航空事故
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航空事故(こうくうじこ)とは、航空機の運航中に起きる事故である。
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[編集] 概要
航空機はその性質上、ひとたび事故が起きると、乗員乗客の全員を巻き込んだ多くの犠牲者を出す大惨事となってしまう可能性を秘めている。また航空会社にとっては、一度の事故が企業の存亡に関わることもある。このため、航空産業発足の当初から、航空事故に対してはその原因究明と対策に全力が注がれてきた。事故で判明したことや得られた情報は、同様の事故が再発しないよう以後の航空機の設計や運用に生かされている。
[編集] リスク
アメリカの国家運輸安全委員会 (NTSB)の行った調査によると、航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%であるという (米国内の航空会社だけを対象とした調査ではさらに低く0.000034%)。自動車に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.03%なので、その33分の1以下の確率ということになる。これは8200年間毎日無作為に選んだ航空機に乗って一度事故に遭うか遭わないかという確率である。
これが「航空機は最も安全な交通手段」という “神話” の背景となっている。しかしこの確率は移動距離を基準にした結果であり、旅行回数でみれば航空機の方が自動車よりも死亡遭遇率が高いという計算を出している専門家も大勢いる。
航空事故を引き起こすリスクの多寡は航空会社によって異なり、一般に先進国では低く、発展途上国では高い傾向が見られる[1]。また旧共産圏諸国では航空機事故を隠蔽する体質があったため、航空事故の詳細が明らかになったのはごく最近のことである[2]。
ドイツの航空業界専門誌『アエロ・インターナショナル (AI)』の行った調査では、1946年以降一度も死亡事故を起こしていないカンタス航空 が “最も安全な航空会社” であるという。そしてフィンランド航空 、キャセイパシフィック航空、全日本空輸などがその後に続いている。一方 “安全性が最下位” だった航空会社は過去に10機を全損し死者計844人を出しているという。
しかし航空事故はさまざまな要因が複合して事故に至るものであり、多くの航空機や人命を失った航空会社に安全性の問題があるとは必ずしも言い切れない。この “安全性が最下位” にランクされた航空会社は1970年代に最多級の死者を出す全損事故を起こしているが、その原因は航空機の設計上の問題に起因するものだった。また一機の事故としては史上最多の死者を出した日航ジャンボ機墜落事故にしても、その原因は過去に製造元が機体に施した修理のミスだった。
[編集] 事故の原因
航空事故のおよそ7割は離陸後の3分間と着陸前8分間の前後のごく短い時間帯約11分に集中している(クリティカル・イレブン・ミニッツ「魔の11分」)。しかし巡航中に発生する事故も少なくはない。
事故原因の大半は人為的なミス (操縦ミス、判断ミス、定められた手順の不履行、正しくない地理情報に基づいた飛行、飲酒等の過失など) または機械的故障 (構造的欠陥、不良製造、不良整備、老朽化など) に端を発するものとなっている。
航空事故を専門に追跡する planecrashinfo.com が1950年から2004年までに起った民間航空事故2147件をもとに作った統計[3]によると、事故原因の内訳は以下の通りとなっている:
- 37%: 操縦ミス
- 33%: 原因不明
- 13%: 機械的故障
- 7%: 天候
- 5%: 破壊行為 (爆破、ハイジャック、撃墜など)
- 4%: 操縦以外の人為的ミス (不適切な航空管制・荷積・機体整備、燃料汚濁、言語、意思疎通の不良、操縦士間の人間関係など)
- 1%: その他
またボーイング社が行っている航空事故の継続調査[4]によると1996年から2005年までに起った民間航空機全損事故183件うち原因が判明している134件についての内訳は以下の通りとなっている:
- 55%: 操縦ミス
- 17%: 機械的故障
- 13%: 天候
- 7%: その他
- 5%: 不適切な航空管制
- 3%: 不適切な機体整備
操縦ミスは依然として航空事故原因のほぼ半数を占めているが、この数字は1988年〜1997年期には70%もあり、過去20年間に着実に改善されてきたことが分かる。
[編集] 事故調査
航空機事故の再発防止のためには、徹底した原因究明が欠かせない。事故によっては数年の歳月と巨額の資金を費やしてまで「なぜ」が追究される。
中立な立場からの事故調査を徹底するため、多くの国では専門の事故調査機関を設置している。なかでもアメリカの国家運輸安全委員会 (NTSB) は、その経験と専門知識から、各国の事故調査や航空行政に対しても大きな影響力を持つ機関となっている。
日本では国土交通省の審議会のひとつ、航空・鉄道事故調査委員会が原因の究明や今後の事故防止のために必要な調査を行っている。しかしその目的はあくまで事故の再発防止や、安全性の向上、関係機関などに勧告や建議を行なうことであり、事故調査の中心は業務上過失致死罪・業務上過失傷害罪・重過失致死傷罪で刑事捜査をする警察と検察である。
今日、航空事故は重大な過失でもない限り刑事責任を問わないことが世界の趨勢となっており、また「はじめに罪ありき」的な日本の刑事捜査体制には国際民間航空条約に抵触するという観点から航空関係者の反発が根強い。事故の再発防止には、航空・鉄道事故調査委員会をアメリカのNTSBのような独立した強い権限を持つ機関に改めることや、過失による刑事責任を問わないことで事故に関する当事者からの証言を得やすくすることが必要だとする意見が、年々増加の傾向にある。
