大阪劇場
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大阪劇場 (おおさかげきじょう)は大阪府大阪市南区(現・中央区)千日前にあった劇場である。通称・大劇(だいげき)。人気歌手・映画俳優の実演とOSKのレビューで知られた。日本ドリーム観光(旧・千土地興行)経営。
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[編集] 沿革
- 1933年(昭和8年)8月30日、竣工。当初の名前は東洋劇場。9月より映画館として営業を開始。
- 1934年(昭和9年)4月 経営に行き詰まり、松竹傍系の千日土地建物(通称・千土地)が買収。大阪劇場と改称。
- 1934年(昭和9年)8月1日 大阪松竹少女歌劇団(OSSK)を専属とし、映画とレビューの二本立て興行を行う。
- 1967年(昭和42年)6月4日 歌謡ショー「栄光の三十三年」をもって興行を打ち切り、廃座。
- 1991年(平成3年) 再開発のため大劇ビルを取り壊す。
[編集] 興行形態
基本的には、OSK(OSK日本歌劇団の項参照)のレビューと松竹映画一本の組み合わせ。OSKのレビュー以外には人気歌手・映画俳優の実演や喜劇などが上演された。
なお、一時期洋画専門のロードショー劇場や演劇専門劇場に転身したが、失敗し元の興行形態に戻している。
[編集] 構造
- 建屋:地上5階建。地下及び塔屋付き
- 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
- 座席数:2780
[編集] OSK以外の主な出演者
人気流行歌手が定期的に歌謡ショーを行った。
映画スターが実演を行った。
喜劇公演の座長としては次の人々がいる。
実演のコメディリリーフとして、コメディアンも舞台を彩っていた。
[編集] 主な事件
詳細は日本ドリーム観光の当該項を参照のこと。
- 大劇事件 入場券購入の列が崩れ、将棋倒しによる圧死
- 大劇事故 NKD(OSK)が深夜舞台上で稽古中に舞台装置が崩れた事故
[編集] 大劇サロン
1950年(昭和25年)大阪劇場地下一階の遊戯施設跡に設けられた飲食店。アルバイトサロン(現在のキャバクラ)の嚆矢とされ、独特のキャッチコピーが新聞に掲載された。支配人を務めた磯田敏夫は織田作之助門人の文士でもあり、自らの経験が元になった映画「ネオン太平記」(1968年日活)ではロケにも使用されていた。その後は「大劇アルバイトサロン」に改称。大劇ビル取り壊しに伴い、閉鎖。
[編集] 大劇プレイタウン
1967年(昭和42年)日本ドリーム観光は、不採算物件であった大劇の劇場部分を複合ビルに改装。既に営業していた地下アルサロと上階の映画館(大劇シネマ)を含んだ一大娯楽施設に転換した。ジャズ喫茶「やかた」、ボウリング場「大劇ドリームボウル」、ダンスホール(後のディスコ、現在のクラブに相当)「大劇ダンス天国」などが設置され、一階は飲食店数店(百番・千房など)の他千日デパート火災で移転を余儀なくされた一部名店街が入店し、館内はさながら複雑な迷路状態となっていた。1991年(平成3年)老朽化に伴い、取り壊された。