われた。これはミケンズが抗議した時点で公式戦開始から1ヵ月半が過ぎていたため(この年のパ・リーグは4月9日セ・リーグ4月2日に開幕)、開幕までさかのぼって自責点の計算をやり直していくとかなりの労力が必要になってしまうからだと推測される。

[編集] シーズン100敗

日本プロ野球史で100敗という屈辱的な経験を味わっているのは1961年の近鉄のみ。それも140試合戦って36勝103敗1分け(勝率.261)という有り様で、優勝した南海ホークスから見ても51.5ゲーム差の大差を付けられている。それまでのワーストは1955年大洋ホエールズと1955・1956年トンボユニオンズ→高橋ユニオンズの98敗だった。

この年の近鉄は10連敗を6月に1回、7月には1ヶ月間だけで2回の都合3回も喫しており、おまけに他の参加5チームとの対戦成績も最高成績が東映フライヤーズ阪急ブレーブスというそれぞれ強豪チームを相手になんとか9勝。他の3チームには20敗以上を喫してしまった。

同様にシーズン最低勝率.238(130試合で29勝97敗4分)を1958年に記録している。ただしこの年は引き分けを0.5勝0.5敗として計算していたため、現在の勝率に換算すると.230となる。

[編集] パ・リーグの最少観客動員記録

1966年10月13日に開かれた藤井寺での西鉄ライオンズ戦は日本シリーズの読売ジャイアンツ南海ホークス戦が同日に行われた影響もあり、観客動員はパ・リーグ最少の150人しか入らなかった。

[編集] 巨人はロッテより弱い

1989年10月24日東京ドームでの巨人との日本シリーズ第3戦、近鉄が3勝目をあげた試合後のヒーローインタビュー時の加藤哲郎の発言と言われているが、この通りに発言したわけではない。ヒーローインタビューでは加藤はふてぶてしい口調ながら、「ペナントレース(勝率1厘差、残り1試合で優勝決定)の方がずっときつかった」といった程度の発言しかしていない。その後、選手がドームを後にするまでの取材の過程で新聞記者の誘導により「今の巨人よりディアズ1人をマークしなければならないロッテの方が怖い」「こんなチームに負けたら、(ペナントレースで死闘を繰り広げた)西武オリックスに申し訳ない」という発言が飛び出したが、前年最終戦で近鉄がロッテの粘りに苦汁を舐めた記憶と、加藤がその年個人的にロッテに苦手意識があった(後に加藤本人が述懐している)ことを受けてのものであり、加藤本人がハッキリと「巨人はロッテより弱い」と言ったわけではなく、マスコミが加藤の発言を歪曲したものである。なお、近鉄が4連敗をくらった最大の原因は「加藤の発言に巨人の選手が発奮した」のではなく、データを分析すると第3戦の時点で既に近鉄打線の調子が下降してきており、それに第4戦で近鉄が苦手とするタイプの投手(香田勲男)に完封を喫し、それ以降打線がつながらなくなり殆ど点が取れなくなってしまったことである。

ちなみに2005年から始まった交流戦でロッテが巨人に対し2005年は5勝1敗、2006年は6戦全勝と圧倒した際、BBSブログに「『巨人はロッテより弱い』という加藤哲郎の発言は予言だった」と書き込んだファンもいた。(週刊ベースボールではやくみつるが06年のロッテ対巨人の全カード終了後に加藤をマンガに登場させオチとして使用した。)

[編集] 逆転の近鉄

2001年9月26日、オリックス戦(大阪ドーム)での北川の代打逆転サヨナラ満塁本塁打による優勝決定に象徴されるように、近鉄はしばしば型破りな逆転劇を演じた。

オリックス 0 0 0 3 1 0 0 0 1 = 5
近鉄 1 0 0 0 0 0 1 0 4x = 6

[審判]佐藤(球)丹波 永見 前田(塁)

