天一坊改行
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天一坊改行(てんいちぼうかいぎょう 元禄12年(1699年)6月7日 - 享保14年(1729年)4月21日)は江戸時代の山伏。源氏坊天一。紀州田辺の生まれで、幼名は半之助というが真偽は定かでない。
母は「よし」といい、紀州の城に奉公に上がり妊娠して里へ帰され、産まれたのが天一坊だという。14歳のときに母が死に出家して山伏となり、改行と名乗った。周囲に自分は公方様の御落胤だと言いふらしていたという(徳川吉宗は紀州藩主から将軍になった)。
享保13年、南品川宿で天一坊は近々大名にお取立てになると称して浪人を集めた。不審に思った関東郡代が取り調べ、翌享保14年、天一坊は捕らえられ、死罪の上、獄門となった。