大映
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大映株式会社(だいえいかぶしきがいしゃ)は、1942年から2002年まで存在した映画会社。「大日本映画製作株式会社」の略。現・角川映画の前身。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 戦時統合
1942年、戦時統制により小規模な会社を整理・統合する戦時企業統合があらゆる産業分野で進められ、映画業界でも新興キネマ、大都映画、日活の製作部門が合併し「大日本映画製作株式会社」となる。当初の案では映画会社は松竹と東宝の二社のみとすることになっていたが、新興キネマ京都撮影所長だった永田雅一の尽力で統合案は2社から3社に変更された。
もともと新興キネマは松竹の傍系会社であった。にもかかわらず、同社を軸として大映は成立した。この尽力について、立案をした情報局第五部の第二課長に贈賄をしたという黒い噂は60年以上たった現在でも消えていない。但し、情報局へ政府の「統制会社」としての大映の立場をアピールした点は永田の勘がスバリと的中した結果でもある。業界からの密告により収賄の疑いで永田は逮捕、拘禁されている。但し、大映の社史にもこの件と噂は隠さず記録している。
日活の京都にあった太秦撮影所、調布にあった多摩川撮影所(現・角川大映撮影所)と新興キネマの京都太秦撮影所(現・東映京都撮影所)、大泉撮影所(間もなく閉鎖。現・東映東京撮影所)、巣鴨の大都映画撮影所(間もなく閉鎖)ならびに三社のスタッフ・俳優を引き継ぎ映画制作を開始。
1945年、社名を「大映株式会社」に改める。1947年、独占禁止法の趣旨に基づき日活との関係が無くなる。以降、大映は純然たる民間映画会社として存続する。この点、他の「統制会社」が敗戦で解散したのに比べてなぜ大映だけ?という素直な疑問が生じる。
[編集] 永田時代
- 1947年 - 専務の永田雅一が社長に昇格。人気作家の川口松太郎が専務に招かれる。
- 1948年 - プロ野球団金星スターズを買収して「大映スターズ」(後の大毎オリオンズ)を結成。三益愛子主演の「母物シリーズ」が始まり10年続く大人気シリーズとなる。
- 1951年 - 『羅生門』(監督・黒澤明)がヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞。
- 1953年 - 『雨月物語』(監督・溝口健二)がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞。
- 1954年 - 『地獄門』(監督・衣笠貞之助)がカンヌ国際映画祭グランプリ受賞。たてつづけに『山椒太夫』(監督・溝口健二)ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞。
- 1950年代から1960年代前半にかけて長谷川一夫を筆頭に三大女優の京マチ子・山本富士子・若尾文子、そして市川雷蔵と日本映画史に残る大スター達を擁し、さらに他社専属やフリーの高峰秀子、鶴田浩二、岸惠子らも出演し名作を多数送り出す。1960年代に入ると勝新太郎、田宮二郎が頭角を現す。一方で台湾など海外との合作による大作や70ミリ映画「釈迦」「秦・始皇帝」(←2作とも大ヒット)を制作するなど超大作路線を歩む。また、ウォルト・ディズニー作品の日本における配給権を握っていた。
- 1959年 - 東宝、松竹、文化放送、ニッポン放送と共にフジテレビジョンを開局。
- 1961年 - 現代劇のトップスター菅原謙二が退社。
- 1962年 - 東京都荒川区南千住にプロ野球専用球場・東京スタジアム(東京球場)を建設。現代劇で活躍していた人気若手スター・川口浩が退社。
- 1963年 - 戦前から日本を代表する二枚目であり、戦後の大映映画の大黒柱だった長谷川一夫 (俳優)が映画界から引退。そして、日本一の美女と言われ、美人の代名詞であった看板女優・山本富士子が他社出演の許可と出演本数を少なくするという約束を守ってほしいと頼んだところ永田社長の怒りを買い、一方的に解雇され、五社協定にかけられ他社の映画や舞台にも出演できなくなる。以降、山本富士子は「山本富士子アワー」などのテレビドラマに主演して好評を得た後、舞台に進出し、現在まで舞台で主演を続けている。期待された叶順子もこの年、引退。こうして看板スターを相次いで失った大映の映画館は空席が目立つようになる。
- 1967年 - 勝新太郎が石原プロ・三船プロなどのスターによる製作プロダクションブームに刺激され勝プロを設立。一方、大映は映画製作の赤字などによる巨額の負債が表面化。
