太田誠一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生年月日 | 昭和20年(1945年)10月31日 |
---|---|
出生地 | 福岡県福岡市 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 大学院経済学研究科博士課程修了 |
学位・資格 | 博士 |
前職・院外役職(現在) | 大学教員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
法務委員会委員 |
世襲の有無 | 有(岳父が亀井光福岡県知事) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
福岡3区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(古賀派) |
党役職(現在) | 党改革実行本部長 行革推進本部・特別会計改革委員長 地方行政調査会長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館232号室 |
ウェブサイト | 太田誠一公式ウェブサイト |
太田 誠一(おおた せいいち、1945年10月31日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。2007年2月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。
目次 |
[編集] 略歴
- 福岡市出身
- 慶應義塾高等学校卒業
- 1968年に慶應義塾大学経済学部卒業
- 1973年に同大学院経済学研究科博士課程修了
- 福岡大学助教授、米国ブラウン大学客員助教授を務める
- 1980年の第36回衆議院議員総選挙で初当選。
- 若手・中堅の頃は自民党内の改革派として、白川勝彦、新井将敬らと派閥順送り人事などを批判していた
- 1989年の総裁選では所属する宏池会の意向に反し、派閥の後ろ盾のない石原慎太郎の推薦人となった。
- 1994年4月、新井、柿沢弘治らと自民党を離党し、自由党を結成海部俊樹を代表とする自由改革連合への参加を経て、同年12月、新進党の結党に加わるが、翌1995年8月に自民党に復党した。
- 1998年の小渕内閣において、総務庁長官、行政改革担当大臣に就任。
- 2003年6月26日、鹿児島市で行われた公開討論会において、早稲田大学を中心とするイベントサークル「スーパーフリー」に参加していた女子大生が集団で陵辱されていた事件に関連して、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と発言し、野党やマスコミのみならず野田聖子ら自民党女性議員からも大きく非難された。この発言が大きく影響し、2003年の第43回衆議院議員総選挙では民主党の藤田一枝に敗れ落選を喫した。
- 2005年に国政復帰、現在、自民党改革実行本部長、地方行政調査会長に就任。
- 2006年10月、宏池会(古賀派)会長代理に就任。
- 2007年2月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。
[編集] 議員立法
- ストック・オプション導入(商法改正)
- 児童虐待防止法
- 特殊法人等改革基本法
- コーポレート・ガバナンス商法改正ほか
[編集] 家族 親族
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 太田誠一 Official Web Site(公式)
- おおたせいいちBlog(公式)