奈良光枝
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奈良光枝(ならみつえ、1923年(大正12年) - 1977年(昭和52年)5月14日)は、昭和時代の歌手。本名は佐藤みつえ。美貌の歌手として知られた。
青森県弘前市出身。弘前高等女学校卒業後、兄の知り合いであった作曲家の明本京静の薦めで東洋音楽学校に進学。病弱であったためクラシックを断念し、1940年(昭和15年)、コロムビアから流行歌手として「南京花嬌子」デビュー。目立った作品は少なかったものの、1942(昭和17年)、作曲家の古賀政男門下となってから、藤山一郎とデュエットした映画「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」が初ヒット。当初この曲は映画に主演した杉狂児がレコーディングしたが、検閲官から「ヤギの鳴き声がふざけ過ぎている」とのことで発売できずに、戦地慰問から帰国していた藤山一郎と古賀門下となった奈良光枝にお鉢がまわってきたということである。
戦後、千葉泰樹監督に美貌を認められ大映映画「或る夜の接吻」の主役に抜擢され、共演した若原雅夫とのキスシーンが話題となったが、実際の映画には、飛んできた傘が二人のくちづけを隠すという手法が用いられ、GHQの不満を買うという結果を生んだ。主題歌の「悲しき竹笛」は大ヒットとなり、デュエットした近江俊郎もスターダムにのし上げた。近江とのコンビはその後も続き、「愛の灯かげ」「新・愛染かつら」とヒットが続く。他にも「雨の夜汽車」「青い山脈」「赤い靴のタンゴ」などのヒットを放ち、人気投票では常に上位にランクインするほどのトップスターとなった。 奈良は、レコードだけではなく、スクリーンにおける活躍も目覚しく「踊る竜宮城」「シミキンの忍術凸凹道中」「七変化狸御殿」など音楽映画では欠かせない存在であったが、一方で「修道院の鐘」では劇中では歌うシーンがない修道女として見事に主演している。
NHKのプロデューサーと結婚後も活躍を続け、昭和40年代に入っても、衰えをしらぬ美貌で、テレビやステージに活躍したが、1977年5月14日、癌性腹膜炎の為、死去。
[編集] 代表曲
- 「青い牧場」(共唱:藤山一郎)
- 「乙女舟」(共唱:霧島昇)
- 「悲しき竹笛」(共唱:近江俊郎/当初は「乙女舟」のB面だったが、A面よりもヒットした)
- 「雨の夜汽車」(初のソロヒット曲で、奈良はこの曲を生涯大切にしたという)
- 「愛の灯かげ」(共唱:近江俊郎)
- 「青い山脈」(共唱:藤山一郎)
- 「赤い靴のタンゴ」(有名なイギリス映画『赤い靴』の日本公開を記念して作られた)
[編集] 人物
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | 日本の歌手 | 1923年生 | 1977年没