2001年7月17日ロッテ戦(千葉マリン)では5点リードされた9回表に一挙に8点を取って逆転勝利し、前半戦最終戦で首位折り返しを決めた。大村の逆転3ランで5点差をひっくり返された時点でロッテの選手はかなりのショックを受けたに違いないが、さらにローズの2ランでとどめを刺しているあたりがいかにも近鉄らしい。なお、この試合でロッテの選手がトラウマを持ったのか、近鉄の選手が自信を持ったのかはわからないが、後半戦近鉄はロッテに10戦全勝し、優勝への大きな足がかりとなった。

近鉄 0 0 1 0 1 0 2 0 8 = 12
ロッテ 2 4 0 0 0 0 1 2 0 = 9


1993年6月5日ダイエー戦(藤井寺)では2-8とリードされた9回裏に7点を取ってサヨナラ勝ち。9回裏の6点差逆転は日本記録。

ダイエー 0 1 0 0 3 1 0 0 3 = 8
近鉄 0 0 2 0 0 0 0 0 7x = 9


1997年8月24日のロッテ戦(大阪ドーム)では2回表までに0-10とリードされながら9回裏に追いつき、12回裏にフィル・クラークの適時打でサヨナラ勝ち。10点差逆転勝利は過去にこの試合を含めて3例あるが、パ・リーグではこの試合だけである(なお他の2試合はいずれも松竹ロビンスが記録している)。

ロッテ 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 = 10
近鉄 0 0 1 1 4 0 3 0 1 0 0 1x = 11

先発投手陣の頭数が足りない近鉄はこの日、本来は中継ぎで活躍する佐野重樹を先発に立てる。しかし佐野が大炎上、代わった南真一郎も火に油を注ぐ形となり、2回までにロッテに10点を奪われてしまう。あまりのふがいなさに近鉄応援団は横断幕を裏返し、応援をボイコットすることで近鉄ナインに奮起を促した。
この「無言の檄」が効いたのか、近鉄は2回途中からマウンドに上がった3番手・柴田佳主也が3回からの3イニング、6回からはルーキー・大塚晶文が2イニングをそれぞれ無失点と踏ん張る。また打線も3回に村上嵩幸、4回にクラークのソロ本塁打で追撃態勢を整えると、集中打で5回に4点、7回に3点を返す。応援団もいつの間にか応援を再開し、大阪ドームは活気を取り戻した。
近鉄は8回から守護神・赤堀元之をマウンドに送るが、どうしても「あと1点」が奪えない。9回も2塁までランナーを進めるが、すでに2アウト。ここで2塁ランナー・武藤孝司が3塁盗塁という、一か八かの勝負に出る。これがロッテ捕手・吉鶴憲治の悪送球を誘い、近鉄が土壇場で追いついた。
延長に入っても赤堀は投げ続け、12回までの5イニングを2安打無失点で投げ抜いた。負けのなくなった近鉄打線はこの赤堀の力投に報いたかったが、延長最終回となる12回も2アウト・ランナーなし。ここで代打に立った山本和範が四球を選び、水口栄二タフィ・ローズが続く。この最後のチャンスでクラークがタイムリーを放ち、史上3度目の大逆転劇を完結させた。近鉄は山本の代走に投手の入来智を送るなど、まさに総力戦でこの試合をモノにした。
試合終了後、当時の監督・佐々木恭介は「8回裏の時点で『追い付きはしなかったが、この追い上げは賞賛に値する』というコメントを考えていた」と告白、「こんな選手たちと野球ができて嬉しい。この勝利は必ずいい方向につながる」ともコメントした。この試合に負ければ最下位転落の可能性もあったチームは、この試合後は佐々木の言葉どおり勢いを見せつけ、閉幕までを21勝7敗2分けで乗り切り、最終的に3年ぶりのAクラス復帰(3位)を果たした。