なお、今日の航空事故調査には欠かせないフライトデータレコーダー (FDR) (飛行状況記録機) と コックピットボイスレコーダー (CVR) (操縦室音声記録機) だが、日本では1966年の全日空羽田沖墜落事故の際に経路追跡などが出来ず原因不明となったことを教訓に、すべての旅客機にこの搭載が義務づけられた。
[編集] 主な民間機航空事故
以下は主な航空事故の一覧である。各事故について、1) 事故日 (現地時間)、2) 航空会社と便名、3) 機種と製造元、4) 犠牲者数、5) 事故発生地、6) 事故の状況、7) 原因、を簡略にまとめた。ただし特筆に値する事故や事件、また航空事故に関連した特に興味深い事実などついてはその内容を詳述した。
なお、軍用機や軍用艦船による民間機への攻撃、人為的な破壊行為、ハイジャックによる自爆テロなどは、「事故」ではなく「事件」であるが、本項では被害規模の参考のため、機体が全損した事件や死亡者が出たものについては特に記載した。なお、民間航空機に対して行われたテロ行為や破壊行為(ハイジャックを除く)については、航空機テロ・破壊行為の一覧も参照のこと。
[編集] 1930年代
- 1930年 1月19日
- 便名: トランスコンチネンタルエアトランスポート 7便
- 機種: フォード 5AT-C トライモーター
- 死者: 14人死亡。 [*要確認]
- 状況: エンジントラブルでカリフォルニア州オーシャンサイド近郊に墜落。
- 1937年 5月6日
- 便名: ツェッペリン飛行船会社 「ヒンデンブルク」号
- 機種: ツェッペリン 硬式飛行船 LZ129
- 死者: 乗員乗客97人中35人と地上の1人が死亡。
- 状況: ニュージャージー州レイクハーストに着陸の際、静電気による放電で尾翼付近の船体外皮から出火し爆発炎上。この事故が飛行船の安全性への信用を失墜させ、飛行船が航空輸送の担い手としての役割を終える契機となった。
- 詳細:「ヒンデンブルク号爆発事故」を参照。
- 1938年 8月24日
- 便名: 1) 日本飛行学校訓練機、2) 日本航空輸送旅客機
- 機種: 1) アンリオ複葉機、2) スーパーユニバーサル機
- 死者: 両機に搭乗の計5人と地上の45人が死亡。
- 状況: 羽田飛行場を離陸後空中衝突し墜落後に燃料タンクが爆発、付近の工場や民家に延焼。
- 詳細:「大森民間機空中衝突墜落事故」を参照。
[編集] 1940年代
- 1942年 1月16日
- 便名: トランスワールド航空 3便
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: 乗員乗客22人全員が死亡。
- 状況: ニューヨーク発ロサンゼルス行きが、最終給油地のラスベガスを離陸後まもなく近郊の山腹に墜落。俳優クラーク・ゲイブルの妻で女優のキャロル・ロンバードが母とともに巻き込まれた。
[編集] 1950年代
- 1950年 6月24日
- 便名: ノースウエスト航空 2501便
- 機種: ダグラス DC-4
- 死者: 乗員乗客58人全員が死亡 (確定)。
- 状況: 深夜飛行中にミシガン湖に墜落。湖底堆積土のため機体は発見されず、墜落原因は不明。多くの遺体も回収できなかった
- 詳細:「ノースウエスト航空2501便墜落事故」を参照。
- 1950年 8月31日
- 便名: トランスワールド航空 903便
- 機種: ロッキード L-749 コンステレーション
- 死者: 乗員乗客55人全員が死亡。
- 状況: カイロ空港を離陸後、ベアリングに欠陥があったためエンジン火災を起こし砂漠上に墜落。
- 1952年 4月29日
- 便名: パンアメリカン航空 202便
- 機種: ボーイング 377 ストラトクルーザー
- 死者: 乗員乗客50人全員が死亡。
- 状況: プロペラの設計ミスでブラジル北部を飛行中にエンジンが脱落し空中分解し墜落。
- 1953年 5月2日
- 便名: 英国海外航空 (BOAC) 781便
- 機種: デハビランド DH106 コメット1
- 死者: 乗員乗客43人全員が死亡。
- 状況: カルカッタのダムダム空港を離陸直後に墜落。原因は雷雲に遭遇した際の操縦ミスとされるが、落雷説もある。ジェット旅客機全損事故の第一号。
- 1953年 9月1日
- 便名: エールフランス [*便名?]
- 機種: ロッキード L-749 コンステレーション
- 死者: 乗員乗客42人全員が死亡。
- 状況: アルプス山脈のセメント山に激突。来日の途上にあった世界的バイオリニストのジャック・ティボーが秘蔵の名器ストラディヴァリウスとともに巻き込まれた。
- 1953年 10月29日
- 便名: イギリス連邦太平洋航空 (BCPA) 306便
- 機種: ダグラス DC-6
- 死者: 乗員乗客19人全員が死亡。
- 状況: 霧のサンフランシスコ空港への着陸アプローチ中にパイロットミスで山間部に墜落。天才ピアニストと呼ばれたウィリアム・カペルが巻き込まれた。
- 詳細:「英連邦太平洋航空304便墜落事故
- 1954年 1月10日
- 便名: 英国海外航空 (BOAC) 781便
- 機種: デハビランド DH106 コメット1
- 死者: 乗員乗客35人全員が死亡。
- 状況: ローマ発ロンドン行きがエルバ島上空で、空中分解し墜落。(後の調査で与圧構造の欠陥と金属疲労が原因と判明)
- 詳細:「デハビランド コメット連続墜落事故」を参照。
- 1954年 4月8日
- 便名: 南アフリカ航空 201便
- 機種: デハビランド DH106 コメット1
- 死者: 乗員乗客21人全員が死亡。
- 状況: ローマ発カイロ行きがティレニア海上空で空中分解し墜落。同一機種による半年間で2度目の事故のため、これ以降全てのDH106 コメット1が運行停止となり、事故原因の徹底的な調査がイギリス政府の指導のもとで行われた結果、機体の与圧構造の欠陥と金属疲労という、これまでになかった新たな原因が判明した。
- 詳細:「デハビランド コメット連続墜落事故」を参照。
- 1954年 7月22日
- 便名: キャセイパシフィック [*便名?]
