紀伊国
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紀伊国 (きいのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、南海道に位置する。現在の和歌山県と三重県南部とをあわせた領域にあたる。延喜式での格は上国、近国。紀州。紀の国。
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[編集] 沿革
7世紀に成立した当初は、木国(きのくに)であった。和銅6年(713年)に、雅字(良い文字の意)二字で地名を表す命令が出されたとき、「きのくに」を紀伊国と表記するようになった。後になって読み方も「きいのくに」に変化した。 これも異説があり、紀北地方に古代の有力豪族である紀氏が支配していた地域であるから紀の国というようになったとも言われる。
少なくとも平安時代までは現在の大紀町南部と紀北町の北東部は志摩国に属していたが、後に紀伊国に属するようになった。
[編集] 歴史
紀伊国は歴史が古く、『古事記』には神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通ったとされるなど、事実はともかく、中央から知られた国であった。
奈良時代には熊野三山が建立され、平安時代に天皇による熊野御幸が行われるようになると、熊野古道が整備され熊野詣が流行った。その他、紀州の三井寺とされた紀三井寺、空海の高野山金剛峯寺、道成寺、根来寺など大寺大社が紀州の地に建てられた。
平安時代末期には湯浅地方を中心に湯浅党の武士団、口熊野の田辺付近に熊野水軍が発達し勢力を伸ばした。この熊野水軍は源平合戦にも関与したと言う。
戦国時代は畠山氏が守護であった。彼が内紛で弱まると紀北土豪〈雑賀衆と言う〉は本願寺を崇め主に大阪付近でこれのために戦った。根来寺が鉄砲の流通を抑えていたために雑賀衆は鉄砲術に長けた。
1585年、豊臣秀吉の紀州攻めにより雑賀衆は滅亡。関ヶ原の戦い後、浅野幸長に与えられ紀州藩が成立した。浅野氏の安芸広島転封後、徳川家康の十男徳川頼宣が入封した。
明治維新後の廃藩置県で、熊野川以東が三重県となり、大部分は和歌山県となった。
[編集] 国府・一宮など
国府は名草郡、現在の和歌山市府中と推定されるが、遺跡は未だ発見されていない。
延喜式神名帳には大社13座13社・小社18座15社の計31座28社が記載されている。大社は牟婁郡の熊野早玉神社(現 熊野速玉大社、新宮市)1社を除き名神大社で、以下に示すものである。
- 伊都郡 丹生都比女神社(現 丹生都比売神社、伊都郡かつらぎ町)
- 名草郡 日前神社(現 日前神宮、和歌山市)
- 名草郡 国懸神社(現 國懸神宮、和歌山市)
- 名草郡 伊太祁曽神社(和歌山市)
- 名草郡 大屋都比売神社(現 大屋都姫神社、和歌山市)
- 名草郡 都麻都比売神社(現 都麻津姫神社、和歌山市)
- 名草郡 鳴神社(和歌山市)
- 名草郡 伊達神社(和歌山市)
- 名草郡 志磨神社(現 志摩神社、和歌山市)
- 名草郡 静火神社(現 竈山神社境外摂社、和歌山市)
- 在田郡 須佐神社(有田市)
- 牟婁郡 熊野坐神社(現 熊野本宮大社、田辺市)
一宮は日前・国懸神宮(2社で1社)であるが、鎌倉時代に高野山と関係の深い天野社(丹生都比売神社)が一宮を主張し、以後は両社が一宮とされた。また、中世以降は伊太祁曽神社も一宮を主張しており、同社社伝によれば元々は伊太祁曽神社が一宮であったのが、日前・国懸神宮に奪われたとしている。
総社は府守神社であるとも大屋都姫神社に合祀された惣社であるともいうが、確証がない。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1184年~? - 豊島有経
- ?~1203年 - 佐原義連
- 1207年~1221年 - 後鳥羽上皇御計
- 1221年~? - 三浦義村
- 1223年~1237年 - 佐原家連
- 1280年~? - 北条久時
- 1291年~? - 北条時兼
- ?~1333年 - 北条氏
[編集] 室町幕府
- 1336年~1351年 - 畠山国清
- 1360年 - 畠山国清
- 1373年~? - 細川氏春
- 1378年 - 細川業秀
- 1378年~1391年 - 山名義理
- 1392年~1399年 - 大内義弘
- 1399年~1406年 - 畠山基国
- 1406年~1408年 - 畠山満則
- 1408年~1433年 - 畠山満家
- 1433年~1441年 - 畠山持国
- 1441年 - 畠山持永
- 1441年~1455年 - 畠山持国
- 1455年~1460年 - 畠山義就
- 1460年~1467年 - 畠山政長
- 1467年 - 畠山義就
- 1467年~1493年 - 畠山政長
- 1493年~1499年 - 畠山基家
- 1499年~1504年 - 畠山義英
- 1507年~1517年 - 畠山尚順
- 1517年~1545年 - 畠山稙長
- 1545年~1550年 - 畠山政国
- 1550年~? - 畠山高政
[編集] 国司
[編集] 紀伊守
- 山村王 759年(天平宝字3年)任官。
- 池田元助
- 浅野幸長 紀伊紀州藩主。
- 松平信岑 丹波篠山藩の第5代藩主。丹波亀山藩の初代藩主。
- 松平信直 丹波亀山藩の第2代藩主。
- 松平信道 丹波亀山藩の第3代藩主。
- 松平信彰 丹波亀山藩の第4代藩主。
- 松平信志 丹波亀山藩の第5代藩主。
- 松平信豪 丹波亀山藩の第6代藩主。
- 松平信義 丹波亀山藩の第7代藩主。老中。
[編集] 郡
[編集] 関連項目
- 神武天皇
- 神武遠征
- 大伴氏
- 紀氏
- 岩倉流
- 関口流
- 熊野速玉大社
- 熊野本宮大社
- 熊野那智大社
- 和気清麻呂
- 華岡青洲
- 弘法大師
- 清姫
- 令制国一覧
- 紀州藩
- 紀州徳川家
- 紀伊型戦艦
- 列車名
- ほかの駅との区別などの目的で「紀伊」を冠している駅が全部で25駅ある。他に紀伊駅もある。
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- 令制国一覧
-
畿内: 山城 | 大和 (芳野監) | 河内 | 和泉 | 摂津 東海道: 伊賀 | 伊勢 | 志摩 | 尾張 | 三河 | 遠江 | 駿河 | 伊豆 | 甲斐 | 相模 | 武蔵 | 安房 | 上総 | 下総 | 常陸 東山道: 近江 | 美濃 | 飛騨 | 信濃 (諏方) | 上野 | 下野 | 陸奥 (石城、石背 / 陸中、陸前、磐城、岩代) | 出羽 (羽前、羽後) 北陸道: 若狭 | 越前 | 加賀 | 能登 | 越中 | 越後 | 佐渡 山陰道: 丹波 | 丹後 | 但馬 | 因幡 | 伯耆 | 出雲 | 石見 | 隠岐 山陽道: 播磨 | 美作 | 備前 | 備中 | 備後 | 安芸 | 周防 | 長門 南海道: 紀伊 | 淡路 | 阿波 | 讃岐 | 伊予 | 土佐 西海道: 筑前 | 筑後 | 豊前 | 豊後 | 肥前 | 肥後 | 日向 | 大隅 (多褹) | 薩摩 | 壱岐 | 対馬 北海道: 渡島 | 後志 | 胆振 | 石狩 | 天塩 | 北見 | 日高 | 十勝 | 釧路 | 根室 | 千島