山梨県立都留高等学校
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国公私立の別 |
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創立 |
山梨県中学校都留分校 |
校訓 |
自学進取 |
課程 |
定時制 |
単位制・学年制 |
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学科 |
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共学・別学 |
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制服 | 男子 学生服 女子 セーラー服 |
教育課程の特例 | スーパーサイエンスハイスクール (SSH)(文部科学省) 2005年(平成17年)度~ |
過去の名称 | 山梨県中学校都留分校 山梨県第一中学校都留分校 山梨県第二中学校都留分校 山梨県立都留中学校 山梨県立都留第一高等学校 山梨県立第四高等女学校 山梨県立都留高等女学校 山梨県立都留第二高等学校 |
所在地 | 〒401-0013 |
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電話番号 | 0554-22-3125 |
FAX番号 | 0554-22-0902 |
外部リンク | 公式サイト |
山梨県立都留高等学校(やまなしけんりつつるこうとうがっこう)は山梨県大月市にある県立高等学校。全日制・定時制普通科を設置。文化祭は「若鶴祭」。2005年(平成17年)度よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校となる。山梨県屈指の伝統校で、進学校。略称は、「都留高校」(つるこうこう)もしくは「都留高」(つるこう)。伝統と実績とを兼ね備えた、不羈の名門校である。高校野球では、1952年(昭和27年)選手権と、2007年(平成19年)選抜と、甲子園に二度出場している。
なお、前身の一つ山梨県立都留高等女学校で、作家太宰治の未亡人、津島美知子が教鞭を執っていた。
目次 |
[編集] 校訓
質実剛健
自学進取
[編集] 概要
山梨県立都留高等学校は、1900年(明治33年)山梨県中学校都留分校開校がその創立である。
校名は、山梨県中学校都留分校、山梨県第一中学校都留分校、山梨県第二中学校都留分校、山梨県立都留中学校、山梨県立都留第一高等学校、と変遷。 1950年(昭和25年)、旧山梨県立都留高等女学校であった山梨県立都留第二高等学校との統合により、旧山梨県立都留中学校の地にて、山梨県立都留高等学校となる(旧山梨県立都留高等女学校跡地には現在、大月市立大月短期大学と、同付属高等学校とがある)。 1980年(昭和55年)、理数科を設置。 2002年(平成14年)年に理数科新規募集を停止し、全クラスを単位制普通科に移行。 2004年(平成16年)、移行完了。 2005年(平成17年)、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける{~2009年(平成21年)度末}。 2007年(平成19年)、21世紀枠で、55年振りの甲子園となる、第79回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ)初出場を決める。(21世紀枠だが、関東大会で優勝候補の桐光学園を破っており、実質的には実力で出場を決めたといえる。)
本校は、吉田高校と並び、郡内屈指の進学校と言われていたが、 2007年(平成19年)春の選抜に初出場することで、郡内を超え、山梨県屈指の文武両道高として知られることとなる。
また本校は、旧制中学校を前身に持つ新制高等学校としては、山梨県内における開校は二番目(山梨県第二中学校の最初の卒業生は、都留分校出身者のみである)の、郡内(県東部、南・北都留郡と西八代郡の一部)地方唯一の旧制中学校、山梨県立都留中学校と、 1923年(大正12年)創立の、県立の高等女学校、山梨県立都留高等女学校とを前身に持つ、山梨県屈指の伝統校である。 制服は、男子は学生服、女子はセーラー服という、従来の典型的なものである。
[編集] 校名・校章の由来
山梨県立都留高等学校という校名は、万葉時代からの歌枕、甲斐国都留郡という郡名に由来する。
