宇都宮朝綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇都宮 朝綱(うつのみや ともつな、1122年(保安3年) - 1204年9月1日(元久元年8月6日))は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。鳥羽院武者所、白河院北面、左衛門尉。藤原姓宇都宮氏第三代当主。宇都宮弥三郎朝綱。藤原宗円の孫、八田宗綱の子。宇都宮成綱の父。宇都宮頼綱の祖父。
はじめは京都で平清盛に仕えていたが、源頼朝が東国で挙兵するとこれに従って功績を挙げたため、本領安堵の上、伊賀国壬生野郷の地頭にも任じられた。源頼朝から「坂東一の弓取り」と賞賛された。1189年の奥州藤原氏討伐でも功績を挙げた。しかし1194年5月、百町の公田横領の罪を幕府に訴えられたため、土佐国に流罪とされてしまった。
1204年8月6日、83歳で死去した。
[編集] 関連
|
|
|