石川孝志
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石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代は花籠部屋所属、大ノ海の四股名で最高位は前頭4枚目。後にプロレスラーに転向し、特に石川敬士のリングネームで知られる(隆士、また本名の孝志の場合もあり)
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[編集] 来歴
中学時代までは野球少年であったが、酒田南高等学校進学後に相撲に没頭、国民体育大会高校の部で優勝するなど実力、素質ともに恵まれ、この時点で相撲部屋からのスカウトもあったがこれを断り日本大学に進学。大学時代は名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱に輝くなど数多くのタイトルを獲得、主将も務めたが四年時に糖尿病にかかり、これが後の力士廃業の理由となる。
大学卒業後は大相撲の花籠部屋へ入門、1975年3月場所に幕下付出で初土俵。巨漢ではないが取り口が巧みで、期待の技巧派力士として順調に幕内まで昇進するものの、糖尿病の再発を理由に24歳の若さで1977年7月場所をもって廃業。なお四股名の大ノ海は、師匠であった11代花籠親方(元前4・大ノ海久光)の四股名でもあり、それだけ将来を嘱望されていた。
しかし廃業直後からプロレスへの転向を表明しており、1977年10月にはフリーの選手として全日本プロレスへ参加。当時は大相撲からプロレスへの転向(実際には引き抜き)が多く、批判の対象となる事が多かった。石川の場合も、当初フリー選手であったのはカモフラージュであり、実質は引き抜きだったと言われている。
その後、ジャイアント馬場の意向により、武者修行のため渡米。元NWA王者パット・オコーナーのトレーニングを受け、11月17日にはボブ・オートン・ジュニア戦でアメリカマットでデビュー。約1年の全米サーキットを行う。帰国後は1979年に全日本プロレスに正式入団、勢いのあるファイトが持ち味の中堅選手として活躍、特にアジアタッグ戦線の常連となる。全日本プロレスでの活動後期は、大学時代、力士時代共に所属が同じであった輪島とタッグを組む事も多かった。
1988年12月に全日本プロレス所属選手としてプロレスラーを引退するが、1990年のSWS旗揚げに際し復帰、SWSに参加する。団体内チームによる対抗戦を特色としたSWS内では、団体のエースである天龍源一郎と同じレボリューションに所属。SWS崩壊後は天龍と行動を共にしWARに参加するが、あくまで天龍を看板としたWARに離反し、1994年9月新団体の設立を表明。1994年10月、石川、嵐(初代)、坂下博志の3名により東京プロレスとして立ち上げを表明する。
東京プロレス時代は、大仁田厚の引退試合相手への名乗り(決定するも、後にハヤブサ選手に譲り実現せず)、ガッツ石松との異種格闘技戦を直訴(実現せず)など、当初は話題作りが先行した感が強かったが、1995年8月に東京プロレスがTWA認定タッグ王座を創設すると、他団体もしくはフリーの大物選手との交流が増え、石川への注目度も上昇した。参戦したアブドーラ・ザ・ブッチャーへの共闘ラブコールなどは有名である。1996年12月に「インディ統一機構」発足を前提として東京プロレスが活動終了するが、石川は新団体への移行を拒否し新東京プロレスを立ち上げ、古巣であるWARに参戦する。またIWA・JAPANとの抗争時に団体名を石川一家と改称(同名の暴力団とは無関係)。同時期に石川孝志として新日本プロレスにも参戦している。
1998年1月19日引退。引退後はビルの警備及び清掃を業務とする会社を設立、運営している。母校・日大の清掃も受け持っている。
[編集] エピソード
- 学生時代より相撲での実績は抜群であり、大相撲入門後は花籠部屋親方の現役時の四股名を継承している事からも、力士としてかなり期待されていたようである。
- 輪島と石川は日大相撲部から花籠部屋に進んだ先輩後輩になるが、二人は大相撲時代から仲が良かったようで、輪島の全日本プロレス入りには石川が深く関わったと言われる。石川の一度目の引退(全日本プロレスでの引退)によって仲間を失った気分だった輪島も追随する形でプロレスから引退している。
- プロレスでの現役時代より、世田谷でスポーツ用品店を経営していた。
[編集] 相撲時代の成績
- 初土俵:1975年春場所
- 新十両:1975年秋場所
- 新入幕:1977年初場所
- 最終場所:1977年名古屋場所
- 最高位:前頭4枚目
- 幕内成績:3場所、18勝27敗
[編集] タイトル歴
- アジアタッグ選手権王者
- TWA認定タッグ王座
[編集] その他
- 第5回(1978年)努力賞
- 第8回(1981年)努力賞
- 第16回(1989年)功労賞
[編集] 得意技
ラリアット、サソリ固めという長州力の得意技を自らも得意技としていたため、新日本のリングで長州と対戦する際にはこれ見よがしに使ってヒートを買っていた。
[編集] リングネーム
- 石川敬士
- 石川隆士
- 石川孝志
- ケンドー・イシカワ
- 東京プロレスのフィリピン遠征時に使用した。