- 機種: ダグラス DC-4
- 死者: 乗員乗客19人中10人が死亡。
- 状況: 事故ではなく事件 (誤撃)。南シナ海の公海上を飛行中、中国空軍機から突如攻撃を受けエンジンと燃料タンクが被弾、爆発墜落。
- 詳細:「キャセイパシフィック航空機撃墜事件」を参照。
- 1955年 7月27日
- 便名: エルアル航空 402/26便
- 機種: ロッキード L-1049 コンステレーション
- 死者: 乗員乗客58人全員が死亡。
- 状況: 事故ではなく事件 (誤撃)。航法ミスによりブルガリア領空を侵犯したエルアル機が、緊急発進したブルガリア空軍機の攻撃を受け爆発炎上、空中分解して墜落。
- 詳細:「エルアル航空機撃墜事件」を参照。
- 1955年 10月6日
- 便名: ユナイテッド航空 409便
- 機種: ダグラス DC-4
- 死者: 乗員乗客66人全員が死亡。
- 状況: デンバーからソルトレイクシティーへ飛行中、予定航路を大幅に逸脱してワイオミング州のメディソン山山頂近くに衝突。操縦士の意思で航空路を逸脱したのは間違いないが、その動機や直接の事故原因は不明。
- 詳細:「ユナイテッド航空409便墜落事故を参照。
- 1956年 6月30日
- 便名: 1) トランスワールド航空 2便、2) ユナイテッド航空 718便
- 機種: 1) ロッキード L-1049 コンステレーション、2) ダグラス DC-7C
- 死者: 両機の乗員乗客計128人全員が死亡。
- 状況: アリゾナ州 グランドキャニオン上空で空中衝突し、両機とも墜落。原因は双方の見張り不足と推定。
- 1958年 2月6日
- 便名: 英国欧州航空 (BEA) 609便
- 機種: エアスピード AS-57 アンバサダー
- 死者: 乗員乗客43人中23人が死亡。
- 状況: ミュンヘン空港でエンジン出力が上がらず離陸にてこずり、3度目の離陸を試みた際に滑走路をオーバーラン、近隣の旧宅に激突した。この事故でサッカーのマンチェスター・ユナイテッドの選手8人が死亡しイギリス中に衝撃を与えた。
- 詳細:「英国欧州航空ミュンヘン空港オーバーラン事故」を参照。
[編集] 1960年代
- 1960年 3月17日
- 便名: ノースウエスト航空 710便
- 機種: ロッキード L-188 エレクトラ
- 死者: 乗員乗客63人全員が死亡。
- 状況: プロペラ取り付け部分の設計ミスが原因で、インディアナ州上空を飛行中に片方の翼が破損、機体が空中分解し墜落。
- 1960年 12月16日
- 便名: 1) ユナイテッド航空 826便、2) トランスワールド航空 266便
- 機種: 1) ダグラス DC-8-11、2) ロッキード L-1049 スーパーコンステレーション
- 死者: 両機の乗員乗客計128人全員と地上の6人が死亡。
- 状況: ニューヨーク市 スタテンアイランドのミラー空軍基地上空で空中衝突、両機とも墜落。
- 1961年 9月17日
- 便名: 国際連合 チャーター機
- 機種: ダグラス DC-6
- 死者: 乗員乗客16人全員が死亡。
- 状況: 国連事務総長 ダグ・ハマーショルドがコンゴ動乱の停戦調停に赴く途上、搭乗機が北ローデシア (現在のザンビア) のエンドーラで墜落。現職の国連事務総長の事故死というニュースに加え、操縦士が警護上の理由から事前にフライトプランを提出していなかったこと、ソ連が国連のコンゴ動乱への介入を反ソビエト的だと非難し事務総長の辞任を求めていたことなどから、撃墜説や暗殺説が信憑性をもって広まったが、事故調査では事故機に被弾や爆発の痕跡は発見されなかった。同機の経由地である北ローデシアのエンドーラ (Ndola) 空港は海抜1270m、ところが最終目的地のコンゴにはエンドーロ (Ndolo) 空港という海抜279mの空港があり、この両者を操縦士が混同した結果、エンドーラ空港への着陸進入中高度が低くなりすぎたことが事故原因と結論された。
- 1962年 3月16日
- 便名: フライングタイガーライン 739便
- 機種: ロッキード スーパーコンステレーション
- 死者: 乗員乗客107人全員が死亡 (確定)。
- 状況: アメリカ陸軍が南ベトナムへ兵士移送のためチャーターした機が、フィリピン東方近海で行方不明になる。機体の痕跡を発見できなかったため原因は依然不明。
- 1963年 8月17日
- 便名: 藤田航空 臨時便
- 機種: デハビランド DH114 ヘロン1B
- 死者: 乗員乗客19人全員が死亡。
- 状況: 八丈島空港を離陸直後エンジン不調で八丈富士に激突。
- 詳細:「藤田航空機八丈富士墜落事故」を参照。
- 1963年 9月4日
- 便名: スイス航空 306便
- 機種: シュドアビアシオン カラベル
- 死者: 乗員乗客80人全員が死亡。
- 状況: チューリヒ空港を離陸後に炎上し墜落。離陸滑走中に操縦士が意図的にブレーキを多用したために過熱により主脚が炎上、これを格納したことから機内火災が発生、電気系統や油圧系統などを焼損し操縦不能に陥ったのが原因。
- 詳細:「スイス航空306便墜落事故」を参照。
- 1963年 12月8日
- 便名: パンアメリカン航空 214便
- 機種: ボーイング 707-121
- 死者: 乗員乗客81人全員が死亡。
- 状況: フィラデルフィア空港上空で着陸待機旋回中に落雷を受け機体が爆発、墜落。
- 詳細:「パンアメリカン航空214便墜落事故」を参照。
- 1964年 2月25日
- 便名: イースタン航空 304便
- 機種: ダグラス DC-8
- 死者: 乗員乗客58人全員が死亡。
- 状況: ニューオーリンズ空港を離陸した直後に墜落。ピッチ・トリム・コンペンセーター (PTC) に欠陥があり、水平安定板が誤作動して失速したのが原因。
- 1965年 7月8日
- 便名: カナダ太平洋航空 21便
- 機種: ダグラス DC-6B
- 死者: 乗員乗客52人全員が死亡。