[編集] 王貞治との奇妙な縁

2001年にタフィ・ローズがシーズン本塁打日本記録更新を賭けて挑んだダイエー戦で、ダイエーの選手が王貞治監督のシーズン本塁打記録を守るために勝負を避けるという事件が発生し、過去にも同様に阪神のランディ・バースが敬遠されたこともあり日本国内のみならずアメリカでも報道され物議をかもした。
実は、王貞治の本塁打と近鉄の間には他にも不思議な縁がある。
王貞治にハンク・アーロンの通算本塁打記録を破る756号を打たれた投手が、後に近鉄で抑え投手として活躍し二年連続リーグ最多セーブを記録した鈴木康二朗であり、更に王貞治の現役最後の本塁打となった通算868号を打たれたのが、マニエルとのトレードでヤクルトに放出されたかつての左腕二枚看板の一角・神部年男である。

[編集] 助っ人外国人選手

近鉄は助っ人外国人選手の打者が活躍するチームとして有名であり、一時期の阪神ファンやロッテファンなど他球団ファンからは「近鉄は良い外国人選手を取ってくるのがうまい」とうらやましがられる事も多かった。また、近鉄の優勝と外国人選手の活躍は切っても切り離せないものがあり、1979年にはマニエル、1989年にはブライアント、2001年にはローズがチームのリーグ優勝と共にMVPに輝いている。外国人選手が3度MVPに選出されているチームは他にヤクルトスワローズがあるのみであり、外国人選手がMVPを受賞した回数そのものが2006年現在11回であるため、これは極めて多いと言える。
他にもタイトルホルダーになった選手も多く、タイトルをとれなくても打率.280、20本塁打クラスの打者ならゴロゴロいる。それら外国人選手を区分するなら、歴史的に4パターンに分けられる。

1.日本の他球団から移籍してきたケース(代表例:ジョーンズ、マニエル、ブライアント)
2.ブリュワーズルート(代表例:オグリビー)
3.レッドソックスルート(代表例:ローズ、クラーク)
4.ドジャースルート(代表例:ギルバートバーグマン、パウエル)

1に関しては、特に有名なのはマニエルとブライアントであろう。マニエルは守備の悪さがヤクルト広岡達朗監督のチーム編成方針上問題となり、大砲を欲していた近鉄との間で神部年男とのトレードとなった。ブライアントはデービスの大麻事件による解雇により、急遽補強が必要となった結果の中日からの金銭トレードである。1のパターンは他にも1993年のレイノルズなども挙げられる(.298 18本 50打点とそこそこ活躍したが目を見張るものではなかったためその年限りで解雇された)。
なおバルボンの場合は、衰えて阪急を解雇されたところをまだ活躍できるのではないかと見込んで取ってきて、やっぱり活躍できなかったという典型的事例である。

2は、1980年代の近鉄の主な外国人選手獲得ルートである。これは、当時近鉄の友好球団がブリュワーズであったことに起因している。

3は1990年代である。このルートで獲得してきた選手が、「毎年のように新外国人選手が活躍する」イメージを植えつける要因の一つとなったと言える。このルートで獲得してきた選手は他にも1994-1995年在籍のスチーブンス、1996年在籍のC・D(ドネルス)などがいる。
そもそもなぜレッドソックスルートと言えるのか?というと、これは近鉄の外国人選手のスカウト市原稔がアメリカで懸命にスカウト活動をするうちに、独自にレッドソックスとのパイプを築きあげたことにある。なおレッドソックスルートで獲得してきた最後の選手は2001年在籍のフレッディ・ガルシアとウィル・フリントである。

4は2001年開幕時に、近鉄が野茂つながりでラソーダをアドバイザーに迎え、ドジャースとのパイプができたことで選手が来るようになったルートである。これにより3の長らく優良外国人打者を獲得してきたレッドソックスとのつながりは絶たれた。ギルバートは、当時近鉄の遊撃手で打撃を期待できる選手がいなかったため、ラソーダに良い選手がいないか意見を求めた結果獲得できた選手であり、当時3A通算1700安打を記録していた。
バーグマンもシーズン途中からの入団であったが、オリックス戦を中心に活躍し、1年目は10勝を挙げた。パウエルも2001年に途中入団してきたが4勝5敗、防御率は4点台半ばとあまり良い成績とはいえなかったが、2年目に投手タイトルを総なめするほどの活躍を見せ、二桁勝利の常連として息の長い活躍を見せている。

