千日前
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千日前(せんにちまえ)とは、大阪府大阪市中央区の地名の一。道頓堀の南に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街になっている。同地区には法善寺がもともとあり、千日念仏を唱えていたことからその別名を千日寺といい、その前で栄えた街だからということでこの名になったといわれる。
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[編集] 歴史
[編集] 江戸から明治
江戸初期には近郊農村であった難波村の一部であり、1615年市内の墓地の整理により「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地が出来、刑場・焼き場も併設された。これが後にさまざまな噂話や因縁話の原因にされてしまっている。
明治以降、刑場は廃止され墓地が阿倍野に移転して以来繁華街となる。もともと芝居小屋の多い道頓堀の裏手に当たり、江戸時代から茶屋や見世物小屋が集まり始めていたが、当初墓地跡というのでなかなか買い手がなかった。1885年阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)難波駅の開業などで一気に人通りが多くなる。
[編集] ミナミの大火後
1912年(明治45年)1月16日、ミナミの大火で千日前から高津、生国魂神社あたりまでが焼失し、この地にあった遊郭は移転して消滅した。焼け跡には現在の千日前通にあたる東西の通りが拡幅されたが、繁華街の復興は困難であり、南海鉄道の社長はミナミ壊滅の危機に近代的なレジャーセンターの建設で復興の呼び水にすることを考え、千日土地建物(千土地。のちの日本ドリーム観光)を設立。大阪の興行界の実力者・山川吉太郎に声をかけた。彼は当時、活動写真館を経営し、役者をアイドルとして売り出す才能の持ち主でもあった。南海の出資で彼はすべての娯楽を詰め込んだレジャーセンターを構想した。
新しい千日前交差点の南西隅に、山川吉太郎は1914年(大正3年)に一大娯楽センター「楽天地」を建設、一躍市内のハイカラな名所となった。地上3階建てで多くの尖塔を持ち、中央には円形ドームを載せ、夜はイルミネーションで彩られていた。館内は大劇場と二つの小劇場で芝居・演劇・映画を公演し、地下にはメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館まであった。屋上の大阪市内を見渡す展望台も人気を集めた。
楽天地開業以降、付近には映画館・演芸場が進出し、道頓堀と肩を並べる娯楽の街へと発展した。楽天地は後に、山川吉太郎が映画に熱中したことと映画制作で多額の借金を抱えたことで廃れ、帝国キネマの撮影場の焼失と新興キネマへの再編もあり1930年に廃業。千土地は白井松次郎(松竹創業者の一人)に買収され、跡地に1932年(昭和7年)に7階建てで収容人数3,000人近い南欧風建築「大阪歌舞伎座」が誕生し、初代中村鴈治郎はじめ多くの歌舞伎役者が舞台を踏んだ。以降、松竹の興行による関西歌舞伎が定期的に上演され、翌1933年には6階にアイススケート場を併設。劇場横の飲食店が立ち並ぶ横丁は「鴈治郎横丁」(現・ビック通り)と名付けられ賑わった。
1934年、松竹は1922年に結成した「松竹楽劇部」を「大阪松竹少女歌劇」(OSSK)と改称。千日前・東洋劇場を「大阪劇場」(通称・大劇)と改称して、新生OSSKの本拠地とした。大阪劇場は実演と映画上映の二本立て興行を行うようになり、実演はOSSKのレビューか人気歌手の歌謡ショウ (OSSKも出演)、映画は松竹映画を上映していた。1948年OSSKは「大阪松竹歌劇団」(OSK)と改称。笠置シズ子や京マチ子といったスターを生み出した。
[編集] 戦後
第二次世界大戦の空襲で一帯は再び焼け野原と化したが、再び演芸街・飲食店街としての復興を果たす。大阪歌舞伎座上階のアイススケート場は進駐軍向けの特殊慰安所(キャバレー)に改装され、朝鮮戦争まで運営された。また大劇地下にはアルバイトサロン(アルサロと略す。現在のキャバクラ)が開業し、全国に広まった。
大阪歌舞伎座は1958年に御堂筋の大阪新歌舞伎座に移転し、歌舞伎座の建物は改装され千日デパートとなるが、1972年(昭和47年)に死者118名にのぼる千日デパート火災が発生した。(その後長らく焼け跡は放置され利用されなかったが、ダイエー系のデパート「プランタンなんば」が建ち、現在ビックカメラなんば店となっている。)またOSKも「日本歌劇団」(NKD)と改称した1960年代半ばから人気に翳りが見え、1967年大劇は閉鎖。NKDは近鉄のあやめ池円形大劇場に完全移転し、1991年まで大劇はボウリング場などの複合施設「大劇プレイタウン」に改装されていた。その後跡地は現在なんばオリエンタルホテルとなっている。(近年まで、オリエンタルホテルの南側の通りは千日前大劇南通と呼ばれていた。)
1987年、吉本興業は従来南海通りになんば花月劇場を経営していたが、近隣に所在した自社の経営するボウリング場・駐車場ならびに本社事務所(NSCを併設)を取り壊して、なんばグランド花月を開場。吉本新喜劇の本拠地となっている。
[編集] 千日前の今日
千日前を通る通りという事で、道頓堀川に架かる太左衛門橋から南へ延びる通りは単に「千日前」とよばれ、今でも南OSプラザ、国際劇場・国際シネマ、敷島シネポップ(旧敷島倶楽部)、千日前セントラル、なんばグランド花月、SWINGヨシモトビル(ワッハ上方やジュンク堂、baseよしもとなどが入居)などの演芸場や映画館(含む・成人映画館)が並んでいる。
また、アムザ1000ほかサウナ・カプセルホテルなどレジャービル、パチンコ店も数多い。特筆すべきは、千日前大劇南通を東に入ったところにあるレジャービル「味園ユニバースビル[1]」で、大宴会場・サウナ・ホテル・クラブなどの集合ビルであるが、関西人にはよく知られた強烈なCM、パワフルな独特のデザインが凝らされた外観と内装、地下1階の昭和を思わせる豪華なキャバレーなどは、年配のサラリーマンばかりでなく高度成長期の過剰さを知らない若い世代のサブカル系青少年にも近年人気が高い。
千日前はなんばグランド花月の南で「道具屋筋」となり、プロ用の厨房用品や店舗開業用の食器、旗、飾り、食品サンプルなどさまざまな物を売っている。道具屋筋を南に抜けると、近年オタク街化の進む日本橋の電気街(でんでんタウン)である。
全体的にオシャレではなくパチンコ屋などけたたましい店も多くなったが、古くからの店も多く、かつての歓楽街の雰囲気が残っている。
1998年4月7日 「21世紀千日前記念式典」を開催。
[編集] 交通機関
最寄り駅
[編集] 全国の千日前
[編集] 関連項目
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