- 状況: ブリティッシュコロンビア州上空を飛行中に保険金目当ての自殺者がトイレで酸性物質を爆発させたため空中分解し墜落。
- 1966年 2月4日
- 便名: 全日空 60便
- 機種: ボーイング 727-100
- 死者: 乗客乗員133人全員が死亡または行方不明。
- 状況: 羽田への着陸進入中東京湾に墜落、単独機として当時世界最悪の事故となる。事故原因についての綿密な調査が行われたものの、コックピットボイスレコーダーやフライトデータレコーダーを搭載していなかったため、事故調査委員会は高度計確認ミスや操縦ミスを強く示唆つつも最終的には原因不明と結論。この事故を教訓としてブラックボックスの搭載が全ての旅客機に義務付けられることになった。
- 詳細:「全日空羽田沖墜落事故」を参照。
- 1966年 3月4日
- 便名: カナダ太平洋航空 402便
- 機種: ダグラス DC-8
- 死者: 乗員乗客72人中64人が死亡。
- 状況: 濃霧の中羽田へ地上誘導着陸方式で着陸進入中、操縦士が早く滑走路を視認するために意図的に高度を下げ、機体が進入灯に激突して墜落炎上。犠牲者の多くは焼死だった。羽田沖では1ヵ月前に全日空機がやはり着陸進入中に墜落したばかりで、関係者に衝撃を与えた。
- 詳細:「カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故」を参照。
- 1966年 4月22日
- 便名: アメリカンフライヤーズ航空 チャーター便
- 機種: ロッキード L-188C エレクトラ
- 死者: 乗客乗員98人中83人が死亡。
- 状況: 兵士移送のためチャーターされた機が、給油のためオクラホマ州アードモア空港に着陸進入中、機長が過労のため心臓発作を起こし、操縦不能となって墜落。機長には心臓病と糖尿病の長い病歴があったが、自らが運航会社の社長という地位を利用して健康診断報告書を偽造し機長免許を更新していた。
- 1966年 8月26日
- 便名: 日本航空 「銀座」号 (訓練機)
- 機種: コンベア 880-22M
- 死者: 乗員5人全員が死亡。
- 状況: 羽田で訓練中、離陸直後に操縦ミスで墜落炎上。
- 詳細:「日本航空銀座号羽田空港墜落事故」を参照。
- 1968年 11月22日
- 便名: 日本航空 002便「しが」号
- 機種: ダグラス DC-8-62
- 死者: なし。
- 状況: サンフランシスコ空港への着陸進入時に空港手前の海上に着水。操縦士が新型計器の取り扱いに習熟していなかったことが原因。
[編集] 1970年代
- 1970年 7月27日
- 便名: フライングタイガーライン 45便
- 機種: ダグラス DC-8-63AF貨物機
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 羽田発那覇行きが、特殊な気象現象が原因で操縦士が一時的に盲目状態となり、操縦が困難となって那覇沖に墜落。
- 詳細:「アメリカ貨物機那覇沖墜落事故」を参照。
- 1971年 12月24日
- 便名: LANSA ペルー航空508便
- 機種: ロッキード L-188 エレクトラ
- 死者: 乗客乗員92人中91人が死亡。
- 状況: ペルーのリマからイキトスへ向かう途中、激しい乱気流と落雷に遭遇、右翼を大きく損傷しその後空中分解、山岳地帯の森林へ墜落。17歳の女性1人が10日後奇跡的に救出された。事故機の残骸は事故後14日を経て発見されたが、墜落直後には10人以上が生存していたものとみられ、捜索救助活動の遅れが悔やまれた。
- 1972年 1月26日
- 便名: JAT (ユーゴスラビア航空) 364便
- 機種: ダグラス DC-9
- 死者: 乗客乗員28人中27人が死亡。
- 状況: 事故ではなく事件 (テロ)。コペンハーゲンからベオグラードへ向かう途中、高度1万メートルを巡航中に貨物室に仕掛けられた手榴弾が爆発、チェコスロバキアのヘルムスドルフ近郊に墜落した。22歳の女性が下半身不随の重症を負いながらも奇跡的に生存。
- 詳細:「JATユーゴスラビア航空機爆破事件」を参照。
- 1972年 6月18日
- 便名: 英国欧州航空 (BEA) 548便
- 機種: ホーカーシドレー トライデント 1C
- 死者: 乗員乗客118人全員が死亡。
- 状況: ロンドンのヒースロー空港を離陸直後に墜落。直接の原因は、上昇中まだ十分な高度に達していない段階に高揚力装置が誤ってたたまれた結果失速したことだが、この誤操作を行ったかのは誰か、またなぜそれが修正されなかったかについては不明とされた。ただし搭乗前、労使関係の問題から機長が別の機長と声を張り上げるほどの大喧嘩をしていたこと、コックピット内に八つ当たりの落書きを残すほど機長が立腹していたこと、またそのストレスが原因と思われる亀裂が機長の胸部大動脈に発見されたこと (ただし死に至るものではない)、そして最年長ベテラン機長と若年の副操縦士という人間関係上の問題がこれに絡んでいたとなどが事故調査で明らかになっている。
- 1972年 10月13日
- 便名: ウルグアイ空軍 571便 (チャーター機)
- 機種: フェアチャイルド FH-227D
- 死者: 乗員乗客45人中29人が死亡。
- 状況: ウルグアイの大学ラグビーチームを乗せてチリへ向かったターボプロップ機が、航空管制の誤誘導によりチリとアルゼンチン国境のアンデス山中に墜落。事故直後に12人、翌日までに5人、8日目にもう1人が死亡した。墜落地がアンデスの山中の奥地であったこと、白い機体が雪に紛れて上空から目視できなかったことなどから、3ヵ国からの救助隊は事故機を発見できず、捜索は打ち切りとなった。生存していた27人の頑健な若者は自力で下山を開始、このうちの16人が事故から72日目に生還した。しかし彼らは力尽きて倒れた他のチームメートの遺体を食べて生き延びていたことから、その生還は賛否両論で迎えられるという皮肉な結果となった。なおこの事故を契機に、航空事故の捜索は事故機を発見するまで決して打ち切らない、というのが不文律となった。