余談ではあるが、選手を取ってくる先のチームカラーを反映してか、レッドソックスルートで獲得してきた選手は打者が活躍し、ドジャーズルートは投手が活躍する傾向にあった。特に、ドジャースルートで獲得してきた打者はギルバートを除いて成功したと言える選手はいない。
また、なぜか近鉄で活躍する投手はアキーノ、マットソン、パウエルなど技巧派投手ばかりで、デラクルーズ、ツイドリー、ロドリゲスカラスコなどMAX150kmを越えるという触れ込みの速球派投手は、活躍しなかったどころか全く成績を残せなかった。

なお、以下に近鉄に在籍した歴代の主な外国人選手を挙げる。

  • ピンカード(1955-1956)
  • ミケンズ(1959-1963)
  • ブルーム(1960-1964)
  • ボレス(1966-1968)
  • クレス(1967)
  • ジョーンズ(1974-1977)
  • アーノルド(1978-1980)
  • マニエル(1979-1980)
  • デービス(1984-1988)
  • バンボ(1985-1986)
  • グリーン(1986)
  • オグリビー(1987-1988)
  • ブライアント(1988-1995)
  • リベラ(1989)
  • トレーバー(1990-1991)
  • レイノルズ(1993)
  • スチーブンス(1994-1995)
  • アキーノ(1996)
  • ドネルス(1996)
  • ローズ(1996-2003)
  • クラーク(1997-2000)
  • マットソン(1998-1999)
  • エルビラ(2000-2001)
  • バーグマン(2001-2002)
  • パウエル(2001-2004)
  • ギルバート(2001)
  • マリオ(2004)
  • バーンズ(2004)
  • バーン(2003-2004)
  • カラスコ(2004)

[編集] ネーミングライツ

2004年キャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は2005年以降に球団名称を第3者に販売する「命名権」ビジネスを実施することを明らかにした。基本スポンサー料金を年間36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名やユニフォーム球場への広告掲示などができるとした。市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては前進しないという考えを示した発案であったが、安易に球団名が変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次いだ。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表した。

なお、ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨をスポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季-1940年)、戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサーにしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズ(1973年-1976年)・クラウンライターライオンズ(1977年-1978年)、ロッテオリオンズ(1969年-1970年。1971年大毎からロッテに正式に譲渡)などの例がある。しかし今回はこれが認められなかったため、「近鉄の球団消滅はこの時点で避けられないものとなってしまった」という声もある。

[編集] 過去の合併計画

2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄だが、それ以前にも他球団との合併が画策されたことがある。
1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇広島カープオーナー・松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけている。佐伯の腹案では

  1. 近鉄と広島が合併
  2. 本拠地を広島県広島市に置き、セ・リーグ所属とする
  3. 球団事務所・フロントや首脳陣は両オーナー相談の上で決定し、新しい首脳陣が選手50人を人選
  4. 資本は近鉄・広島で半々
  5. 球団愛称は公募する

と具体的な内容まで踏み込まれていたが、松田はかねてから純益金の分配制度改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た利益は全額ホームチームのものになっていたが、それを1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すというもの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、佐伯の提案を拒否した。

なお前述のように、親会社である近鉄(当時関西急行鉄道)は、戦中に国策で南海と合併しており、そのときには既にホークスの前身である南海軍が存在していた(合併後に近畿、戦後は近畿グレートリングと改称している)。もしこの合併が解消されてなければ、近鉄バファローズという球団は誕生すらしていなかった。ただし当時としても無理があった合併で、戦時体制下での国からの命令でなければ両社は合併などしておらず、戦後解消されたのは当然の流れではあった。

なお南海とは、1973年オフに某関西スポーツ紙で合併がささやかれていた。

[編集] 関連項目

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