都留(ツル)という地名は、古来より、都留郡(明治期からの旧南北都留郡)全般を指す、広域的なものである。これに関係する古来よりの字名は、現・上野原市に残っている(鶴と表記)。
開校地は、都留郡の交通の要衝である、北都留郡大月町(現・大月市)に決まっていたが、諸事情により、創立当初の仮校舎には、南都留郡谷村町(現・都留市)の県病院谷村分院跡地があてられた。 山梨県第一中学校都留分校時代に、北都留郡大月町(現・大月市)の現在地に本校舎の建設が成って以来、この地にて、今日まで続く伝統を重ねて来た。
校名と現・都留市との関係性であるが、現・都留市中心部の古来からの字名は、谷村(ヤムラ)であり、当時も南都留郡谷村町であった。 現・都留市全般にも、古来からの字名に(ツル)というものは無い。 即ち、校名に都留(ツル)と冠された由来は明らかに、郡名である都留郡であり、現・都留市 との直接の関係性を見出す事は出来ない。
なお、都留(ツル)という地名は古くは、「豆留」「鶴」などとも表記された。 であるからこそ校章は、鶴とも表記され、歌われた、万葉時代からの歌枕、甲斐国都留郡に因み、折鶴の校章を用いているのである。
[編集] 校歌{新制(現行)}
一、
朝つく日影に燦たり 甲斐が嶺 清純玲瑯心に占めてん
花やぐ夕日に 儼たり岩殿 剛健不抜 の気魄を きたへん
まろらの大月 平和の鑑と あふぎて高鳴く 若鶴われらぞ
(若鶴われらぞ )
二、
深山の岩垣めぐりて、峡行く 桂の清流かなづる 楽こそ
昼夜をおかずに、学びつ思ひつ 知性をみがきて徳操をさむる
若人われらの 胸なる小琴に いみじくかなへる 行進曲なれ
(行進曲なれ )
三、
こごしき山なみ 裂みて吾嬬の 広野に下り立つ 試練を積みつつ
大洋ものかは 天地にふさがる ひろらの気宇もて、四海に交らふ
新た世日本の 世紀の花とも 咲きてん都留高 切瑳のわが友
(切瑳のわが友)
[編集] 応援歌
一、
岩殿の空 玲瓏の朝ぼらけ 若鶴のごと我等あり
朝な夕なの練磨をば 今ぞ競わん 時来たる
喨喨と挙ぐる 制覇の勝ち鬨に 亢龍も翳を潜むべし
出でや都留高千五百 勝利は常に我等にあり
一、
岩殿山下に火と燃えて 鉄腕鉄脚ねりにねる
我がますらを今ぞ今 尽くせベストを血と汗を
意気と熱との声援を 君らに送る我等あり
我等あり
二、
ああ雲と湧く大さんか 輝く勝利今ぞ得つ
時代の寵児吾が選手 涙にうるむ目をあげて
見よ天日光こえ 霊峰八朶さんたるを
さんたるを
[編集] 設置学科
[編集] 沿革
- 山梨県立都留中学校
- 1900年(明治33年) 4月17日 山梨県中学校都留分校が設置された。
- 1900年(明治33年) 5月17日 開校式を挙行した。
- 1901年(明治34年) 4月 1日 山梨県第一中学校都留分校が設置された。
- 1903年(明治36年) 4月 1日 山梨県第二中学校都留分校と改称された。
- 1905年(明治38年) 3月31日 山梨県第二中学校都留分校が廃止された。
- 1910年(明治43年) 3月 9日 山梨県立都留中学校が設置された。
- 1910年(明治43年) 5月10日 開校式を挙行した。
- 1947年(昭和22年) 4月 1日 学制改革により第1学年の募集を停止し、併設中学校が設置された。
- 1948年(昭和23年) 4月 1日 学制改革により山梨県立都留中学校が廃止、山梨県立都留第一高等学校が設置された。
- 1948年(昭和23年) 7月 1日 学制改革により山梨県立都留第一高等学校定時制課程として中心校の他猿橋、富浜、上野原の3分校と西原分教場(上野原分校)が設置された。
- 1949年(昭和24年) 4月 1日 山梨県立都留第一高等学校併設中学校が廃止された。
- 山梨県立都留高等女学校
- 1923年(大正12年) 2月17日 山梨県立第四高等女学校が設置された。
- 1924年(大正13年) 4月18日 山梨県立都留高等女学校と改称された。
- 1941年(昭和15年) 4月 1日 補習科が設置された。
- 1941年(昭和15年) 3月31日 補習科を廃止し、専攻科が設置された。
- 1945年(昭和20年) 4月 1日 付設課程実務科が設置された。
- 1945年(昭和20年) 8月13日 空襲により校舎に甚大な被害を受けた。
- 1947年(昭和22年) 4月 1日 学制改革により第1学年の募集を停止し、併設中学校が設置された。
- 1947年(昭和22年) 8月25日 専攻科が廃止された。
- 1948年(昭和23年) 4月 1日 学制改革により山梨県立都留高等女学校が廃止、山梨県立都留第二高等学校が設置された。