- 1972年 11月28日
- 便名: 日本航空 446便
- 機種: ダグラス DC-8
- 死者: 乗員乗客76人中62人が死亡。
- 状況: モスクワのシェレメーチエヴォ空港を離陸直後に失速し墜落。スポイラーを誤作動させたことが原因といわれる。
- 詳細:「日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故」を参照。
- 1972年 12月29日
- 便名: イースタン航空 401便
- 機種: ロッキード L-1011 トライスター
- 死者: 乗員乗客176人中103人が死亡。
- 状況: マイアミ空港へ着陸進入中にCFITが原因で墜落。この事故が大型ワイドボディー機初の全損事故となった。
- 1976年 9月10日
- 便名: 1) アドリア航空 550便、2) 英国航空 476便
- 機種: 1) マクダネルダグラス DC-9-32、2) ホーカーシドレー トライデント3C
- 死者: 両機の乗員乗客計176人全員と地上の1人が死亡。
- 状況: アドリア航空の西ドイツ行きと、英国航空のイスタンブール行きが、ユーゴスラビア上空でほぼ正面衝突し墜落。ザグレブ航空管制センターの管制官が担当便の移管を円滑に行なわなかったうえ、業務に忙殺されて「現状高度維持」の誤った指示を出したのが原因。ユーゴスラビア当局は管制官を全員拘束し、実際に誤った指示を出した管制官は懲役刑を受けたが、国際的な批判を浴びたためチトー大統領が恩赦を与えている。
- 1977年 1月13日
- 便名: 日本航空 1054便
- 機種: ダグラス DC-8-62AF貨物機
- 死者: 乗員5人が死亡。
- 状況: アンカレッジ空港を離陸直後に墜落。後に機長が飲酒していたこと明らかになり問題となった。
- 詳細:「日航貨物機アンカレッジ墜落事故」を参照。
- 1977年 3月27日
- 便名: 1) KLMオランダ航空 4805便、2) パンアメリカン航空 1736便
- 機種: 1) ボーイング 747-206B、2) ボーイング 747-121
- 死者: 両機の乗員乗客計644人中583人が死亡。
- 状況: カナリア諸島のテネリフェ島 ロスロデオス空港の滑走路で、濃霧の中KLM機の機長が管制塔からの離陸許可を得ずに離陸を強行、同じ滑走路上を逆向きに移動中のパンナム機と鉢合わせに。パンナム機を視認したときKLM機はすでにフルスロットル状態で、KLM機は慌てて機首を上げ、パンナム機は左に機首を向けて正面衝突を避けようとしたが、間に合わずKLM機の胴体腹部とパンナム機の胴体上部が衝突。KLM機は滑走路の先に墜落して爆発炎上し乗員乗客248人全員が死亡、パンナム機も滑走路場で炎上し乗員乗客396人中335人が死亡、あわせて583人が死亡という、航空史上最悪の大惨事となった。
- 詳細:「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」を参照。
- 1977年 9月27日
- 便名: 日本航空 715便
- 機種: ダグラス DC-8-62
- 死者: 乗員乗客78人中34人が死亡。
- 状況: クアラルンプール空港に着陸進入中、悪天候により航路を見失い墜落。
- 詳細:「日本航空クアラルンプール墜落事故」を参照。
- 1979年 1月30日
- 状況: ヴァリグブラジル航空 967便
- 機種: ボーイング 707F貨物機
- 死者: 乗員6人が行方不明 (死亡確定)。
- 状況: 成田を離陸30分後、銚子沖740kmのVORを最期に消息を絶つ。機体や残骸はまったく発見さず、なんらかの原因で墜落した機体が日本海溝の深海に水没したものと推定されたが、緊急信号を発することもなく突然墜落に至るのは不自然で、同機の消息や遭難原因は今日に至るまで不明というミステリーとなった。積荷の中には日系ブラジル人画家による極めて高価な抽象絵画53点があったため関係者が衝撃を受けた。
- 詳細:「ヴァリグブラジル航空機遭難事故」を参照。
- 1979年 5月25日
- 便名: アメリカン航空 191便
- 機種: マクダネルダグラス DC-10-10
- 死者: 乗員乗客271人全員と地上の2人が死亡。
- 状況: シカゴオヘア空港発ロサンゼルス行きが離陸直後に墜落。原因はマニュアルに沿わない不適切なエンジン整備の結果パイロンが損傷し、離陸中に左エンジンが脱落、同時に左翼の油圧系統を喪失し、制御不能に陥ったため。NTSBは直ちに国内の全てのDC-10に「追って知らせがあるまで飛行を全面禁止」という異例の通達を発したが、これが解除されてからもDC-10のイメージダウンは拭えず、マクダネルダグラス社には発注のキャンセルが相次いぎ、これがDC-10シリーズと同社の衰退の遠因となった。今日に至るまでこの事故はアメリカ航空史上最悪の惨事であり、またこの事故を契機にNTSBの役割が事故調査専門になるなど、各方面に大きな影響を与えるものだった。なお不適切な整備を指示していたオヘア空港の整備担当主任は事故調査委員会での証言直前に自宅で自殺している (アメリカ人の引責自殺は極めて稀)。
- 詳細:「アメリカン航空191便墜落事故」を参照。
- 1979年 11月28日
- 便名: ニュージーランド航空 901便
- 機種: マクダネルダグラス DC-10-30
- 死者: 乗員乗客257人全員が死亡。
- 状況: 南極を遊覧飛行中、誤ったフライトプランのためエレバス山山腹に激突。南極における初の民間機事故。
[編集] 1980年代
- 1980年 8月19日
- 便名: サウジアラビア航空 163便
- 機種: ロッキード L-1011 トライスター
- 死者: 乗員乗客301人全員が死亡。
