大黒坊弁慶
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大黒坊弁慶 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 大黒坊弁慶 嵐(初代) |
本名 | 小谷一美 |
身長 | 190cm |
体重 | 150kg |
誕生日 | 1957年4月3日 |
出身地 | 和歌山県日高郡 |
所属 | 大日本プロレス |
大黒坊弁慶(だいくこぼうべんけい、1957年4月3日 - 、本名は小谷一美)は、和歌山県日高郡出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、現在はプロレスラー。身長190cm、体重150kg。四股名は小谷、羅紗王、和歌ノ洋、花嵐と改名が多い。最高位は十両。力士廃業後プロレスラーに転向し、嵐(初代)または大黒坊弁慶のリングネームが特に知られる。
目次 |
[編集] 来歴
中学時代には柔道をやっていたが、南部高等学校進学後に相撲を始める。大会での活躍が目立ったことで相撲部屋から誘われるが、日本大学出身の教師に薦められ同大に進学。名門と言われる日大相撲部で活躍する。大学4年時に全国学生相撲選手権大会で優勝した事をきっかけに大相撲に進むことを決意。
1980年、花籠部屋に入門すると、学生時代の実績がある事から幕下付出しとして初土俵。上背があり、まわしを取って引く相撲ではなかなかの強さを見せたと言われる。鳴り物入りではあったが幕下時代が長く、1984年に十両に昇進するも今ひとつ勝てず十両在位は3場所に終わった。1985年末に師匠の花籠親方が金銭トラブルのため廃業する事が決まったため、本人も28歳で廃業した。
廃業後は、プロレス団体であるWARに登場したチームである相撲軍団に「覆面力士・嵐」として参加、これが初代の嵐として知られるプロレスラーである。1994年、WARの所属選手であった石川敬士(日大相撲部、花籠部屋の先輩でもある)がWARからの離脱と新団体東京プロレスの立ち上げを表明すると、同団体に参加。この際にリングネームを嵐から「ダンク・タニ」と改名する。
東京プロレスでは主要選手の一人として活躍する。1995年にザ・グレート・カブキの東京プロレス参戦と(ダンク・タニとの)タッグ結成が決定すると、リングネームを「大黒坊弁慶」に改名、これ以降はこのリングネームで活動している。このカブキと弁慶によるタッグチームは「幻僧戦士団」を名乗り、同団体において屈指の強さを誇った。これは、名レスラーカブキによって弁慶の潜在能力が引き出された事が大きい。
東京プロレス崩壊後は、新東京プロレス、IWA・JAPANに参戦。現在、大日本プロレスで活動中。同団体のヘビー級ベルトを長期保持した重鎮であり、一つの軸になる存在である。またその巨大な体躯と強面でありながら、ユーモラスな試合で観客を沸かせる一面もある。
[編集] タイトル歴
[編集] 大相撲時代
[編集] 主な成績
- 初土俵:1980年春場所
- 新十両:1984年春場所
- 最終場所:1985年九州場所
- 最高位:十両9枚目
- 十両成績:3場所、19勝26敗
[編集] 改名歴
- 小谷
- 羅紗王
- 和歌ノ洋
- 花嵐
(改名順)
[編集] プロレスラー時代
[編集] 得意技
- ノド輪落とし
- 仏壇返し
- ランニング・スプラッシュ
[編集] リングネーム
- 嵐
- ダンク・タニ
- 大黒坊弁慶
[編集] テーマ曲
- R★O★C★K★S / HOUND DOG
カテゴリ: 日本のプロレスラー | 大日本プロレス | 元大相撲力士のプロレスラー | 和歌山県出身の大相撲力士 | 1957年生