- 1968年 - 看板俳優の田宮二郎が映画『不信のとき』(原作:有吉佐和子)に主演したが、クレジットが4番目であることを抗議すると激怒した永田社長により一方的に解雇され、五社協定にもかけられ他社の映画にも出演できなくなる。しかしその後、田宮も1969年スタートのテレビ番組「クイズタイムショック」(NETテレビ、現・テレビ朝日系列)の司会で成功を収め長寿番組とし、大映倒産後の1970年代には映画界にも復帰。また、テレビドラマでもシリーズを持ち、多数のヒット作を送り出した。日本映画黄金期を支えてきたスター・システムの崩壊と五社協定の弊害が明らかに。同年、人気若手女優・姿美千子も退社。
- 1969年 - 最後の頼みの綱だった看板俳優・市川雷蔵が37才の若さで急逝。大黒柱の看板スター達を相次いで失い、大型の新人スターも輩出できず、映画産業全体の斜陽やテレビ界の発展にも圧され、大映映画の観客数の落ち込みがさらに深刻になる。
- 1970年 - 4月、同じく経営不振に喘いでいた日活と配給網を統合し、ダイニチ映配を設立。旧来の撮影所システムの映画作りが無効になる中、暴力・エロ・グロを中心に企画を打ち出す。日活側は『野良猫ロック』『ネオン警察』『戦争と人間』シリーズなどを送り、大映側は「でんきくらげ」「十代の妊娠」「おさな妻」などの『ジュニア・セックス・シリーズ』、『高校生番長』シリーズなど若者を狙った映画のほか、勝プロなどによる佳作も配給したが、この弱者連合はすぐに行き詰まる。
- 1971年 - 8月ダイニチ映配から日活が離脱。11月29日、全従業員に解雇通告がなされ、ついに大映倒産。直前に本社からの分離独立で大映テレビが発足し多数のスタッフが異動。京都・太秦の大映京都撮影所を閉鎖。当面、労働組合が会社を管理し、経営の引き受け先を探すことになる。
[編集] 徳間時代
- 1974年 - 労働組合は徳間康快率いる徳間書店と経営再建で合意。徳間の傘下の映画制作子会社となる。大映京都撮影所は大映映画撮影所(貸しスタジオ)となるなど、土地資産の売却や人材のリストラで負債を減らしていった。また徳間書店の出版する小説の映画化(西村寿行の『君よ噴怒の河を渉れ』『黄金の犬』など)も始まる。
- 1982年 - 国交10周年を記念した日中合作映画『未完の対局』公開。永田大作路線に続く、徳間大作路線の始まり。
- 1986年 - 京都・太秦の大映映画撮影所を完全閉鎖し、跡地を売却。(現在の太秦中学校敷地ほか)
- 1988年 - 前年のSF大作『首都消失』に続き、日中合作の超大作映画『敦煌』公開。史上最大の45億円を投じた。
- 1992年 - 25億円を投じソ連解体の激動のロシアで撮影した『おろしや国酔夢譚』公開。これら超大作路線による借入金の増大とバブル崩壊などにより、大映のみならず徳間書店グループ自体の累積赤字が膨らんだ。『ガメラ』シリーズ、『Shall we ダンス?』など佳作にも果敢に投資しヒットさせたが、徳間書店は住友銀行の管理下におかれることとなり、大映の売却も話題に上る。
- 2000年 - 徳間康快死去。
- 2002年 - 7月、角川書店は徳間書店から、大映が保有する映画、ビデオ製作、配給、調布市の大映スタジオ(多摩川撮影所)の運営などの全事業を取得することで合意。11月、角川の映像子会社「株式会社角川大映映画」が設立され、大映は営業権のすべてと従業員を譲渡して60年の歴史に幕を下ろした。
[編集] 消滅後
- 2004年 - 角川大映映画は角川の他の映像子会社と再編のため合併。角川映画株式会社となり、大映スタジオ(多摩川撮影所)も、角川大映撮影所に改称した。
- 2006年 - 3月角川ヘラルド・ピクチャーズと合併して、角川ヘラルド映画となった。
[編集] 主な映画作品
[編集] 永田時代
- 羅生門
- 地獄門
- 雨月物語
- 金色夜叉
- 忠臣蔵
- 愛染かつら
- 新・平家物語
- 婦系図 湯島の白梅
- 夜の河
- 赤線地帯
- 夜の蝶
- 炎上
- 残菊物語
- 歌行燈
- ぼんち
- 釈迦
- 好色一代男
- 大魔神シリーズ
- 昭和ガメラシリーズ
- 悪名シリーズ
- 黒いシリーズ
- 女系家族
- 白い巨塔
- 兵隊やくざシリーズ
- 座頭市シリーズ
- 眠狂四郎シリーズ
- 卍
- 刺青
- 華岡青洲の妻
- 陸軍中野学校シリーズ
- 不信のとき
[編集] 徳間時代
- 金環蝕
- 君よ噴怒の河を渉れ
- 黄金の犬
- 未完の対局
- 首都消失
- 敦煌
- おろしや国酔夢譚
- 平成ガメラシリーズ
- Shall we ダンス?