- 状況: リヤドのハリド空港を離陸直後に貨物室から出火、火災が油圧系統の一部を切断して尾翼下の第2エンジンが制御不能となったが、すぐにハリド空港に引き返し、無事緊急着陸を行った。しかし事態を甘く見た機長が緊急脱出を指示せず、そのまま誘導路を走行したうえ、機体停止後もしばらくエンジンを停止しなかったため、救援隊は機体に近づけなかった。またL-1011に不慣れな救援隊が非常ドアに手こずり、これが開けられたのは着陸から約29分後のことだった。この間に火災は延焼し、乗員乗客全員が有毒ガス吸引などで死亡していた。機体前方部に折り重なるようにして息絶えていたという。
- 詳細:「サウジアラビア航空163便火災事故」を参照。
- 1980年 11月19日
- 1982年 1月13日
- 便名: エアフロリダ 90便
- 機種: ボーイング 737-200
- 死者: 乗員乗客79人中74人と自動車の4人の計78人が死亡。
- 状況: 翼に着雪・着氷の状態でワシントンナショナル空港を離陸、直後に氷結したポトマック川に墜落。操縦士の雪に対する認識不足が原因だった。
- 詳細:「エアフロリダ90便墜落事故」を参照。
- 1982年 1月23日
- 便名: ワールドエアウェイズ 30H便
- 機種: マクダネルダグラス DC-10-30
- 死者: 乗客2人が行方不明 (死亡確定)。
- 状況: ボストンのローガン空港で着陸時に雪の影響でブレーキが利かなくなり海に突入。
- 詳細:「ワールドエアウェイズ30H便大破事故」を参照。
- 1982年 2月9日
- 便名: 日本航空 350便
- 機種: マクダネルダグラス DC-8
- 死者: 乗客乗員174人中乗客24人が死亡。
- 状況: 精神的な問題をかかえた機長が、羽田への着陸進入時に副操縦士や航空機関士の制止にもかかわらずスラストリバース (逆噴射) を突然作動、滑走路の手前で墜落。
- 詳細:「日航機羽田沖墜落事故」を参照。
- 1982年 7月9日
- 便名: パンアメリカン航空 759便
- 機種: ボーイング 727
- 死者: 乗員乗客269人全員と地上の8人が死亡。
- 状況: 強風にあおられてニューオーリンズ空港からの離陸に失敗し墜落。
- 1985年 8月2日
- 状況: デルタ航空 191便
- 機種: ロッキード L-1011 トライスター
- 死者: 乗員乗客167人中138人と地上の1人が死亡。
- 状況: 悪天候の中、ダラスフォートワース空港に着陸進入中にウインドシアに遭遇、滑走路手前の住宅地に墜落。
- 1985年 8月12日
- 便名: 日本航空 123便
- 機種: ボーイング 747
- 死者: 乗客乗客524人中520人が死亡。
- 状況: 過去のしりもち事故で機体に施した修理にミスがあったため、羽田を離陸して間もなく後部圧力隔壁が破損、機内から圧縮空気が一気に垂直尾翼内に吹き込み、これをもぎ落としたため全油圧系統を喪失し操縦不能に陥る。32分間の迷走飛行の後、群馬県 多野郡上野村の高天原山 (いわゆる「御巣鷹の尾根」) に墜落、一機の事故としては史上最悪の犠牲者を出す。歌手の坂本九、元宝塚娘役で女優の北原遥子、阪神タイガースの中埜肇球団社長、ハウス食品の浦上郁夫社長、大相撲の伊勢ヶ浜親方 (元大関 清國) の妻子など、著名人の多くが巻き込まれた。
- 詳細:「日航ジャンボ機墜落事故」を参照。
- 1989年 7月19日
- 便名: ユナイテッド航空 232便
- 機種: マクダネルダグラス DC-10
- 死者: 乗員乗客296人中111人が死亡。
- 状況: シカゴオヘア空港発フィラデルフィア行き。飛行中に垂直尾翼下の第2エンジンが爆発し油圧系統を喪失。偶然乗り合わせていたDC-10教官が、日本航空123便墜落事故を教訓とし油圧系統を喪失した場合を想定した訓練を行っていたこともあり、クルーは残った左右のエンジンによる出力操作のみで飛行してアイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港に緊急着陸を試みた。機体は接地寸前までかなり良い状態にあったが、接地寸前にバランスを崩して翼端が滑走路に接触して発火、機体は火の車のように回転しながら分解しつつ大破炎上。しかし185人が奇跡的に生存した。
- 詳細:「ユナイテッド航空232便不時着炎上事故」を参照。
[編集] 1990年代
- 1994年 4月26日
- 便名: 中華航空 140便
- 機種: エアバス A300-600R
- 死者: 乗員乗客271人中264人が死亡。
- 状況: 名古屋空港着陸時に操縦士と自動操縦装置の操縦競合により失速して墜落。
- 詳細:「中華航空140便墜落事故」を参照。
- 1996年 1月8日
- 便名: モスクワエアウエイズ 貨物機
- 機種: アントノフ An-32
- 死者: 乗員6人中2人と、少なくとも地上の350人が死亡。
- 状況: ザイールのエンドーロ空港を離陸しようとしたターボプロップ貨物機が過積載のため離陸に必要な速度が出せず、わずかに上昇するもすぐに滑走路先に墜落、そのまま90m地表を滑って買い物客で混雑する屋外マーケットに突入、爆発炎上した。あたりは火の海となり、350〜600人の犠牲者を出したが、遺体の多くは原形をとどめないほどの損傷をうけ、正確な犠牲者数は不明。テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故、日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ史上最悪級の事故となった。
- 1996年 6月13日
- 便名: ガルーダインドネシア 865便
- 機種: マクダネルダグラス DC-10
- 死者: 乗員乗客275人中3人が死亡 (負傷者多数)。
- 状況: 福岡空港でエンジントラブルにより離陸に失敗して滑走路をオーバーラン、この際ランディングギアが燃料タンクを貫通したため機体が炎上。
- 詳細:「福岡空港ガルーダ航空機離陸事故」を参照。
- 1996年 7月17日
- 便名: トランスワールド航空 800便
- 機種: ボーイング 747
- 死者: 乗員乗客230人全員が死亡。