- 1949年(昭和24年) 4月 1日 山梨県立都留第二高等学校併設中学校が廃止された。
- 山梨県立都留高等学校
- 1950年(昭和25年) 4月 1日 高等学校再編成により山梨県立都留第一高等学校と山梨県立都留第二高等学校は統合して山梨県立都留高等学校を設置し、普通科、商業科が設置された。
- 1950年(昭和25年) 4月 1日 定時制西原分教場が西原分校に昇格された。
- 1950年(昭和25年) 9月 1日 山梨県立都留高等学校定時制七保分校が設置された。
- 1951年(昭和26年) 4月 1日 山梨県立都留高等学校定時制笹子分校が設置された。
- 1952年(昭和27年) 5月 1日 被服科は家庭科と改称された。
- 1955年(昭和30年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制平和分校が設置された。
- 1960年(昭和35年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制笹子分校が廃止された。
- 1961年(昭和36年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制上野原分校が廃止された。
- 1963年(昭和38年) 4月 1日 山梨県立都留高等学校定時制富浜分校が廃止された。
- 1969年(昭和44年) 4月 1日 昭和38年度第1学年より商業科、家庭科が廃止された。
- 1972年(昭和47年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制平和分校、上野原分教室が開設。
- 1972年(昭和47年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制平和分校と上野原分教室が廃止。
- 1973年(昭和48年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制上野原分校が設置された。
- 1974年(昭和49年) 3月31日 山梨県立都留高等学校定時制七保分校が廃止された。
- 1978年(昭和53年) 4月 1日 山梨県立都留高等学校定時制猿橋分校が廃止された。
- 1980年(昭和55年)11月30日 理数科が設置された。
- 1982年(昭和57年) 6月28日 創立80周年記念式典を挙行した。
- 1985年(昭和60年) 3月31日 創立80周年・総合竣工記念式典を挙行した。
- 1985年(昭和60年) 4月 1日 山梨県立都留高等学校定時制上野原分校が廃止された。
- 1989年(平成元年) 5月 2日 山梨県立都留高等学校定時制西原分校が山梨県立上野原高等学校に移管された。
- 1989年(平成元年) 5月17日 校歌碑除幕式を挙行した。
- 1990年(平成 2年)10月17日 校訓碑を建立した。
- 1992年(平成 4年)10月 5日 創立90周年記念式典を挙行した。
- 1993年(平成 5年) 5月31日 創立80周年記念館増改築工事着工。
- 1995年(平成 7年) 1月30日 創立80周年記念館増改築工事完成、創立80周年記念館鶴聲ホールと命名。
- 1996年(平成 8年) 5月24日 多重構造屋内運動場着工、屋内運動場竣工式典を挙行した。
- 2000年(平成12年) 5月20日 創立100周年記念式典を挙行した。都留中、都留高女校歌碑除幕式を挙行した。
- 2002年(平成14年) 4月 1日 全日制単位制普通科高等学校に改編された。
- 2002年(平成14年) 8月20日 自学研鑽室落成記念式を挙行した。
- 2004年(平成16年) 3月31日 理数科が閉科された。
- 2005年(平成17年) 4月 1日 スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けた。
[編集] 所在地
- 山梨県大月市大月2-11-20
[編集] 交通
[編集] 出身者
- 小林宏治 - 元・日本電気株式会社代表取締役会長
- 天野建 - 元・山梨県知事
- 西室陽一 - 元・東京ガス社長、現・参与
- 矢頭高雄 - 元・プロ野球選手
- 西村一孔 - 元・プロ野球選手
- 大谷哲夫 - 駒澤大学総長
- 小林多門 - 元・衆議院議員
- 三遊亭小遊三 - 落語家
- 山崎照朝 - 空手家
- 林家正雀 - 落語家
- 小俣雅子 - フリーアナウンサー
- 小林一男 - オペラ歌手
- 小林雅英 - プロ野球選手・千葉ロッテマリーンズ所属