天野建
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天野 建(あまの けん、1928年2月24日 - 2005年2月17日)は、山梨県大月市出身の政治家。
元山梨県知事(1991年2月17日 - 2003年2月16日・3期12年)、石和町(現笛吹市)長。
旧制山梨県立都留中学校(現山梨県立都留高等学校)卒業。 無線電信講習所(現電気通信大学)中退。
父親は笹一酒造創業者、山梨県知事の天野久。
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[編集] 元祖「草の根知事」
3期12年務めた望月幸明知事の引退を受けて新知事を選出する1991年の選挙において、政党の推薦・支持がないまま当時の4大政党(自民・社会・公明・民社)と当時最大の権勢を誇っていた金丸信が推薦する小沢澄夫元副知事を破り、初当選を遂げた。このあと誕生する「無党派知事」の魁と呼ばれた。
[編集] 実績
- スコレー都市・石和
- 石和町長としてスコレーセンターを建設するなど、生涯学習の充実に尽力。
- 幸住県やまなし
- 「幸住県やまなし」の実現を公約に掲げ、「環境首都」など経済指標に現われない豊かさを目指し、幸住県計画を立案した。
- 廃棄物処分場
- 1994年、明野村(現・山梨県北杜市明野町)に廃棄物最終処分場を建設する計画を立てたが、地元の反対運動で難航。さらに2000年に建設予定地に絶滅危惧種のオオタカが生息していることが判明し、建設に着手できない状況が続いた。結局この問題は在任中に解決せず、現知事に引き継がれている。
[編集] 著書
- 天無私(てんわたくしなし)―地方行政二十四年の回顧(山梨ふるさと文庫)
- 明日の山梨(山梨ふるさと文庫)
- 自らのために計らわず 《スコレー都市・石和》に夢を託して(ぎょうせい)
- 山は青く水は清く 幸住県山梨の実現をめざして(ぎょうせい)
[編集] その他
天野が知事になるまでの山梨県庁は人事が選挙の結果に直結する「選挙人事」が行われていた。しかし、天野は「選挙人事」を行わず、職員が選挙結果に一喜一憂せずに職務に専念できるようになった。これが天野県政最大の功績と言われている。
[編集] 外部リンク
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第52-54代 望月幸明 |
第55-57代 1991.2.17 ‐ 2003.2.16 |
第58代 山本栄彦 |
カテゴリ: 1928年生 | 2005年没 | 都道府県知事・市町村長 | 山梨県の政治家