- 状況: ニューヨークのケネディ空港を離陸の12分後、配線ショートによる火花が燃料タンク内で気化していたガスに引火して機体が空中爆発しニューヨーク州ロングアイランド沖に墜落。当初はアトランタ・オリンピック妨害を狙った爆弾テロ説や、テロリストの放った地対空ミサイル説、アメリカ原潜によるミサイル誤射説などが報道され、FBIやNTSBもその線で調査を始めたが、ばらばらになって散乱した機体破片の大部分を海中から回収して組み立て直すなど、4年1ヵ月にも及ぶかつてない徹底調査の結果、事故であることが確定。なおTWAは事故後遺族への補償で経営が悪化、これが同社破綻の原因となった。
- 詳細:「トランスワールド航空800便墜落事故」を参照。
[編集] 2000年代
- 2000年 10月31日
- 便名: シンガポール航空 006便
- 機種: ボーイング 747-400
- 死者: 乗員乗客179人中83人が死亡 (重軽傷多数)。
- 状況: 台北の中正空港で閉鎖されていた改修工事中の滑走路に誤進入、そのまま離陸しようとし滑走路上の工事用車両に激突し爆発炎上。
- 詳細:「シンガポール航空006便墜落事故」を参照。
- 2001年 8月23日
- 便名: エアトランサット236便
- 機種: エアバス A330
- 死者: なし (数人が軽傷)。
- 状況: トロント発リスボン行き。巡航中大西洋上で燃料漏れ警報が作動。ただちに緊急着陸すべくアゾレス諸島に回航したが、28分後に右エンジンが停止、その13分後には左エンジンも停止し、滑空状態となった。同時に発電も不能となり (航空機の電力はエンジンによる発電でまかなう) ほぼ全ての電気系統・油圧系統がダウン。操縦士はわずかな補助電力 (非常用風力発電機による) で無線交信を保ち、同機を19分間にわたって約120kmも滑空させた後、テルセイラ島のラヘス空軍基地への着陸を試みた。一度進入に失敗したらやり直しができない着陸であり、またフラップが効かないため機体の接地速度は通常の時速250km前後を大幅に上回る時速370kmで、しかもスラストリバース (逆噴射) やランディングギア (車輪) ブレーキなどが一切使用できないため、機体が自然減速で止まらない限り滑走路を走り抜けて海に転落という、一か八かの賭けだった。幸い同機は3312mの滑走路を端から端まで使って停止、乗員乗客306人は全員無事という「奇跡的な事故」となった。原因は第2エンジン交換時に純正以外の燃料パイプブランケットを使用したため、燃料パイプが外れたことだった。
- 2001年 9月11日
- 便名: 1) アメリカン航空11便、2) ユナイテッド航空 175便、3) アメリカン航空 77便、4) ユナイテッド航空 93便
- 機種: 1) ボーイング 767、2) ボーイング 767、3) ボーイング 757、4) ボーイング 757
- 死者: 1) 92人、2) 65人、3) 64人、4) 45人。
- 状況: 事故ではなく事件 (テロ)。ハイジャックされた航空機4機がニューヨークのワールドトレードセンター、ワシントンの国防総省 ペンタゴン、ペンシルバニア州 シャンクスヴィルなどに次々と激突・墜落。ビルの火災や崩壊などにより、死者・行方不明総計2,996人という、航空機に関連した惨事としては史上最悪のものとなった。なお上記の犠牲者数は各航空機のみのもの、乗員乗客にハイジャック犯を含む。
- 詳細:「9/11 アメリカ同時多発テロ事件」を参照。
- 2001年 11月12日
- 便名: アメリカン航空 587便
- 機種: エアバス A300
- 死者: 乗員乗客260人全員と地上の5人が死亡。
- 状況: ニューヨークのケネディ空港を離陸後まもなく墜落。直前に離陸した日本航空 47便 (ボーイング747) 成田行きの後方乱気流によって大きく揺れた機体のバランスを保とうと、副操縦士がラダーを過剰操作した結果、垂直尾翼がこれに耐えきれずもぎ折れ機体が制御を失ったことが原因。エアバス機の中でA300とA310はフライバイワイヤーではないケーブル操作機だが、ラダー操作ペダルは他機種とくらべて容易にできるよう敏感に設計されていた。しかし副操縦士が訓練を受けていたのは従来式の重いペダルだったため、ラダーを少し一方へ傾けたつもりが傾き過ぎ、これを是正しようと逆方向に少し動かしたつもりが今度は反対側までいってしまったというを操作を、離陸後の高速状態でしかも気流が悪い中繰り返し行ったことが垂直尾翼が折れた原因だが、これをエアバス側は副操縦士の操作ミス、AA側はエアバスの設計ミスと主張して譲らず、補償責任をめぐっては現在も係争中。
- 2002年 7月1日
- 便名: アメリカウエスト航空 556便
- 機種: エアバス A319
- 死者: なし。
- 状況: 前夜半から機長・副操縦士ともに多量の飲酒をし、酔いも覚めぬまま翌朝出発の556便に搭乗した。不可解な言動を不審に思った空港警備員が警察に通報、同機はゲートから押し出され誘導路を走行しはじめる一歩手前のところで停止させられ、機長・副操縦士は現行犯逮捕。空港警察の職務質問にもろくに答えられないほどの泥酔状態だったという。
- 2005年 8月16日
- 便名: ウエストカリビアン航空 708便
- 機種: マクドネルダグラス MD-82
- 死者: 乗員乗客160人全員が死亡。
- 状況: パナマシティ発仏領マルティニーク行きが、巡航中ベネズエラ西部で着氷により制御を失い墜落。
- 詳細:「ウエストカリビアン航空708便墜落事故」を参照。
- 2005年 9月5日
- 便名: マンダラ航空 091便
- 機種: ボーイング 737-200
- 死者: 乗員乗客116人中108人と地上の47人が死亡。
- 状況: スマトラ島のメダン空港を離陸して1分後に住宅地に墜落。原因は依然不明だが、過積載の可能性が疑われている。
- 詳細:「マンダラ航空091便墜落事故」を参照。
- 2005年 9月21日
- 便名: ジェットブルー 292便
- 機種: エアバス A320
- 死者: なし。