[編集] 関連項目
[編集] 経営関連
[編集] 主な監督
[編集] 主な俳優(男性)
- 水島道太郎
- 長谷川一夫
- 若原雅夫
- 黒川弥太郎
- 船越英二
- 小林桂樹
- 三橋達也
- 根上淳
- 菅原謙二(菅原謙次)
- 高松英郎
- 市川雷蔵
- 川口浩
- 川崎敬三
- 勝新太郎
- 林成年
- 田宮二郎(柴田吾郎)
- 本郷功次郎
- 宇津井健
- 城健三朗(若山富三郎)
- 峰岸隆之介(峰岸徹)
- 平泉成(平泉征)
- 藤巻潤
- 倉石功
- 成田三樹夫
- 中条静夫
- 村上不二夫
- 小林勝彦
- 北原義郎
- 浜口喜博
- 友田輝
- 青山良彦
- 品川隆二
- 丸井太郎
- 三田村元
- 見明凡太朗
- 杉田康
- 三田隆
- 潮万太郎
- 花布辰男
- 早川雄三
- 丹羽又三郎
- 千波丈太郎
- 篠田三郎
- 炎三四郎(速水亮)
- 伊吹新吾(伊吹剛)
[編集] 主な俳優(女性)
- 月丘夢路
- 三益愛子
- 入江たか子
- 京マチ子
- 三條美紀(三条美紀)
- 星美智子
- 角梨枝子
- 阿井美千子(阿井三千子、百ちとせ)
- 山本富士子
- 若尾文子
- 野添ひとみ
- 長谷川季子(小野道子)
- 叶順子
- 江波杏子
- 安田道代(現・大楠道代)
- 万里昌代
- 中村玉緒
- 藤村志保
- 久保菜穂子
- 藤由紀子
- 弓恵子
- 滝瑛子
- 市川和子
- 仁木多鶴子
- 相馬千恵子
- 平井岐代子
- 橘公子
- 新宮信子
- 金田一敦子
- 川上康子
- 近藤美恵子
- 加茂良子
- 浜田ゆう子
- 紺野ユカ
- 伏見和子
- 藤原礼子(大和七海路)
- 有沢正子(山内敬子)
- 関千恵子
- 村田知栄子(村田知英子)
- 村田扶実子
- 八潮悠子
- 穂高のり子
- 若松和子
- 中田康子
- 浦路洋子
- 三条江梨子(三条魔子)
- 長谷川裕見子
- 高田美和
- 明星雅子
- 姿美千子
- 乙羽信子
- 折原啓子
- 荒川さつき
- 及川千代
- 水戸光子
- 南田洋子
- 林千鶴(現・高林由紀子)
- 三田登喜子
- 真城千都世
- 南左斗子
- 清水谷薫
- 矢島ひろ子
- 目黒幸子
- 町田博子
- 渚まゆみ
- 市田ひろみ
- 浦辺粂子
- 毛利郁子
- 松坂慶子
- 関根恵子(現・高橋惠子)
[編集] その他
カテゴリ: かつて存在した日本の企業 | 映画会社 | 映画関連のスタブ項目