大森民間機空中衝突墜落事故
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大森民間機空中衝突墜落事故(おおもりみんかんきくうちゅうしょうとつついらくじこ)とは、1938年(昭和13年)に日本で初めて発生した民間航空機同士による空中衝突事故である。市街地に墜落し航空機の乗員全員が即死したほか、機体の爆発に巻き込まれ多くの住民も犠牲になった。
[編集] 事故の概要
(住所などは全て当時のものである) 1938年8月24日に羽田飛行場(現在の羽田空港)から訓練飛行に向かうため日本飛行学校のアンリオ複葉機(2名乗り、機体記号J-BIDH)と、その後を日本航空輸送のスーパーユニバーサル旅客機(搭乗員3名、登録記号J-BJDO)が離陸したが、訓練飛行中だった午前8時50分に東京市大森区大森9丁目(現在の大田区大森)上空150mで双方が直角に衝突した。そのため双方とも主翼が外れるなど空中分解し墜落した。
アンリオ機は大森区森ヶ崎にあった芸妓屋の玄関と風呂場を破壊し空き地に墜落し、搭乗員2名は即死した。
一方のユニバーサル機は大森区大森9丁目にあった螺旋工場の庭先に墜落した。搭乗員3名は即死した。近隣の工場から工員などおよそ100名が救助にかけつけたが、そのとき航空燃料タンクが大爆発を起こし墜落現場付近の工場や民家も類焼した。40分後に鎮火したが、45名が死亡し106名が重軽傷を負う大惨事となった。
[編集] 関連事項
[編集] 参考資料
- 日本民間航空史、佐藤一一著、国書刊行会、2003年刊