- 状況: カリフォルニア州バーバンクのボブホープ空港を離陸後、前輪が90度横向きになったまま固まり格納不能となった。近隣のロサンゼルス空港に緊急着陸することにしたが、A320型機は燃料投棄システムを備えておらず、そのため同機はロサンゼルス沖の太平洋上を2時間以上にもわたって8の字旋回しながら燃料を消費しなければならなかった。着陸は可能な限りの低速で接地、前輪は火を噴いたが脚を失うことはなく、機は無事停止した。なおジェットブルーのA320には各座席のLCDスクリーンで36チャンネルの衛星テレビ放送が視聴できるようになっており、乗客は緊急着陸の一部始終をCNNの生中継で観ていたため、パニックになることもなかったという。
- 詳細:「ジェットブルー292便緊急着陸」を参照。
- 2005年 12月10日
- 便名: ソソリソ航空 1145便
- 機種: マクドネルダグラス DC-9-30
- 死者: 乗員乗客110人中107人が死亡。
- 状況: 雷を伴う悪天候の中ナイジェリアのポートハーコート空港で着陸に失敗し、滑走路上で胴体部分が炎上。
- 詳細:「ソソリソ航空1145便墜落事故」を参照。
- 2006年 5月3日
- 便名: アルマビア航空 967便
- 機種: エアバス A320
- 死者: 乗員乗客113人全員が死亡。
- 状況: 悪天候の中操縦ミスで、ロシアのソチに着陸進入中、黒海の沖合6kmに墜落。
- 詳細:「アルマビア航空エアバス320墜落事故」を参照。
- 2006年 7月9日
- 便名: シベリア航空 778便
- 機種: エアバス A310
- 死者: 乗員乗客203人中124人が死亡。
- 状況: 悪天候の中イルクーツク国際空港で着陸時にスリップし滑走路をオーバーラン、コンクリート壁に衝突して炎上。
- 詳細:「シベリア航空778便着陸失敗事故」を参照。
- 2006年 8月22日
- 便名: プルコボ航空 612便
- 機種: ツポレフ 154
- 死者: 乗員乗客170人全員が死亡。
- 状況: ロシア西部アナパ発サンクトペテルブルク行きが、ウクライナ東部上空を巡航中に墜落。
- 詳細:「プルコボ航空612便墜落事故」を参照。
- 2006年 9月30日
- 便名: 1) ゴル航空 1907便、2) エクセルエア 納入機
- 機種: 1) ボーイング 737-800、2) エンブラエル レガシー600
- 死者: ゴル航空機の乗客乗員155人全員が死亡。
- 状況: ブラジル北部のパラ州上空で空中衝突しゴル航空機が墜落。ブラジル史上最悪の航空機事故となった。ボーイング737NG初の全損事故でもあった。
- 詳細:「ゴル航空1907便墜落事故」を参照。
- 2006年 10月29日
- 便名: ADC航空 53便
- 機種: ボーイング 737
- 死者: 乗員乗客104人中97人が死亡。
- 状況: ナイジェリアの首都アブジャ郊外のナムディ・アジギヴィ空港を離陸直後に墜落。原因については依然調査中。
- 詳細:「ADC航空53便墜落事故」を参照。
- 2007年 3月7日
- 便名: ガルーダ・インドネシア航空 200便
- 機種: ボーイング 737
- 死者: 乗員乗客140人中23人が死亡。
- 状況: ジョグジャカルタの空港で、着陸に失敗し、滑走路上でバウンドしてオーバーラン。機体停止後に火災が発生し爆発。原因については依然調査中。
[編集] 航空事故を扱った映像作品
- 『アンデスの聖餐 (原題: La Odisea de los Andes)』 (ドキュメンタリー映画)
- 『アンデス地獄の彷徨 (原題: Survive!)』 映画
- 『生きてこそ (原題: Alive!)』 映画
- いずれも1972年10月13日にアンデス山中で起きたウルグアイ空軍チャーター機墜落事故と、その後の72日間にわたる生存者の生還を扱ったドキュメンタリー/映画
- 『メーデー!: 航空機事故の真実と真相 』 (ナショナルジオグラフィックチャンネル)
- 衝撃の瞬間2 第12回『スペイン航空機衝突事故 (原題: Collision on the Runway)』
- 1977年3月27日にカナリア諸島のテネリフェ島の空港で起きた、KLMオランダ航空とパンアメリカン航空の滑走路上での衝突事故を追ったドキュメンタリー
- 『レスキューズ/緊急着陸UA232 (原題: Crash Landing: The Rescue of Flight 232)』 (ABC放送)
- 1989年7月19日に起きたユナイテッド航空232便事故を描いたテレビ映画
- 『奇跡の243便 (原題: Miracle Landing)』 (CBS放送)
- 1988年4月28日に起きたアロハ航空243便事故を描いたテレビ映画
- 『原題: The Crash of TWA Flight 800』 (ディスカバリーチャンネル)
- 1996年7月17日にロングアイランド沖で起きたトランスワールド航空800便墜落事故を追ったドキュメンタリー
- 『原題: Flying on Empty』 (ディスカバリーチャンネル)
- 2001年8月23日に北大西洋上で起きたエアトランサット236便のジェット旅客機としては史上最長の滑空を追ったドキュメンタリー
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 航空・鉄道事故調査委員会
- 日本の航空事故総覧
- 世界の航空事故総覧
- Aircraft Accident in Japan (1974年以降の日本の航空事故調査報告書。元航空事故調査官による個人サイト)
- 1985年の日航機墜落事故
- Aviation Safety Network (英語)
[編集] 出典・注
- ^ Fatal Events and Fatal Event Rates of Airlines
- ^ ソビエト連邦崩壊後にはアエロフロート機を中心に数十件にも及ぶ事故が公表され関係者を唖然とさせた。
- ^ planecrashinfo.com による統計
- ^ ボーイング社による航空事故統計